編む

編集とは異なる価値観をつなぐもの。影山裕樹が模索し続けるローカルの可能性

編集者・影山裕樹は、ローカルを軸にさまざまなプロジェクトに取り組んでいる。その活動の根底には、東京を中心に動くマスメディアへの失望と、小さなコミュニティを活性化させるローカルメディアへの期待があった。彼の言葉を足掛かりに、これからの編集者に必要とされる能力や役割について考える。

マスメディアの射程圏外に、ローカルのおもしろさが潜んでいる

──影山さんがローカルを軸に"編む"という行為をするようになったのは、いつ頃からなんですか?

ターニングポイントになったのは、2013年の秋に開催された「十和田奥入瀬芸術祭」ですね。もともとアート系の出版社に勤務していたので、独立してからも美術館や芸術祭の図録を編集する機会が多かったのですが、会社員ではなくなったことで、ひとつの地域に長く滞在して仕事する機会が増えました。いわゆる芸術祭やアートプロジェクトに編集者が関わる場合、"業者としての編集者"という役割になることが多いのですが、十和田奥入瀬芸術祭ではキュレーターやディレクターと同じディレクションチームにジョインさせてもらったんです。それで、単に編集者として図録や広報ツールを作るだけでなく、芸術祭のコンセプトやストーリーを考えたり、『十和田、奥入瀬 水と土地をめぐる旅』(青幻舎、2013年)というものがたり集を制作したりと、言葉にまつわる業務全般に携わらせてもらいました。

影山がエディトリアル・ディレクションを務めた、十和田奥入瀬芸術祭(2013年9月21日〜11月24日)ではプログラムの一つ「ものがたり集」編集・制作。複数の時が重なる青森の土地を、気鋭の作家たちがめぐり物語をつむいだ、地誌とフィクションが融合する新たな試み。

半年〜1年くらいの時間をかけて、一つの地域とじっくり関わっていくと、東京のメディアが取り上げないローカルのおもしろさがあることに気づき始めたんです。観光客や取材者の目線でしか捉えることができないうちは、ローカルのおもしろさってなかなかわからないんですよ。そうした経験を元につくったのが『大人が作る秘密基地』(DU BOOKS、2014年)です。地元ではちょっと変わった人、言葉を選ばずに言うとあまり関わりたくないタイプの人っていますよね。そこが実はおもしろいんです。そういうはみ出し者って、東京のメディアに取り上げられることはもちろんない。完全にマスメディアの射程圏外に、おもしろい人たちが地方にはわんさかいることに気づいた。

実はこの本を書くまでは、東京のメディア業界で仕事していることに対するプライドが少なからずあったんです。でも、都心の居酒屋で業界人たちが繰り広げるネタ合戦に、疑問を感じるようになっていました。

──その疑問というのはたとえば?

本当におもしろいものを掬いきれてないんじゃないかと思うんです。雑誌では毎年のように京都特集が組まれますが、京都の中心部のお店紹介ばかりなんですよ。その方が売れるのかもしれないですが、その外側のエリアが見えてこないし、メディアが繰り返し京都の中心部を取り上げることで、結果としてオーバーツーリズムの問題が生まれてしまった。また、東京に集積するマスメディアでは、地域の人にとって本当に必要な情報が取り上げられない。だからこそ、地元の人が自分たちの手で必要な情報を発信するメディアを紹介したいと思って、『ローカルメディアのつくりかた』(学芸出版社、2016年)をつくりました。

全国各地で発行される雑誌、フリーペーパー、書籍などの紙媒体を中心とした「ローカルメディア」の作り手たちを取材し、一冊にまとめた『ローカルメディアのつくりかた』。内容面だけではなく、デザイン、流通、読者とのコミュニケーションの仕方など、様々な工夫により地域と人をつなげているメディアの可能性を三章に分けて紹介。

ローカルでは東京的なメディアのルールが通用しません。編集者は編集だけしていればいいわけじゃない。地元の企業に挨拶して協賛を募るところから始めないといけない。編集者はコンテンツをつくるプロフェッショナルですが、クリエイティブ産業が集積しづらいローカルでは、コンテンツが生まれる土台、編集者やライター、デザイナーなどのクリエイターが自らお金の稼ぎどころを生み出すところから始めないといけない。これって大変な一方、すごく魅力的な仕事じゃないですか。

