不確実な未来を生きる言葉

「人間はそもそも不要不急を本質にしている動物」千葉雅也──特集:不確実な未来を生きる言葉

新型コロナウイルス感染症の影響によって、社会にどのような変化が起きるのか、この先の未来をどう捉え直していくのか。本特集「不確実な未来を生きる言葉」では、さまざまな分野の識者の思考を通して、「不確実な未来」について問う小さなきっかけをつくりたいと考えている。私たちは考え続けることでしか前に進めない、考え続けることが人間の根源的な力だと信じて。

新型コロナウイルスが猛威をふるい、世界に大きな影を落とした。日々状況が変化するなかで、さまざまな分野の識者がどのようなことを思考しているのか。本特集では、さまざまな意見を集積していくことで、なにかヒントとなるような小さなきっかけをつくっていきたい。

初めての小説「デッドライン」が第41回野間文芸新人賞を受賞した、哲学者・千葉雅也に4つの質問を投げかけた。

※本記事は2020年4月28日にオンラインで取材を行いました

千葉雅也
1978年栃木県生まれ。東京大学教養学部卒業。東京大学大学院総合文化研究科超域文化科学専攻表象文化論コース博士課程修了。博士(学術)。立命館大学大学院先端総合学術研究科教授。著書に『動きすぎてはいけない――ジル・ドゥルーズと生成変化の哲学』『勉強の哲学――来たるべきバカのために』『意味がない無意味』『アメリカ紀行』など。『デッドライン』が初の小説作品となる。

Q.コロナ禍による影響で社会や生活のなにが変わったか、またその変化をどのように捉えているか。

こんなに大事になるとは思っていなかったのが正直なところですが、僕はこれをきっかけに世の中が大きく変わるとはあまり思っていないんですよ。すごく率直に言うと、単に疫病が流行っているだけなので、できる限り元の世界に戻ることを希望しています。僕の生活において大きな変化は、夜に飲みに行きたいのにお店が閉まっているとか、普段は喫茶店でタバコを吸いながら原稿を書いたりしていたけれど、いまは家で作業をしているとか。喫茶店で集中できるので、家と喫茶店の半々ぐらいで仕事をしてきたけれど、行かなくしているということが執筆のペースに影響を与えているし、ニュースでもコロナの話ばかりだし、大学(立命館大学)も休講になっているので、全般的にストレスがかかっていると感じますね。

僕の仕事は大学に教えに行くことと原稿を書くことで、それぞれを切り替えることで気分転換になっているので、いまの状況ではそれがしにくい。散歩したほうがいいとか言いますけど、僕はそもそもあまり出歩くのは好きじゃないというか......。でも、やっぱりこの生活にも慣れますよね。家でも原稿を書けるようになってきたし、Zoomを使って学生と面談しているし。人間はそういう状況になれば順応できるものだと思います。

とは言え、人と会うのはやはり大事なこと。その上で何が変わるかというと、これまで打ち合わせのためにわざわざ新幹線で大阪に来てもらうことがありました、それはある種の誠意を見せるという意味を含んでいるのかも知れないけれど、実際のところは遠隔のビデオ通話でいいわけですよね。ビデオ通話での仕事は増えて、ハンコが減って電子署名が普及する、そういう流れにはなっていくと思う。テレワークが取り込まれ、働き方がアップデートされ、多少効率化するんじゃないですか?

わざわざ会うということはエネルギーを使うし、非合理的なことが多いけれど、人がリアルに集まることにはそれなりに意味がある。むしろ非合理的なものが大事なんだと。例えば、会議はその場で意見を出し合ってなにか決めるというより、すでに上位機関である程度決まったことが下りてきて、いちおう質疑応答を形式的にしてOKということにする場。儀礼的要素が強いものなんですね。いまは、組織の仕事をオンラインで行なって、儀礼的な機能はオンラインでも果たせている......というよりそれに置き換えるしかないわけですが、また状況が許すようになったら、わざわざお越しいただくことによる、決定の後押しや承認みたいなことがまた行われると思います。

