ストーリー

世界中の紛争地で命と向き合い続ける国境なき医師団。リーダーは、極限状態のチームをどうマネジメントするのか

国境なき医師団のプロジェクトには、文化的背景も専門分野もまるで違うメンバーが集結する。しかし一刻を争うミッションでは、チームワーク構築に時間を使っている暇はない。そんな中でリーダーが大切にしているものとは。会社の中では学べない、マネジメントのヒントを見た。

日本でただ一人の「緊急対応コーディネーター」

「国境なき医師団(Médecins Sans Frontières=MSF)」で「緊急対応コーディネーター」として活動する萩原健(53)は、2020年7月、中東の国・イエメンから帰国した。

90年代から内戦を繰り返してきたイエメンでは、2015年の政変でサウジアラビア主導の連合軍が軍事介入し、再び内戦が激化。犠牲者は現在までに10万人以上にのぼり、「世界最悪の人道危機」と言われている。

活動歴12年になる萩原は、緊急対応コーディネーターの肩書きを持つ、唯一の日本人だ。現在はスイスにあるオペレーション・センターの緊急対応デスクのもとに活動する。

紛争地や被災地に医療を届けるMSFのミッションは常に緊急だが、そのなかでも、48時間以内の対応を迫られるような非常事態(emergency)に対応するのが、緊急対応コーディネーターだ。

「例えば、イエメンは紛争地ですから、すべてのミッションが緊急といえば緊急ですが、フロントラインが動いていって、小競り合いから大規模な戦闘や攻撃に発展した場合、通常のセットアップでは間に合いません」

紛争や災害に見舞われた人々に、敏速に医療を主とした支援を提供するために、短時間で、必要なヒト・モノ・カネを集中的に投入する。緊急対応の際の俊敏さ、柔軟さと機動力はMSFの活動のなかでも核となる部分だ。それに先んじて、限られた時間内に現地調査を行い、ニーズを確定させる。こうした初動対応の現場での指揮をとるのが、緊急対応コーディネーターの役割だ。

「今回のイエメンは、緊急対応コーディネーターと活動責任者(Head of Mission)を兼務するかたちでの派遣でした。活動責任者は、より幅広く、各国で展開するプロジェクトを統括する立場です。活動責任者として経験を積んでからでないと、本当の意味での緊急対応はできません」

MSFにはじめて参加したのは2008年、41歳のとき。ロジスティシャン(物資調達、設備の保守管理などを行うスタッフ)としての派遣だった。

「それまで15年以上サラリーマンとしての生活をしていましたが、ロジスティシャンとしての技術的な専門性があったわけじゃないんですね。ただ、学生のころから、理想的な人道支援とは何か、途上国の開発はどうあるべきかに、強い関心がありました」

萩原が人道支援に関心を持ったのは大学生の頃だった。41歳で人道支援の道へと進むことになる。 

大学卒業後、石油開発会社に入社。事務方のビジネスマンとして、産油国との折衝やプロジェクト管理、現場操業のコーディネーションなどに携わった。

「石油開発ビジネスは国家間の政治的利害が交錯するビジネスなんです。いまの国際政治って矛盾だらけじゃないですか。中東を追いかけているとそれがよくわかる。ビジネスの世界で海外援助といっても、利潤の追求という枠から外れることはないですよね。そういった世界と対極にあるのが、人道や医療です。特に国境なき医師団は、活動資金の90パーセント以上を民間からの寄付でまかなっていて、政治的・経済的な利害から一線を画すという明確なポリシーがあります。青臭いようですが、自分が理想とするものを実現したいと思いました」

41歳でサラリーマンをやめた。「定年まで勤め上げてからでも、人道支援はできるじゃないか」と言う人もいた。

「でも、自分が50歳になったときに、果たして同じモチベーションを持っていられるか、自信がなかった。日本にいるといろいろ考えますからね」

2年間エジプトでアラビア語を学び、再び数年間サラリーマン生活に戻った後MSFに応募。「医師団以外は考えなかったですね。自分自身が理想とした人道支援と医師団の憲章に謳われている理念が合致していましたから」と言う。

MSFに参加する動機の一つとして、「現場から離れたくないから」と言う人は少なくない。萩原も当初は、「管理職には興味がない」と思っていた。しかし、ロジスティシャンとして3回ミッションを重ねた頃から、考えが変わってきた。