『ローカルメディアのつくりかた』がきっかけとなって、「CIRCULATION KYOTO(サーキュレーション キョウト)」というワークショップを2017年に京都で開催しました。地元の視点で、京都の魅力を掘り下げていくローカルメディアを作ろうというワークショップです。

京都市左京区にある劇場「ロームシアター京都」がプロデュースした、一般参加型のメディア制作ワークショップ「CIRCULATION KYOTO」。1年かけて市民とともに京都のローカルメディアを構想・発表した。

このシリーズは全国に巡回していて、現在は「CIRCULATION SAITAMA(サーキュレーションさいたま)」というワークショップに取り組んでいます。埼玉が抱えている問題って、実は京都と同じだったりするんですよ。結局、中心と周縁の構図なんです。東京とのアクセスが良いために、地元を省みなくなっている埼玉市民が、埼玉の中で仕事もプライベートも完結するような、人の循環を生み出したい。それがCIRCULATION SAITAMAの目標です。

CIRCULATION SAITAMAの参加者が、半年間のワークショップの成果を発表した公開プレゼンテーションの様子(Photo by Mika Kitamura)

──ちなみに、影山さんは"ローカル"という言葉をどのように捉えているのでしょうか?

ローカルって、そこで暮らしている人たちの小さなコミュニティのことなんですね。なかには特有のしがらみが嫌で離れる人もいますが(苦笑)。でも、今回の新型コロナみたいな災害やトラブルが起きた時に重要になってくるのは、距離的に近くにいる、相談できる小さなコミュニティの存在だったりする。

かつて一億総中流階級幻想が成立していた時代は、国民国家という大きなコミュニティを支える新聞とかテレビのようなマスメディアが力を持っていたと思うんです。でも、社会の成熟とともに格差が広がり、外国人も増えて、今の日本社会は、大衆というひとつの大きなコミュニティで括ることができません。

「そもそもメディアはコミュニティに奉仕するもの」。お互いが認め合う機会をつくることこそ、オーソドックスな編集者の仕事だと影山は考える。

だからこそ、小さなコミュニティに複数所属して、そこに属する人たちが互いに支え合って自発的な活動を生み出していくことが価値になる時代が来る。その時に大きな役割を果たすのが、これまでのように、情報を均一に、一方通行に発信するメディアではなく、相互に情報を交換しあうためのツール=メディアなのです。

僕はこれを「コミュニティメディア」と呼んでいるんですけれど、そもそもメディアって、特定の価値観を持つ人たちがお互いに承認し合うための媒体だったと思うんですね。商業誌だって、もとを辿れば同人誌なわけじゃないですか。それと同じで、誰かががんばっているとか、何かに取り組んでいるとか、そういう小さな活動を支えたい人たちが、自然とコミュニティを形成していた。そのコミュニティをドライブさせるために、メディアが必要だったにすぎないわけです。

編集者の顧客提供価値は「異なる価値」をつなぐこと

──では、コミュニティメディアの時代において、編集者はどういう役割を担っていくことになるのでしょうか? 

逆のことを言っているように聞こえるかもしれませんが、僕は「異なるコミュニティをつなぐ」というミッションを大事にしています。たとえば、雑誌の座談会記事で原発反対派同士をセッティングしたら、目次を見ただけで結論がわかるじゃないですか。そんな雑誌、わざわざ買わなくてもいい。賛成派と反対派を呼んで、議論に着地が見えなそうなところに初めて人はお金をベットする。編集者の顧客提供価値って、単に情報を届けることではなく、普通に生活していたら巡り合わないような人と人、価値観と価値観のぶつかり合いを見せてくれるところにあるのだと思うんです。

これまでのマスメディアの世界では、視聴率やPVなどの目に見えない量的価値にばかり関心が集まっていた。より多くの人に見てもらっているということに、価値があった時代です。でも、果たしてその数字一つひとつにどれほどの価値があるのか。本当は、1万人が見たということより、一人の人の人生が変わったとか、失われていたお祭りが復活したとか、質的価値のほうが重要な時代だと思うんですよね。

