編む

特集「編む」━━序文:社会に成熟をうながすために(編集家・松永光弘)

「編集」という言葉がビジネスの現場で目にする機会が増えた。ビジネス関連の書籍タイトルによく使われることからも、注目の度合いはうかがえる。本特集「編む」では、いわゆる編集の活用術の話は出てこない。コンテクスト(分脈)をいかにして編んでいくのか、異なる価値をいかにして編んでいくのか、そうした行為の実践者の思考に着目していく。

情報を整理する、要約する、連想させる、「らしさ」を発見する、異なる要素を掛け合わせる......いずれも「編集」という行為に含まれていて、さまざなビジネスの現場でアイデアを生むときに求められる考え方のひとつといえる。

本特集で「編む」というテーマ設定したのは、企画力や発想力を引き出すためのツールとして、いわゆる"編集術"の話をしたいからではない。「編む」という言葉は、少し抽象的だけれど、自分に手繰り寄せていくと思考の推進力となる、そんな予感からだ。一見すると異なる要素を結びつけることで、新しい意味や価値を与えることができるのではないか、と。

まずは本特集の序文として、広義の「編集」の研究家および実践家であり、広告やデザインなどのクリエイティブジャンルの書籍の多数手がけている、編集家の松永光弘に「編集とはなにか?」を具体的に紐解いてもらった。

序文:社会に成熟をうながすために(編集家・松永光弘)

松永光弘
編集家。「編集を世の中に生かす」をテーマに、書籍づくりだけでなく、企業の広報・ブランディング、研修やスクールの立ち上げ、講演や司会など、さまざまな「モノやコトの編集」に取り組む。自著に『「アタマのやわらかさ」の原理。クリエイティブな人たちは実は編集している』(インプレス)。

「編集」という言葉は、もはや知らない人がいないくらい世の中になじんでいる。だが、その定義は......という話になると、じつは急に存在がおぼつかなくなる。多くの人が漠然ともっているイメージはおそらく「本をつくること」だろう。実際に、市販されている辞書のなかにも、そう定義づけているものが少なくない。出版にかかわる編集者の仕事をそのまま「編集」ととらえる向きもある。

しかし「編集」は、これまでも出版以外の分野で重要な役割を果たしてきている。映像制作にとって「編集」はなくてはならないプロセスだし、テレビやラジオの番組制作でも、かならずといっていいほど「編集」がおこなわれる。PCやスマートフォンのアプリケーションのメニューにも「編集」という文字が並ぶ。「本をつくること」でないのは明白だ。

では、「編集」とはいったいなんなのか。

ぼく自身、長いあいだ「編集」の仕事にたずさわりながら、ずっとそのことを考えてきた。出版の編集作業にも含まれていて(あくまで「含まれている」)、かつ映像制作などの他ジャンルの編集作業にもあてはまる定義はなにか、と。そこがつかめかれば、もっと確信をもって「編集」という営みをさまざまな分野で活かすことができると思ったのだ。

そうしてたどり着いたのが、つぎの定義だった。

「編集とは、組み合わせのなかで、価値や意味を引き出すこと」。

「遊びの時間」なのか、「恵まれた子どもたち」なのか

具体的に説明しよう。ここに1枚の写真がある。写っているのは、大きなプールで楽しそうに遊ぶ子どもたちだ。

この写真のとなりに、鉛筆を片手に宿題に取り組んでいる子どもの写真を並べてみる。すると、最初の写真は「遊びの時間」という意味を帯びてくる。

  

では、となりにアフリカで撮られた小さな子どもの写真を並べるとどうなるだろうか。今度は最初の写真に「恵まれた子どもたち」といったニュアンスがにじみはじめる。

 

左側の写真には、なんら手を加えていない。2組とも、まったく同じものを用いている。しかし、となりに並べる写真を変えるだけで、その意味が一変してしまう。「組み合わせるもの」を変えることによって、ちがった「価値や意味」が引き出されてくる──これが「編集」の基本形である。

もちろん、写真だけにあてはまるものではない。組み合わせる対象が文と文でも、同じことが起こる。

「私はあなたに恋をした。毎日が光のなかにいるようだわ。」

という組み合わせなら、幸せそのものでしかなかった1つめの文が、

「私はあなたに恋をした。すべてを失ったわ。」

という組み合わせでは、文面が変わらなくとも、後悔を意味するものになる。

実際に、出版の編集者が文章を「編集」するときには、こんなふうに文と文の組み合わせを吟味しながら、書き手の意図がきちんと引き出されるよう、組み合わせに調整を加えたり、文の修正を書き手に依頼したりしている(その編集者が「組み合わせを扱っている」と意識しているかどうかは別として)。映像の「編集」も同じだ。カットの組み合わせのなかでストーリーという意味を描きだしていく。

