不確実な未来を生きる言葉

「すべきと考えることは一つだけ、それは希望をつくること」脇田玲──特集:不確実な未来を生きる言葉

新型コロナウイルス感染症の影響によって、社会にどのような変化が起きるのか、この先の未来をどう捉え直していくのか。本特集「不確実な未来を生きる言葉」では、さまざまな分野の識者の思考を通して、「不確実な未来」について問う小さなきっかけをつくりたいと考えている。私たちは考え続けることでしか前に進めない、考え続けることが人間の根源的な力だと信じて。

新型コロナウイルスが猛威をふるい、世界に大きな影を落とした。日々状況が変化するなかで、さまざまな分野の識者がどのようなことを思考しているのか。本特集では、さまざまな意見を集積していくことで、なにかヒントとなるような小さなきっかけをつくっていきたい。

科学と現代美術を横断するアーティストであり、慶應義塾大学 SFC 環境情報学部 学部長でもある脇田玲に4つの質問を投げかけた。

※本記事は2020年5月7日にオンラインで取材を行いました

脇田玲
科学と現代美術を横断するアーティストとして、高度な数値計算に基づくシミュレーションを駆使し、映像、インスタレーション、ライブ活動を展開している。これまでに Ars Electronica Center, Mutek, WRO Art Center, 清春芸術村, 日本科学未来館などで作品を展示。2016年からは小室哲哉とのコラボレーションを開始し Ars Electronica Festival や RedBull Music Festival で作品を発表。慶應義塾大学 SFC 環境情報学部 学部長 教授。(撮影:小田駿一)

Q.コロナ禍による影響で社会や生活のなにが変わったか、またその変化をどのように捉えているか。

人々の心の変化が一番大きいのではないでしょうか。不寛容になり、対立と分断が進んでいるという印象があります。

ネットで我々が感じる距離は、物理的な距離とは異なる、離散空間における位相的な距離です。感覚的には、誰でもワンホップでつながってしまうので、近くなりすぎたが故の分断が進んでいるのかもしれません。マーシャル・マクルーハンが60年代に「グローバル・ヴィレッジ」という言葉で表していた世界が実際に訪れていて、部族を基盤とした分断、もしくは思想を基盤とした分断が顕在化しているように感じます。ネットのコミュニケーションは隣人が増えやすいし、隣人同士は喧嘩をしやすい。距離が近すぎると争いが生じ、殺し合いに至ることもあります。

一方で、人間の想像力を遥かに超えるスピードで世の中が進んでいて、時代の変化の激しさを実感しています。たった数ヶ月でこれだけ世の中が変わる、それに人間の想像力が全くついていっていない。

とは言え、個人的にはいまの生活にも慣れてきたところもあります。例えば、「Zoom飲み」に違和感を感じなくなりました。こんな部屋で生活しているのかといった相手の見たことのない一面を知る機会がありますよね。最初はおもしろく感じたけれど、これにもまた慣れてきて日常化しつつある。

Zoom飲みは一例に過ぎませんが、オンライン生活に慣れていく自分に正直驚いています。ストレスよりも、新しくできることが増えていく喜びを感じるほうが多い。先日、初めて職場のデザイン系教員とオンラインで定例会議を行いましたが、ZoomとSlackで高度に連携して、普段の会議よりよっぽどスピーディかつクリエイティブで生産的でした。スチュアート・ブランドは「全地球カタログ(Whole Earth Catalog)」をつくるときに「Access to Tools」というコンセプトを掲げました。世の中には驚くような様々なツールがあり、それにアクセスする手段を提供することで、個人がかつてないほどにエンパワメントされるという思想ですね。その時代から比べると、格段にツールは強力になり、個人ができることの幅と深さが広がっていてすごいな......と。子供みたいですけど、そんなことを思っています(笑)。

Q.いま自身の置かれている状況でやれることやすべきことはなにか。また、「すべき」という言葉が持っている重さをどのように考えるか。

乗り越える、生き残る、といった言葉はとても強い。自分でも違和感を覚えながら使うことがあります。学部長という社会的立場と、アーティストとして好き勝手に生きている立場と、矛盾した二人の私がいるからだと思うのですが。

最近、衝撃を受けたのは、環境哲学を提唱しているティモシー・モートンの論考。そのなかで語られていたのは、生き残るという意味の「サバイブ(survive)」と、いまを生きる「アライブ(alive)」の違い。世の中でよく聞くのは「サバイブ」のほうで、この状況をいかに生き残るかということが盛んに語られます。首相や知事など組織を統率する人はサバイブを使いたいですよね、国家の究極の目標は生き残ることなので、国家にとって個人の幸福は実は二の次なのです。しかし、個人がいかに幸福に暮らすかということを考えると、「アライブ」が先にくると思うんですね。