「日本からの派遣者数が多くない状況で、日本人の発言力が高まっていかないもどかしさがありました。一人ひとりはいいものを持っているのに、意見が通らないんです。やっぱり、理想を実現するためには意思決定に関わるポジションをとっていかなくちゃいけないと思うようになりました」

2010年12月から翌年6月まで、南スーダンへ「プログラム責任者」として派遣された。はじめての「責任者」と名のつくポジションだった。

「医師団のチームって、本当にバラバラなんですよ。文化的背景も違えば、専門によって個々に関心事も違う。現地スタッフもまとめていかなくちゃいけない。緊急対応コーディネーターに応募したとき、『求められる素質は、カオスのなかにピースを見いだすことができる人』と言われたぐらいですから(笑)」

MSFで経験を積む中でたびたび、日本人スタッフがMSFの活動運営の意思決定に関わることが少ないと感じることがあった。自分の理想を具現化したい、そんな思いから、意思決定に関わる立場に立とうと考えるようになったという。

萩原流マネジメントは「事前に察知し、プロアクティブにアプローチする」

南スーダンのプロジェクトは、7〜8人の海外派遣スタッフと、100人近い現地スタッフで運営されていた。海外派遣スタッフの内訳は、医師・看護師・助産師が各1人、それにアドミニストレーター(人事・財務担当者)とロジスティシャンである。

「チームって本当に『生き物』で。うまく回っているあいだはいいけど、ちょっとした火花で爆発することがあるんです。というのも、僕らはふだん、緊張状態で活動をしているけれど、自分たちが背負っているプレッシャーを忘れているようなところがあるんですね」

銃声が響くような場所なのに、「プレッシャーを忘れている」とはどういうことか。

「緊急で現場に入ったときは、それこそ24時間、集中していますから。自分にかかっているストレスを度外視しているんです。アドレナリン全開状態。ただ、気づいていないからこそ、何かちょっとしたことでチームが崩壊する危険性があるんです」

1カ月2カ月経ち、3カ月目ぐらいになると、みんな疲れてくる。南スーダンのへき地で、十分な設備があるわけでもない。ちょっとした電気系統のトラブルが人命に関わることだってある。設備の整わない僻地であることがわかっていても、真剣勝負で人の命と向き合っている医療関係者だからこそ、つい声を荒らげてしまうことだってある。

一方、ロジスティシャンも必死だ。足りないものを「ちょっとそこまで行って買ってくるよ」というわけにはいかないのだ。あくまでも一例だが、チームが崩れやすいのは、そんな不満が表面化してくるときだという。

人間関係のトラブルに、MSFの責任者はどう対応するのだろう。萩原は、「マネジメントのスタイルは人それぞれ違いますが」と前置きした上で、「僕が大事にしているのは、チーム内不和の兆候を見落とさないよう、過小評価をしないことです」と言う。

「どんなささいな兆候でも過小評価せず、実態を把握するべくアクションをとる。不平や不満はだいたい水面下でふつふつとたまっていきますから、事前にある程度察知して、プロアクティブに対応するのは本当に大事ですね」

人間誰しも、何日も集中し続けることはできない。その集中が切れたとき、普段なら気にならないぐらいの小さなことがきっかけでチームが崩壊する可能性は十分あるという。だからこそリーダーはささいな違和感を見逃さず調査しなければならない。

MSFの活動は、日々さまざまな壁にぶち当たる。設備や医療機材の不足といったことはもちろん、MSFの医療支援がすんなりと地元住民に受け入れられないとか、現地国の医療政策が必ずしもMSFの医療プロトコルと合致しない場合とか、友好的だった武装勢力が急に敵対的になるとか、ジレンマにさいなまれるできごとは枚挙にいとまがない。

「僕らの世界は、それをぶち破るしかないんです。『仕方がない』じゃなくて、『じゃあどうする』と考えていくしかない。ただ、チームにはいろんな人がいますから、中には、常にネガティブで悲観的な反応をする人もいるんですよね。『どうせ無理だ』とかね」

せっかくチーム一丸となって活動をポジティブな方向にドライブさせていこうとしているのに、たった一人のネガティブな意見で、全体の士気が下がってしまうことがある。萩原は「手でその人の口をふさぎたくなるときもあります(笑)」と冗談めかして言うが、なんらかのチームリーダーを務めたことのある人なら共感できる話だろう。