扱う対象がなんであれ、「編集」とは、組み合わせをコントロールしながら、モノやコトから価値や意味を引き出していく営みなのである。

「編集」にはモノやコトを"異化"する力がある

それにしても、ただ組み合わせをつくるだけで、なぜこんなふうに意味を変えることができるのか。じつはここには「モノやコトは関係性のなかで解釈される」という前提がある。

たとえば、ぼくという人間は、いまこの原稿を書いている時点では「執筆者」と解釈される。しかし、妻がとなりにいれば「夫」であり、子どもと向きあえば「父」になる。プロジェクトのメンバーたちと話しているときは「仕事仲間」だし、かつて通っていた学校を訪れれば「卒業生」だ。

ぼく自身が変わるわけではないが、関係づけるものが変わるだけで、価値や意味がちがってくる。モノやコトは関係性のなかで解釈されているのである。そして、ここでいう関係性とはすなわちコンテクスト(文脈)のことでもある。モノやコトの価値や意味はコンテクストが手がかりとなって発現する。「編集」という営みは、これをうまく活用している。

こうした "編集の原理"を生かせば、ぼくらが慣れ親しんできたモノの価値や意味を再発見することもできる。

たとえば「コーヒー」は、「飲食」というコンテクストのなかで解釈すると「飲み物」という意味になる。「睡眠」というコンテクストのなかでは「眠気を妨げるもの」「眠気覚まし」などと解釈される。だが、「人間関係」「コミュニケーション」というコンテクストのなかで解釈すれば、「コーヒー」に「人と人の気持ちの距離を近づけるもの(=コーヒーを一緒に飲むことが仲よくなるきっかけになる)」という意味を見つけられたりもする。

組み合わせるものを変え、コンテクストを変えることで、見慣れたモノの価値や意味を塗りかえることができるのである。「編集」には、既存のモノやコトの価値や意味を「異化」する力があるのだ。

社会に成熟をうながすために

この「異化」こそが、近年、さまざまな分野で「編集」が求められてきた最大の理由のひとつでもある。

個性的であることが称賛され、価値観にひもづいたコミュニティがいたるところに存在するいまの時代は、すべてを解決できるたったひとつの正解をのぞむのが難しくなっている。逆にいえば、個々の生活者が満足すれば、それが正解になるわけで、正解はひとつではなく、複数存在するということになりがちだ。ビジネスの世界でも、かつてのようにマスとしての生活者の嗜好をさぐり、そこにぶつけにいくように商品やサービスを提供するやりかたは通じなくなりつつある。

だが、「編集」の考え方をもちこめば、"正解"への対応がしやすくなる。すでに見たように「編集」を用いれば、ひとつのモノやコトから多彩な価値や意味を引きだすことができる。多様な生活者、コミュニティに対して、多様な価値を提案しやすいのである。

それをうまく実現している例のひとつが、スマートフォンだろう。ときにはカメラ、ときにはコミュニケーションツール、ときには仕事道具......と、アプリとの組み合わせのなかで、さまざまに価値や意味が引き出されていくスマートフォンは、まさに編集の時代の象徴的なプロダクトだ。

あるいは無印良品の取り組みも、近い例かもしれない。装飾を減らして、"素"であることを心がけた彼らのプロダクトは、いろいろなシーンで多様なモノと組み合わせをつくりやすく、意味合いを変えやすい。

こう説明すると「編集」という営みが売るための方法論のひとつのように思えるかもしれないが、本質はそこにはない。「編集」の真骨頂は、あくまで物事の存在や意義自体を問いなおし、そこに新しい魅力を見いだすことにある。それは同時に、人びとの多様な価値観や生きかたを肯定することであり、それぞれに充実をもたらしもする。

「編集」とは、社会に成熟をうながす思想なのである。

そして、世の中はさらに変わりつつある。あっというまに世界を席巻した新型コロナウイルスは、平坦だった日常を力づくでねじまげた。ぼくらが働き、遊び、暮らしてきた"舞台"自体に大きな変化が生じたわけじゃない。ただ、かつてと同じようにそこで振る舞うことが、突然できなくなった。すぐさま社会をつくりなおすわけにもいかないだけに、しばらくはこの状態がつづくのかもしれない。

「できない」をつきつけられると、人は萎縮しがちになる。そこにないもの、かつてあったものに思いをはせて、無力感にさいなまれたりもする。

でも、ほんとうに「できない」のか──その自問から創造ははじまる。

"クリエイティブ"には遊びごころが大切だといわれるし、それは嘘じゃない。しかし、暮らしや文化を救うような芯のある提案は、むしろ絶望や落胆から這い上がろうとするときにこそ生みだされる。

いまぼくらに問われているのは、そんな切実さをともなった本物の創造性の発揮だ。見なれた物事のなかに、必死で新しい可能性を見いだしていく。きっと「編集」は、その助けになるはずだ。