「アライブ」の上に「サバイブ」が上書きされてしまう社会は怖いなと思っています。自粛警察なんて言葉があるようですが、お互いが監視しあうような状況がまさにそうで、政府とマスメディアが作り出した圧力というのか空気というのか、みんながサバイブのほうばかりを見てしまっている。

これはアーティストの立場として、個人として思うことですが、いかに生き残るかも大事だけれど、それ以上に、いかに納得して死ぬかが大事なのです。私が5年間病気と向き合って作品を作ってきた理由もそこにあります。死を理不尽なものとして避けるのではなく、いかに納得してその状況を迎えるかというマインドが生まれると見方が違ってくる。

国の政策は死生観に深く関係していると思います。かつての日本は森と神社が遍在しており、生態系のあり方に影響を受けた死生観を持っていたはずです。森が日常にあれば、個体が死して朽ちても、すぐに分解され、新たな生命の一部になる、死は終わりじゃなくて、大きな流れの中に自分が入っていく循環であるという考え、そのような死生観が根底に根付きます

しかし、近代化の中で森や神社は取り壊され、日本人の死生観はゆらぎ、その後のアメリカ化で快適で安楽な生に固執するようになった。そうなると死は理不尽でしかなく、人体にたくさんの管を繋いで延命を図る。政策としてもサバイブが全面にでてきて、外出自粛、ロックダウンという政策を打つことになる。

あと、「すべき」という言葉は軍隊的に感じてしまうんですよね。その言葉を使うことがあるとすれば、私が「すべき」と考えることは一つだけで、「希望をつくる」ことだと思っています。それ以外は「すべき」とは思えなくて。すべきという言葉を乱用するのは思考停止に繋がる危険性がありますし、結果としてその組織の魅力を弱めると思います。

そもそも、ウイルスってよくわからないものじゃないですか(笑)。なぜ、人に入り込んできて、宿主が死ぬまで増え続けるのか、到底理解できない。それが生命なのか非生命なのかも曖昧です。無限の自己増殖を夢見る謎だらけのミクロな対象。身体が違えば、意味世界も違うわけで、人間が理詰めで考えたところで到底乗り越えられない気がするんですよね。

Q.社会的な分断が起きているいま、つながりをどのようにつくるのか。

いま世の中は政治主導で動いているのだけれど、分断を語るときに「政治」と「アート」という2つの視点が欠かせないと思います。それは本当に広い意味での「政治」と「アート」についてです。

「政治」はある種の敵と味方をつくるもの。その区別に基づいて戦略的に、時に感情的に行動していくのが広義の政治だと思います。それは職場にも家庭にも趣味の世界にも存在していて、必然的に分断を生み出します。一方、「アート」は個人の特異性に着目することですから、そもそも他者を理解することは難しくて、それをどうやって乗り越えていくかが興味の中心になります。言い換えれば、敵との間にさえ新しいコミュニケーションを模索し、可能であれば友人になろうとすること。それがアートの一側面ではないでしょうか。

政治的なつながりの限界をいまほど感じている時期はないでしょう。そして、これほどリアリティを持ってアートを基盤としたつながりの重要性を意識する時もないと思います。

Q.いま、読み返したり見返したいと思っている本や映画などがあれば教えてください。

スタニスワフ・レムの小説『ソラリスの陽のもとに』(ハヤカワ文庫、1977年)は、5年前に病室で読んだのですが、人類とは全く異なる価値や意味をもった生命体とのコンタクトをテーマにしていて、死と向き合う日々の中で随分と救われました。アンドレイ・タルコフスキーが映画化しましたが、そちらも大好きです。新型コロナという理解しがたい対象と対峙するいまの状況に少し似ていると思います。

あと、大学の新入生向けの授業で参考文献としてあげているのは、漫画の『風の谷のナウシカ』(徳間書店、1982年-1994年)。これはいまの状況で読むと味わいが違う。腐海のほとりで瘴気を避けるためにマスクをして慎ましく暮らす人。そんな状況でも戦争や政治に明け暮れる人。対人の世界に固執せず、自然との繋がりに喜びを見出す主人公。本質を描こうとしたからこそ、未来をも描くことができたのだと思います。その意味では漫画の『AKIRA』(講談社、1982年 - 1990年)も必読ですね。ナウシカやAKIRAを読み返すと、聖書や経典とは最初はこうしたSFのようなものだったんじゃないかとさえ思うことがあります。2000年後にはナウシカは聖典になっているかもしれません。

漫画を単なる娯楽として消費するのもよいですが、数百年に一度のインシデントの中で向き合うとちょっと違って見えてきますよね。例えば、巨大隕石が落ちるとか、火山が噴火するとか、地球規模のインパクトがもたらされ、人類の生存が危ぶまれるような状況では何が起きるのか、そういうテーマを描いた漫画は多くあります。そのなかで描かれている生き方、溢れ出す人間性があるわけですよね。それこそが、先ほど言った「すべき」こと、希望をつくることなんだと思います。