不確実な未来を生きる言葉

「不確実性との付き合い方の中から発想する」渡邊恵太──特集:不確実な未来を生きる言葉

新型コロナウイルス感染症の影響によって、社会にどのような変化が起きるのか、この先の未来をどう捉え直していくのか。本特集「不確実な未来を生きる言葉」では、さまざまな分野の識者の思考を通して、「不確実な未来」について問う小さなきっかけをつくりたいと考えている。私たちは考え続けることでしか前に進めない、考え続けることが人間の根源的な力だと信じて。

新型コロナウイルスが猛威をふるい、世界に大きな影を落とした。日々状況が変化するなかで、さまざまな分野の識者がどのようなことを思考しているのか。本特集では、さまざまな意見を集積していくことで、なにかヒントとなるような小さなきっかけをつくっていきたい。

情報と身体を結びつける自己帰属感とそのインタラクション手法の研究をする、明治大学総合数理学部准教授の渡邊恵太に4つの質問を投げかけた。

※本記事は2020年4月23日にオンラインで取材を行いました

渡邊恵太
明治大学総合数理学部 先端メディアサイエンス学科 准教授。博士(政策・メディア)(慶應義塾大学)。シードルインタラクションデザイン株式会社代表取締役社長。知覚や身体性を活かしたインターフェイスデザインやネットを前提としたインタラクション手法の研究開発。近著に『融けるデザイン ハードxソフトxネットの時代の新たな設計論 』(BNN新社、2015年)。

Q.コロナ禍による影響で社会や生活のなにが変わったか、またその変化をどのように捉えているか。

普通の感覚というもの、その感覚すら忘れてしまうような状況なので、そうした変化について正直あまり考えないようにしている。

葛藤しているのは、自分の置かれている職業やスキルが、なにか役立つんじゃないかなと、研究者やデザイナーは考えて、実際に色々と行動されている人がたくさん居ると思うんです。一方でそれをやろうとしたときに、あんまり大胆に活動できない。僕もなにかしようと思うんだけれども、移動を伴うと行動を制限されるので、あまりできていない。そうした難しさがある。

また、コロナの収束後に社会は変わっていくという話をしている一方で、意外と普通に戻っちゃうんじゃないの?と思うところもある。IT系を推進する人たちは、これを機に変わっていくと言ったほうが都合いいので、そりゃ言うよねって思うんですよね。僕自身も、教育は変わっていくと言ったほうがいいような気がするのですが、なんでしょうね......その辺りも含めて悩ましいです。

Q.いま自身の置かれている状況でやれることやすべきことはなにか。また、「すべき」という言葉が持っている重さをどのように考えるか。

個人的にやっている小さなことで言えば、ずっと家のなかにいると空間として均質な状態になるので、Google Homeで環境音みたいなものを再生してそれを防ぐようにしている。

教員としての目線で言えば、場や機会が奪われていると強く感じています。発表する場があって、そこに意識が向かっていくことが、学生にとって大事な気がしていて、つまりモチベーションづくりですよね。会社や組織は「場」を中心とした集まりなわけですよね。あらゆる活動が「集まる」ということ前提として成り立ってきたわけですが、それって一体なんなんでしょうね、よくわからなくなってきました(笑)。

だから、学生はメンタルケアの部分が大事になってきている。メンタルがやられてしまうと学ぶということに非常に大きなダメージがある。幸いにも情報系の学科なので、コンピューターさえあればできることはあるんですけれども、場所を変えることをトリガーとして活動するモチベーションとなり得る。一方で、Slackなどのオンラインのツールは研究室で昔から使っているので、そんなに日常は大きく変わっていない感じもあります。

いまは、「アフターコロナ」「with コロナ」などと、なにか名前をつけて納得したいという状況があるんでしょうね。ここ数年使われることの多い「不確実性」という言葉は、僕自身もよく使うのですが、まさに「不確実性のかたまり」に世界が漬かっちゃうという状況がすごいなというか。

Q.社会的な分断が起きている状況で、つながりをどのようにつくるのか。

初めましての人同士のつながりの構築は、インターネット上では難しいのではないかという話もありますが、デーティングサイトはそれ自体が目的だったりするので、サイト設計においては、初めまして同士のつながりを作っていくことがされていると思うんです。新入生や新入社員に対して、良い設計ができるヒントがあるんじゃないかと。とは言え、デーティングサイトとはそもそものゴールが違うので、何かできるか思いついてはいないのですが、応用ができればいいですよね。

私が教えている先端メディアサイエンス学科は、「まだ誰も体験したことのないものを世の中へ」というキャッチコピーを掲げています。不確実性というものとの付き合い方の中から、未来のことを考えていきましょう、という発信をしていく側なのですが、誰も予想していない状況が向こうからやってきてしまった。

これまでの「未来」という考え方自体が、連続的な発展を前提としている時にしっくりくる。それよりも、我々にとっては不確実性と常に向き合っていくことが、それが未来と向き合うことではないのかなと。だから、安易な未来予測みたいな話には、コロナ禍の前からモヤモヤしていましたね。

パーソナルコンピュータの父といわれるアラン・ケイは、「未来を予測する最善の方法は、それを発明することだ。」と言っています。未来を予想するということは馬鹿げている、試してつくってみればいいじゃんという話ですが、「未来」を「不確実」という言葉に置き換えて、不確実なものを除去してみることが、未来につくるべきものをというような発想をしていく時代なのかも知れない。

Q.いま、読み直したい本や、改めて観たい映画などがあれば教えてください。

昨年、「ジョーカー」(トッド・フィリップス監督作、2019年)を観た流れで、「ダークナイト」(クリストファー・ノーラン監督作、2008年)を改めて観たんです。その中で、「真実だけで人は満足しない、幻想を満たさねば」という、バットマンのセリフがあるんですね。幻想はともかくとして、真実だけで人は満足しないということはまさにそうだなと。例えば、コロナで1日に100名以上の人が感染したというニュースは事実だけれど、人々が求めているのは、その情報を用いてどうしていきたいのか、どういう対策を取るのかということではないか。

これは研究していても思うことで、研究自体は何らかの真実を探求して、客観的な方法を用いて、世界の真理を読み解こうとするのですが、事実というものが仮にデータとして出たとしても、その「事実」は使い方次第だなと。包丁の使い方次第で魚を捌く道具にもなるし人を殺す道具にもなるように、要はどう使うかという「技術」だと思うんです。我々がやっているインタフェースやインタラクションの研究は、人が「使う」ことを設計する研究しているとも言えます。ですから、我々の分野は「事実」や「技術」に加えて、それらを「使う」望ましい世界観、倫理観を持って議論することが他の分野以上に重要だと思うんです。むしろ、それこそが我々の研究の本質かもしれません。

最近求められているアート思考というものは、真善美のような自分の価値観が備わってないと、その有効な使い方がわからないですよね。科学も万能ではないのですが、これまで得られてきた事実をどう使って学生を育ていくのか、悩みつつチャレンジしていきたいと思っています。