「僕は、そういったスタッフだからこそ、心してより密にコミュニケーションをとるようにします。大勢でのミーティングでも、できるだけその人の近くに座って意見を求めるとか、工夫をします。否定的、悲観的な意見を言うからって、その人が必要ないわけではないんですよね。みんながアドレナリン全開のなかで、冷静な目で見て、違った意見が出てくることは実際にあるので」

そもそもMSFは「やりたいからやる」人たちが集まっている組織だ。モチベーションが低いわけではなく、「やりたいことができない」「思うようにできない」ことが不平不満につながる。活動責任者として経験を積んでいくうちに、萩原は、「不平不満を言う人は、方向性を失っている場合が多い」と考えるようになった。

「特に医療従事者は、医療活動の最前線にいます。必要とする人々に医療を提供するという気持ちにおいては、医療従事者でもそうでなくても同じ目的を共有していますが、やっぱり日々の活動で、人の命に向き合っているのは医療従事者なんです。MSFは活動する際、活動内容、目的、対象を明確にしたうえで、必要な資源を投入し、チームを作って態勢を整えます。例えば栄養失調プログラムと外科プログラムにはそれぞれ異なる態勢が整えられる。だから皆、外科治療に特化したチームが、栄養失調の子どもを受け入れないことは、理屈ではわかっています。

しかし、常にヒトの命と向き合っている医療従事者にとって、人道医療危機の現実はあまりに厳しいものです。目の前にいる栄養失調の子どもを、本来のプログラムの目的に合致しないから患者として受け入れられないジレンマがそこにある。『なぜ私はこの患者さんを診ることができないの?』と、無力感にさいなまれる人もいます。そういうことが重なると、なぜこの活動をやっているのか、わからなくなってくるんです」

人を助けたい。その気持ちに正直であるほど、やりたいことがなんらかの理由でできなかったときに、無力感から「なぜこの活動をやっているのか」がわからなくなってしまう。MSFにおいて不平不満を言う人は、モチベーションが低いのではなく、ただ道を失ってしまっているのだ。

一人か二人、道を失えば、チーム崩壊の危険性はぐっと高まる。活動責任者はそうならないために、いろんな工夫をする。例えば、毎晩みんなでごはんを食べて、ざっくばらんに話し合える場を作る人もいるという。

「僕はそんなに社交的ではないので、じゃあどうするかというと、毎日のミーティングで、自分たちが何のためにここにいて、いまどういう状況になっているのかを話すんです。毎日のことだからみんな慣れてきて、『また言ってるよ』となるんですが、常日頃からそれを共有することで、チームが爆発するのを防ぐことができる。そうすると、何かあったときもパニックにならないから、安全管理の部分でも功を奏することがあるんですよね」

イエメン紛争の縮図とも呼ばれるアッダリ県での活動地にて(2018年)。その後、MSFスタッフと宿舎を狙った事件により活動終了を決定した。(写真提供:MSF)

日々、自分たちの現在地を確認する。チームのメンバーはそれでいいかもしれない。では、責任者である萩原自身が判断に迷ったときはどうするのだろう。

「欧州にある運営本部には相談できる経験者がいますから。どれだけサポートを求め、受けられるか、それも責任者に求められる能力の一つかもしれません。その上で、最終的には自分で考えて、現場で判断するしかない。そのときはMSF憲章に照らし合わせます。中立、独立、公平とは何か。そして、医療と人道は普遍的なものである。そこに戻るんです」

コミュニケーションのダイナミズム

MSFの活動運営の方向性を定める意思決定に直接的にかかわるポジションには、日本人がまだまだ少ない。

「仕事に真摯に向き合う姿勢も実務能力もあるから、評価されるのは当然です。しかし、どこまで意思決定に関わっているかというと、まだまだ声は小さいですよね。でも責任者というポジションは、日本人の方にも絶対にできる役割だと思うんですよ。時間をかけた状況分析と把握する力、石橋を叩いて渡る慎重さなど、日本の組織で鍛えられた部分もある。ただ一方で、医師団のような活動では、組織の枠にとらわれないダイナミックな行動が必要とされます。そこは、"失敗を恐れるな"って、誰かが背中を押してあげないといけないと思うんですけどね。」

自発的に集まっている集団であるからこそ、そこで生まれるコミュニケーションは、いわゆる会社組織のそれとは全く違うという。日本人はその違いに一瞬面食らうが、本当は意思決定に積極的に関わることができる力を持っているはず、と萩原は言う。

