企業のいま

日本のメディアのサブスク化を阻む二つの壁

メディアの収益をあげるために、編集者や記者にもマーケティングの知識が求められている。ユーザーを知り尽くし、その媒体ならではのデータを集める。ファンになってもらう施策を重ねる。それができれば、広告もサブスクリプションも効果は断然変わってくるという。

「Web記事は無料」の「当たり前」を疑う

「Apple MusicやAmazon Musicができるまでは、楽曲データはインターネット上に転がっていて、お金を払わずに使うのが当たり前だったわけです。そこを思い切って『お金を払わないと使えないですよ』ということにしたら、みんながお金を払うようになりました。Webメディアの記事も、同じだと思うのです」

PIANO Japan代表、江川亮一はそう語る。

1997年から一貫してIT企業でトップセールスとして活躍してきた江川は、2010年にデータマネジメントプラットフォーム(DMP)会社Cxence(シーセンス)の立ち上げに参画。日本法人の代表として、オンラインメディア企業の収益化やユーザエクスペリエンスの向上にコミットしてきた。

2020年2月、PIANO Softwareとの買収合併によりシーセンスはPIANO Japanになったが、メディア企業とのタッグはゆるがない。PIANOが得意とするサブスクリプションプラットフォームを得て、より強力に支援できるようになった。

日本では「Web記事はタダで読めるもの」という認識が根強い。「日経新聞 電子版」の有料会員数が70万人を突破したり、「NewsPicks」が15万人の有料会員を集めたりといった例はあるが、オンラインメディア全体の課金率は低水準にとどまる。

ニュースだけでなく、スポーツや旅行、ファッションといった、これまでなら雑誌を購入して読んでいたような記事も、「ネットなら無料」が染みついている。

「きちんと取材をして作り上げた記事は、紙の時代と同じく価値があるはすだし、対価を払うユーザーはいるはずです。にもかかわらず、そうなっていない。思い切って課金すべきだと思うんですよね」

メディアの側からすれば、そうはいっても無料に慣れきったユーザーが課金してくれるとは思えないだろう。有料メディアをユーザーは利用するでしょうかと問うと、江川はこう答えた。

「何もしないで待っていてもしかたがありません。ユーザーを変えるのはメディア側です。払わないと読めないという状態を作らない限り、ユーザーは変わりません」

江川は、インターネット創世記から今日まで、その歴史とともに歩み続けてきた。常に時代の最先端のテクノロジーやデジタルマーケティングに触れて培った知見により、いまのサービスが成り立っている。

江川から見れば、出版社は、宝の山を持っているようなものだ。個々人の趣味や関心に合わせたさまざまな雑誌そのものが、多様なポートフォリオである。新聞社も同様で、政治・経済といったジェネリックな記事もあれば、スポーツや囲碁・将棋、エッセイ・小説といった文化的な記事まで、幅広くカバーする。

ではなぜ日本では、オンライン上の記事コンテンツのサブスク化が進まないのか。そこには、二つの「壁」があるという。一つは、リスクを恐れること。もう一つは、B to Cの経験が浅いことだ。

サブスク導入が進まない二つの「壁」

もともと紙の媒体からスタートした出版社や新聞社では、デジタルへ乗り出すときも議論があった。記事のインターネット配信が、紙の売り上げを圧迫することが懸念されたからだ。しかしその後、ニュースのネット配信が一般的になり、さまざまな新興オンラインメディアが立ち上がると、「記事コンテンツ」は主に広告モデルによって収益化されるようになった。

パブリッシャーは、ページビューを稼いで広告で儲けるために、紙媒体なら有料の記事を、どんどん無料で読めるようにした。

だが、現在のインターネット環境では、これ以上の広告の伸びは期待できない。ページビューは頭打ちだし、タイアップ広告がそれほどスケールしないということもすでにわかっている。GDPR(EU一般データ保護規則)などの個人情報を保護するための規則や、プラットフォーマーのサードパーティクッキーの制限により、広告料金そのものも値下がりしている。

そこで、次の有力な収益モデルとして注目されるようになったのが、サブスクリプションモデルだ。日本ではdマガジンや楽天マガジンといった雑誌読み放題サービスはあるが、媒体ごとに会員制で記事コンテンツを配信するサービスはまだそれほど多くない。

一方で、メディアがサブスクに移行しようと思うと、ジレンマが生じる。有料会員になってくれるユーザーを囲い込むことはできるかもしれないが、引き換えにページビューが減少し、いまある広告収入を失うかもしれないからだ。

このジレンマが、一つめの「リスクを恐れる」という「壁」だ。

サブスクリプションに興味はあるが、広告収益を一時的に失うかもしれない。そうなると社内を説得しにくい。だから多くのパブリッシャーは新しい施策へとなかなか踏み出せないというのが現実だ。