ローカルメディアの話でいうと、幅允孝さんが率いるBACH(バッハ)が兵庫県の城崎温泉だけで流通する本を作る出版レーベル「本と温泉」の企画・編集に携わっていますが、これは本自体に城崎温泉の魅力が詰まっているだけでなく、城崎温泉にわざわざ行く導線をつくる役割も果たしています。なぜなら、ネットでも書店でも買うことができず、城崎温泉街の店舗でしか買うことができないからです。本を"読む"体験だけでなくて、買いに行くまでの体験をプロデュースしている。

マーシャル・マクルーハンは「メディアはメッセージである」と言いましたが、「好き」というメッセージを伝えるにしても、手紙なのか、LINEなのか、電話なのかで相手への伝わり方は変わりますよね。メッセージ(コンテンツ)そのものではなく、どんなメディアを選ぶか、どのようにコンテンツ体験を提供するかという、コンテンツの外側を考えるのも編集者の役割になってきた。

「あまり人付き合いはいいほうではないんだけど...」と語りつつも、よそ者としてローカルに赴き、「コミュニティ」の価値を模索していくのが影山の姿勢だ。

──ただ、東京を拠点にしている人が地方で仕事を得るためには、一定のハードルを越える必要があるように感じます。

地方は「金より信頼が流通している」なんて言われるくらいですからね。「一升瓶を持ってこい」っていう世界なんです(笑)。信頼されればいくらでも仕事はあるし、逆を言えば信頼されないと生きていけない。ある意味で息苦しいんですけど、実はインターネットが持つ軽やかさと上手く組み合わせることで、適度な距離感を保ちながら地域コミュニティとうまく渡り合う方法もある。「媒介物」としての「メディア」はまさに、よそ者と地元の人をつなぐうってつけのツールになります。だから、そういう「異なる立場にいる人」をつなぐためのメディアづくりやコミュニティづくりワークショップを全国で開催しているんです。

──とはいえ、言葉で言うよりも信頼を勝ち取るのって難しいですよね。

今、コロナ禍の影響で直接会えないことに悩んでいる人は多いと思うんですけれど、そもそも都市に住んでいる人って、地域コミュニティと関わることってほとんどなかったんですよ。仕事場とコンビニと家の往復だけで、ローカルと関わってこなかった。そのことに改めてみんな気づき始めている。コロナ前から、都市に暮らす人々は、マスメディアやSNSが発信する情報ばかりを追っていて、足下のリアルな人とのコミュニケーションを存在しないものとして避けてきた。

家族や親戚以外との、面倒なコミュニケーションを怠ってきた都市の住人が、コミュニティの価値に気づいていくべき時代なのだと思います。弊社で企画運営している「EDIT LOCAL」でもオンラインコミュニティ事業を昨年からスタートしています。

風土や条件がまったくことなる各地で、まちを"編集"するために必要なスキル、人材、メディアを立ち上げるために必要なメソッドを、実践者の言葉を通して紹介するウェブマガジン「EDIT LOCAL」。千十一編集室で企画制作を行なっている。 http://edit-local.jp/

オンラインサロンって虚業みたいなところもあるし、基本的には受け身で参加する人のほうが多いと思うんですけど、家族や職場、親戚、同級生などとは違った、別のコミュニティに所属する訓練を僕も含めて多くの人がやらないといけないと思う。コミュニティは災害の際にセーフティネットとして機能します。悩んでいる時に相談に乗ってくれます。僕らがこれまで避けてきた「コミュニティ」の価値を模索していきたい。最近は「サードコミュニティ」というキーワードを提唱しています。

「作り手」と「ファン」という非対称な関係から「共創者」へ

──影山さんはウェブメディアの運営に携わることもありますよね。ここ数年は閉鎖するウェブメディアも少なくないですが、この状況について考えていることはありますか?