「ダイナミズム」は、萩原がMSFについて語るときのキーワードだ。

「MSFの面白いところの一つは、コミュニケーションなんです。『コミュニケーションのダイナミズム』と、僕は呼んでいるんですけど。ふつう、組織というものが作られると、それに合わせてコミュニケーションラインというものが作られるじゃないですか。そこでは、新入社員と社長が直接仕事の話をして、物事を進めてしまうと、組織として非常にややこしいことになる」

若手社員と社長との"ざっくばらん"な懇親会があって、自由に意見を言いなさいというから自由に言ったら、あとで直属の上司に怒られた、といったことは良く耳にする話だ。萩原自身、会社員時代に似たような経験をしたことがある、と笑顔で話す。

「だけど、MSFはちょっと違っていて。僕らは一人ひとり自発的に集まった集団で、『現場のスタッフ、責任者、理事長、会長など関わる全ての人が、MSFのムーブメントをけん引していく個々の人間として対等だ』というのがベースにあるんですよね。もちろん、指揮系統は必要ですが、例えばあなたが小児科医だとして、何か困ったことがあったときに、チームのメディカルコーディネーターに相談することもできるし、それで不十分なら、欧州の運営本部に直接連絡して技術的なサポートを受けることもできるんです」

「議論と行動」という文化を強く持っている団体だから、どんどんものごとが進んでいく。日本人はまず、そのダイナミックさに面食らうという。

「組織で働くことが染みついている人なら、何か問題があるときに、とりあえず自分の上司を通して、さらにその上の上司を通して......となりますよね。だけど、個が強い文化だと、そんなの関係なく、ものごとがどんどん決められていくんです。自分から輪に入っていかないと、何もわからない」

もちろん、いい面と悪い面がある。栄養失調のプロジェクトなのに、現場が勝手に外科の患者さんを受け入れ始めたら、責任者としては「おいおい、ちょっと待て」と言わざるを得ない。

「だけど、例えば道端に、差し迫る命の危機に瀕している人がいたとします。MSFのプログラムの枠を超えて救命に手を貸したとしたら、その行為に対し組織としての議論はあっても、その行為の奥にあった気持ちは非難されるべきじゃないと思うんです。人道医療援助団体として、MSF憲章に共鳴して活動をしているスタッフが、行き倒れになっている人を助けたいという気持ちを持っていることは自然なことですから。ただ、われわれにはマンデート(使命)があって、それを無視することはできません。僕なんかは、責任者として、現地保健省との合意に反しているとか、法に抵触する可能性があるとか、組織としてまずいとか、いろんなことを考えるのですが、そういうことを言うと『ケンは冷たいな』と言われることもあって(笑)」

規律や規則を重んじ、例外を認めることに躊躇する、またはその理由づけに長けていない気質は、個をより尊重する価値観を持つ人たちからすると、かえって冷たく見えるのかもしれない。

「『ケンのそういうところ、責任者としてはどうだろう』って(笑)。そういった諫言(かんげん)は甘んじて受けます。自分が取った決断と行動に対する批判は当然あるわけだし、そこから学ぶことがあるわけですから。打たれ強くなくちゃダメ。自分がパーフェクトだなんて思っていないですからね」

「自分は完璧」とは決して思わないと萩原は言う。その自己認識は、MSFであっても会社組織であっても、リーダーという立場に立つすべての者にとって、大切なことなのかもしれない。

萩原は、「"危機的な状況にある人々に寄り添いたい"という、情緒的な何かが推進力になっている一方で、合理的、実利的に判断ができなければやってはいけないこともある」と言う。矛盾しているようだが、それが、萩原がこれまで見てきた人道医療現場の現実だ。

「チームメンバー一人ひとりが異なる動機と考えを持っています。それぞれが、それぞれのジレンマや障壁と闘っているんです。それでも僕らが常に意識を向けるべきは、苦境に立たされている人々であり、患者さんですからね。どんな崇高な理念があろうとも、支援を必要としている人々にたどりつけなければ意味がありません。チームスピリットっていうのは"求めて得られるもの"じゃない。時にはケンカし、悪戦苦闘しながら日々の業務をこなしていって、あとあと考えてみたら、あのときのチームはよかったね、そういえばチームスピリットみたいなものがあったなぁと振り返る、そういうものだと思います。それが望ましいチームの姿かなと思っています」