Q.いま自身の置かれている状況でやれることやすべきことはなにか。また、「すべき」という言葉が持っている重さをどのように考えるか。

とにかくいまはやり過ごす時期なのであまり無理をしない、というのが僕の意見。だって非常事態ですからね。正直なところ、ある種の未来予測的なことを言うノリにはついていけないものがある。

この状況下で、かつてできていたことをテレワークで100%再現しようとしても無理な話だし、仕事のやり方が変わってくる。それはしょうがないわけですよ。人間の歴史にはそういう時期もあるし、人生にもそういう悪い時期はあるわけで。だから「いまこそ○○すべき」とかあまり思わないですね。だって、非常事態ですよ?色々と無理があるのはしょうがない。原稿も滞ることもあるし、夜もお酒を飲みはじめる時間が早くなってきてるし......それはしょうがないですよ(笑)。インフルエンザがなくならないように、なんとか対処しながらとやっていくことになるが、少なくとも生活のけっこうな部分は以前のように戻るでしょうね。

僕がいま危ういと感じているのは、管理社会的な動きが強まっていること。管理社会を批判していたリベラル層の人までも、「こういう事態になった以上は仕方ない」という風潮になっている。それはとんでもないことです。日本の法律では、強い休業命令は出せない、あくまで要請なんですよ。本当はどこを出歩いたっていい。だから、休業をしていない店に対して、草の根の自警団的な人たちが、まったく法的な根拠もなく「これ以上店を開くなら警察呼ぶぞ」と脅迫じみたことを言うような、一種のファシズム的な動きが出ていることには日々苛立ちを感じていますね。

こういう状況で、いかに新しい社会を考えていくかみたいな話より、今回の感染拡大防止のために人々が管理社会を求めた結果、草の根のファシズムが広がっていくことの行方のほうが問題。ウイルスの状況が落ち着いたところで、管理社会を支持するような空気が残ることのほうが恐ろしい。

そうした管理社会的な方向性が強まることを警戒しているので、そういう意味で「以前のほうがいい」と僕は思っている。そういった管理社会化に抵抗して、みんな勝手に生きろと言いたい。法的根拠もない圧力をかけられることに負けず、ちゃんと自由に生きなさい、そう言いたいですね。

Q.社会的な分断が起きているいま、つながりをどのようにつくるのか。

今回の件で分断が生まれたと考え、その分断をさらにつなげようとするから話が余計にこじれるんですよ。元に戻せばいい、前のように振る舞えばいいんです。だから、分断されたものをまたつなぐという発想ではなく、相変わらず自由にふるまうということが僕は大事だと思っている。

Q.いま、読み返したり見返したいと思っている本や映画などがあれば教えてください。

気分転換にOculusのVRヘッドセットを買って、スキューバダイビングの360度の映像を楽しんだり、巨大な湖に行ってみたり、パラグライダーに乗ってみたり......そんなことをしています。普段から家の周りでしか行動してないけれど、それでもこんなにストレスが溜まるのは、「しない」ことができなくてもいいかというと、全然そんなことはなくて、しないにしても「できる可能性がある」ことが抑止されていることが問題。「できる可能性がある」ことが人間にとってすごく大切。必要なことだけできればいいんじゃない。

人間というのは、他の動物より脳神経が複雑だから、必要性だけで生きてる動物ではない。必要なことと、満たすことが1対1対応してないわけですよね。ある動物は食べるものが決まっているが、人間は同じ食欲という欲求を満たすためだけでも、無限の行為の可能性が広がっている。例えば性欲についてもそうで、欲求を満たすための条件が複雑化しているので、通常の動物のように生殖の目的のために雄と雌でつがいになるだけじゃなくて、それがすごく複雑なルートに展開した結果、同性愛なども成立している。

人間はそもそも「不要不急」を本質にしている動物なんですよ。それをこのコロナの状況下で、できるだけ効率的に必要なことだけすればいいという風になっていくと、すごく人間にストレスを与える。人間の定義に反するわけです。逆にいうと、僕はいま無駄な会議に出たいくらい。無駄な対面の会議に出たら、きっと清々しい気持ちになると思っている(笑)。人間性を取り戻されたという感じがして。そうした奇妙な欲望と、不要不急なものが実は必要だということが、つながっていると気づかされますね。