僕は「マスメディア病」と呼んでいるんですけど、要は長いものに巻かれる心性。マスメディアからSNSの時代に変わっても、いまだにメンタリティが変わってない。芸能人がインフルエンサーに置き換えられただけで、結局みんな、声の大きい人に集まっていく。オウンドメディアが流行っているからといって、みんな安易に飛びついて失敗していますが、オウンドメディアって広報予算で運営している企業が多いと思うんですね。ただ、企業のブランディングって、1年で結果が出るわけがないんですよ。CMを出したら売り上げが何%上がったなんていう話は、刹那的なものでしかなく、10年くらいかけてブランド価値を育てていかないと、本質的には企業の利益に結びつかないと思うんです。

『ローカルメディアのつくりかた』でも紹介したのですが、滋賀県近江八幡市で老舗菓子舗を営む「たねや」では、『La Collina(ラ コリーナ)』という広報誌の発行を7年以上続けています。しかも、10年は続けていくようです。自社のPR媒体ではなく、たねやさんが根ざす近江八幡の魅力を地道に発信していくことで、結果として「たねや」のブランド価値が高まっている。メディアを広告の重力から引き剥がしていくことがオウンドメディア運営に大事なポイントだと思います。

──広告の収益がなければ成り立たないメディアもたくさんありますよね。そういう意味では、これまでのメディアと広告の関係は表裏一体だったと思います。だからこそ、メディアと広告を分けて考えるのは難しいのでは?

わかります。でも最近のローカルで発行されるメディアの多くは東京の広告代理店が絡んでいて、地方自治体や地元企業の予算が東京の企業に還流する悪しき流れを作ってしまっています。メディアと広告業界の関係を引き剥がしていくには、メディア自体の本来の役割、つまり、「コミュニティを育てる」ということに常に立ち返ることが大切だと思っています。

広告収入って、PVや視聴率など、エンゲージメントの少ないユーザーの数字に広告主が払っているお金のこと。そうではなく、企業や人、自治体のがんばっている取り組みを「応援したいから」とか、「自分も手伝いたい」というコミットメントの欲望をもって、お金をベットしてくれる人をどうやって増やすかを第一に考えるべきです。

『現代農業』という月刊誌があるんですが、農家一軒一軒に定期購読をお願いしに行く際に、ちょっとした世間話をするんです。その世間話で出てきたネタが東京の編集部にデータとして集まり、それを元に編集部が特集を考える。そうすると、農家さんは自分が話したネタが記事になるわけだから、「自分が作っている雑誌」という意識を持てるわけですよね。「作り手」と「読者」という非対称な関係ではなく、「共創者」を仕立て上げるのが、これからのメディアのキーワードだと思います。

コンテンツのことだけを考えていればいい時代は終わった、コンテンツの外側からメディアそのものを考えていく必要がある。作り手と読者が共創する関係性にあるローカルメディアはそれを実践している。

──最後の質問です。影山さんが関わった企画や書籍を拝見すると、『秘密基地の作り方』だとか『野外フェスのつくり方』だとか、『ローカルメディアのつくりかた』もそうですけれど「つくり方」というキーワードを目にすることが多いと感じています。これが意味することは何なのでしょうか?

既存のエンタメ業界って、日本人が横並びに成長していた大量生産・大量消費の時代に右肩上がりに肥大化し、そのなかでプロフェッショナルのディシプリンが継承されてきた。職人的なクリエイターを社員として雇用することができていた。映画会社なんて監督から俳優まで雇用されていた時代がありましたから。これからの時代は既存のジャンルがどんどん崩壊していくだろうし、フリーランスも増えていくはず。まさに出版業界もそうです。かつてのような、優れたコンテンツをつくる職人としての編集者も、継続的に雇用するのが難しくなってきている。

そうなると、これまでの職業にはなかった、新しいディシプリンを作っていかなといけないんじゃないかなという気がしていて。建築家ではないのに、なんか面白い秘密基地つくっちゃう人だとか。ミュージシャンなのにフェスをやって地元コミュニティを巻き込んでいる人だとか。日本社会が、特に大衆文化を支えていたエンタメ業界がものすごい勢いで衰退している時代に、新しいクリエイターを見出し育てていく文脈をつくっていきたいですね。