「この10年ほど、メディア企業にとって苦しい時期が続いていると思います。いまこそ新たな収益モデルを作らなければいけないのですが、失ったものをどう補てんするかという発想だと、新しいものを生み出していくことが難しい」

そう言って、江川はこう問いかける。

「例えば、ページビューやインプレッション数を上げるために、がんばってサイトにユーザーを集めます。ではいったい、ユーザー一人あたり、いくらの広告売り上げになるのかというと、アメリカのある調査では、1年間で一人あたり100円程度と報告されています。少ないでしょう? それぐらいのボリュームなのです。その収益はそんなに必死に守るべきものなのでしょうか? それよりも、広告をなくす代わりに自信をもってユーザーに『私達の記事に100円払ってください』とお願いしてもいいのでは?」

今後、記事コンテンツを収益化していくためには、パブリッシャーが直接、ユーザーである読者に課金することは避けられない。そして、ここに二つめの「壁」が潜んでいる。

日本の出版社や新聞社は、販売・流通を、取次会社や書店、販売店に依存してきた。つまり「B to B to C」のビジネスモデルだ。既存の流通網を通さず、媒体ごとに自分たちでサブスクを立ち上げるなら、「B to C」のプロモーションが必要になる。ところが、パブリッシャーの多くは、「B to C」の経験が少ないと江川は言う。

「ユーザーに直接課金することをやってきていないのです。そのためノウハウがなく、どう課金すればいいのかがわかっていないのです。記事コンテンツの世界でサブスクの導入が進んでいないのは、単純にそういう理由が大きいと思います。パブリッシャーには優秀な方が大勢いますから、本当はもっと様々なことができるはずです」

サブスク成功のカギは「ファン」を育てること

二つの「壁」を打ち破るにはどうすればいいのか。江川は「小さくてもいいから、成功体験を積むこと」だと言う。

小さな挑戦を重ねていくことがとても大切だと江川は言う。実際、細かな施策を何度も繰り返すことで、1年で収益が10倍以上になったクライアント企業もあるという。

「最近だと、2019年10月から『文藝春秋』が、メディアプラットフォーム『note』を使っています。記事ごとに課金もできるし、月額読み放題プランも選べる。最初はそういうかたちでいいと思います。そこで、『お金を払ってくれる人がいるんだ』『自分たちの記事を買ってくれるのはこういう人たちなんだ』という体験をしてから、自分たちのサイトを作るなりしていけばいい」

江川の口から他社のサービス名が出てきたのに面食らう。

「もちろん当社のサービスを使っていただきたいですが、それ以上に、お客様の成功が一番だと考えています。システムは導入して終わりではありません。理想のシステムは、人の知恵や経験、アイデアをどんどん入れていって、うまくいったものを残し、成功パターンを作り上げていくということだと思います。当社もコンサルテーションは惜しみなく行いますし、パブリッシャーの皆さまの知見や自由な発想を意見交換していく事で、最適化されたシステムを構築できると信じています。いまは経験が少なくても、成功体験さえ積めば、アイデアはどんどん出てくるはずなのです」

ストラテジック・サービスの概要(PIANO Japan資料より抜粋)

シーセンス時代の2016年に、毎日新聞社デジタルメディア局が、DMPおよびパーソナライゼーション・ツールを導入した。前年6月に月額制の電子新聞サービス「デジタル毎日」をスタートしており、「ロイヤルティの高いユーザーを発見し、会員獲得に向けて迅速、かつ柔軟にアクションを起こせる効果的なツールを探していた」という。

原宿駅から道路を挟んだ正面にあるPIANO Japanのオフィスにて撮影。「利益も大切、でもそれよりもまず顧客のメディアの成長が先。だから私たちのサービスは、導入してもらって終わりではないんです」と江川は語る。

江川は、サブスク成功への道のりをこう語る。

「ページビューだけを眺めていてもダメで、個々のユーザーのエンゲージメントをいかに上げていくかが重要です。ロイヤルティの高いファン層が増えていかなければ、会員獲得にもつながりませんから」

エンゲージメントを上げる施策は、オンライン上のものに限らない。オンライン施策はすでに、さまざまな企業でトライアルが行われているだろう。その先で江川が重要視するのは、「リアルとオンラインをクロスさせること」だ。

「我々はサブスクと特典はセットだと思っており、記事以外にもユーザーに提供できるものがあると思います。例えば、有料会員でないと応募できないイベントを開催するとか、特別なプレゼントを用意するとか。媒体によっては、編集長や記者とのオフ会に参加できるとかでもいいかもしれない。そうすればエンゲージメントは高まっていく。応募のときに、記事やサービスに対するアンケートに答えてもらったりしたら、ものすごく貴重な情報になると考えています。パブリッシャーだからこそできることがたくさんあるのです」

