変えなければ続かないし、変えすぎても良くない。「この店は昔から変わらない」と喜ばれるのは、時代とともに変えるべき部分を見極めてきたからだ。この審美眼は、数百年続く伝統文化の世界だけでなく、すべてのビジネスパーソンに通じる、普遍的なものである。
新たなアイデアのヒントは、いつだって出会いに隠されている。
独自の価値を発信する後継者たちの、活躍のストーリーを紹介する。
変えなければ続かないし、変えすぎても良くない。「この店は昔から変わらない」と喜ばれるのは、時代とともに変えるべき部分を見極めてきたからだ。この審美眼は、数百年続く伝統文化の世界だけでなく、すべてのビジネスパーソンに通じる、普遍的なものである。
廃業間際だった高岡伝統の着色工房は、三代目が新たな技法を生み出し息を吹き返した。その技法を求めてやってきた若手のプロダクトデザイナーと新ブランドもつくり、勢いは増すばかり。いまや、美術系学生の理想の就職先としても人気を博している。
輪島塗の後継ぎという運命。一度はそこから逃げようとした。しかしいまは、日本人に漆の魅力をあらためて伝えたいと強く思う。異端児だった父、伝統を担う職人、震災、そしてフランス人の友。さまざまな経験と出会いを通し、若き後継ぎは伝統の真のあり方を探求する。
商売の成功ばかりに躍起になってもうまくいかない。老舗絹工場の後継ぎは、悩み、葛藤し、運命を変える出会いを経て、絹の神秘的な力を自らの体で感じることから始めることにした。衰退しかけた家業を復活へと導く、スピリチュアルな物語。
歴史はあるが管理がずさん。技術はあるが見せ方が下手。倒産しかけた二代目の父親の会社に入社した鷲尾岳は、後継ぎの模範となるような、華麗なる経営改革と、新たな話題を呼び込む新製品を作り上げた。
超一級品のコットンを使用して、日本有数の技術を持つ大阪の職人たちが最高の1枚に仕上げる。クラウドファンディングでも話題になったTシャツブランド「EIJI」を立ち上げたのは、ファストファッションの煽りを受けて苦戦を強いられていた縫製会社の跡継ぎだった。
「何か手伝おうか?」と提案しても親からは拒否された。ならばと必死になって自分にできることを探し、新会社を立ち上げた。厳密には家業の跡を継いだわけではない。だが、市場全体が縮小する中で新たな糸口を見出した、注目すべき「後継ぎ」の成功事例である。
年々売り上げが落ちていた突っ張り棒メーカーの後を継いで、いったい何ができるか? 「LABRICO」と「DRAW A LINE」、2つの新ブランドを立ち上げた竹内香予子は、社内にはいなかった「革新が得意な人」との出会いが成功のきっかけになったという。
母の味と生まれ故郷の伝統をどうしても後世に残したい。その思いを叶えるべく後継ぎ候補として金沢に現れたのは、渋谷で働く若いクリエイターだった。一見アンバランスな2人が織りなす、金沢の伝統発酵食こんか漬け「こんかこんか」再生のストーリー。
新しいことをはじめるのに、年齢なんて関係ない。毎日多くの人で溢れる京都の人気観光スポットに彗星のごとく現れたのは、一度引退しかけた75歳の後継ぎだった。
後継ぎ不足によって黒字廃業をする企業が後を絶たない。でも悲壮感に浸っていたって何もはじまらない。誰かの後継ぎになることは、本当はもっとワクワクすることだから。経営者として仕事を思いっきり楽しめるチャンスなのだ。
「日本の工芸を元気にする!」をビジョンに掲げ、GINZA SIXや東京ミッドタウンなど、全国50店舗以上に直営店を展開する中川政七商店に、初めて創業家以外の社長が誕生した。元社長秘書。13代中川政七の側でそのカリスマ的な経営手腕を見てきた新社長は、いま何を守り、何を変えようとしているのか。
いま、後継ぎたちの活躍が目覚ましい。斬新なアイデアと並外れた行動が会社を成長へと導いている。経営だけではない。先輩の後任や移住先ではじめる新しいビジネスなど、さまざまな場面でヒントになる後継ぎたちのストーリー。BNLは「後継ぎ」の企画をスタートする。