ここにあげた以外にも、1回だけ立ち寄ったユーザーにどう課金するかとか、サブスクの値付けはワンコイン・ワンメニューでいいのかとか、入会の確度の高い人と低い人でどうプロモーションを出し分けるかとか、江川から次々にアイデアが出る。

「いちばん大事なのは、せっかくなんらかのデジタルツールを入れるなら、その媒体ならではのデータをとってほしいということです。年齢や性別ももちろん大事ですが、例えば、IT系のメディアだったら、年収などはどうでもよく、役職や部門がわかっていたほうが、広告主にアピールしやすい。あるいは、ファミリー向けのメディアであれば、お子さんの有無や学年がわかるとよさそうとか。自分たちのメディアの価値を表現するためにはどういうデータがあるといいのかを考えてほしいのです。そういうデータがたまってはじめて、施策に落とし込める。純広告の販売時の説得力や売り方自体が変わってくる」

媒体によって、ユーザーのタイプもニーズも全く異なる。「あのメディアがこういうデータを取っているからうちもやろう」ではなく、その媒体ならではのデータをとることが大事だと江川は言う。

シーセンスで10年間、メディアにおけるDMP活用とパーソナライゼーションを徹底的に磨いてきた江川にとって、サブスクと広告は対立するものではない。

「先ほどお話しした広告も、捨てているわけではなく、ちゃんと売りましょうということです。そのためにはやはり、ユーザーのことを知らないといけない。ユーザーを知れば、片方では有料会員獲得につなげることができるし、もう片方では広告の精度や成果を上げることができる。さらに言えば、広告主のためにいろんな施策を打っていくと、今度は自分たちのサービスにユーザーを集めたいときにどういうことをすればいいかわかってきます」

そうだとすれば、「リスクを恐れる」という一つめの「壁」も、「ユーザーを知る」ことで乗り越えられるはずだ。

「極端なことを言えば、適正な値段を払ってくれるユーザーは、数%でいいと思います。いまのユーザーのうち、2割を会員化すればいい。そのときに、一時的にでも売り上げを下げたくないなら、ページビューをキープしながらサブスクを始める方法もある。そこは両輪だと思っています。」

コンテンツづくりに邁進していればよかった編集者や記者にも、マーケティングの知識が求められる時代になった。江川は何年も前から、「パブリッシャーはマーケッターにならないといけないし、マーケッターはパブリッシャーにならないといけない」と言い続けてきた。

「当時からわりといいこと言っていると思っていたのですが(笑)。いまのほうが共感してくださるパブリッシャーが増えていると実感しています。シーセンス、そしていまのPIANO Japanになっても、我々は時代のちょっと先のことを伝えてきていると思っています。そのときは刺さらなくても、メディアの後押しをする提案を続けたい」

江川が目指すのは、メディアとユーザーがきちんと関係を結べる世界だ。

「巨大プラットフォーマーに頼るのではなくて、自ら立ち上がってユーザーとの接点をつくる。ユーザーを理解するために、会員にもなってもらったり、アンケートに答えてもらったりする。ユーザーと接点を持つことが、広告というかたちの売り上げもつくってくれる。さらに、ロイヤルティユーザーの意見を聞くことで、有料会員向けのサービスが充実する......というように、いいことづくめで回る世界をつくってもらいたいというのが、我々の考えです」


関連イベント情報

PIANO Japan年次イベント PIANO Recital 2020

概要
今年のテーマは「真のデジタル改革を実現するために」。サブスクリプションに関する成功事例や、画期的なマネタイズ戦略を紹介するセッションを展開する。

日時
2020年10月6日(火)13時〜17時(12時受付開始)

場所
WITH HARAJUKU HALL

費用
無料

登壇者

<基調講演>
デジタル市場競争に係る中期展望レポートについて
内閣官房デジタル市場競争本部事局次長
成田 達治氏

<導入事例紹介> (あいうえお順)
イードにおけるこれからのメディアマネタイズ戦略と企業がメディアを活用する意味~イードが目指す360°ビジネス~
株式会社イード メディア事業本部 副本部長
森 元行様

キリンホールディングスが考える今後のデジタル戦略について
キリンホールディングス株式会社 情報戦略部
進野 耕二様

『WIRED』日本版が考えるサブスクリプションとその価値
合同会社コンデナスト・ジャパン マネジャー
オーディエンスグロース/デジタルプロジェクト
高橋 努様

目指すはデジタル収益最大化 産経新聞のDX戦術
株式会社 産経新聞社 取締役 DX推進担当
鳥居 洋介様

モデレーター:PIANO Japan 江川 亮一