不確実な未来を生きる言葉

「できることの組み合わせによって常識をシフトさせていく」菅俊一──特集:不確実な未来を生きる言葉

新型コロナウイルス感染症の影響によって、社会にどのような変化が起きるのか、この先の未来をどう捉え直していくのか。本特集「不確実な未来を生きる言葉」では、さまざまな分野の識者の思考を通して、「不確実な未来」について問う小さなきっかけをつくりたいと考えている。私たちは考え続けることでしか前に進めない、考え続けることが人間の根源的な力だと信じて。

新型コロナウイルスが猛威をふるい、世界に大きな影を落とした。日々状況が変化するなかで、さまざまな分野の識者がどのようなことを思考しているのか。本特集では、さまざまな意見を集積していくことで、なにかヒントとなるような小さなきっかけをつくっていきたい。

人間の知覚能力を基盤とした新しい表現の研究開発・問題設計を軸に、社会に新しい価値を提案する活動をする、コグニティブデザイナー/多摩美術大学統合デザイン学科講師の菅俊一に4つの質問を投げかけた。

※本記事は2020年4月22日にオンラインで取材を行いました

菅俊一
1980年東京都生まれ。表現研究者/映像作家、多摩美術大学美術学部統合デザイン学科専任講師。人間の知覚能力に基づく新しい表現を研究・開発し、さまざまなメディアを用いて社会に提案することを活動の主軸としている。おもな仕事に、NHKEテレ「2355/0655」ID映像、21_21 DESIGN SIGHT「単位展」コンセプトリサーチ、21_21 DESIGN SIGHT「アスリート展」展示ディレクター。

Q.コロナ禍による影響で社会や生活のなにが変わったか、またその変化をどのように捉えているか。

人と対面で会わなくなったことが最大の違いですね。オンラインで会うことがメインになりつつあるんですけど、果たしてオンライン上で上手く話せているのか......という新しい問題が出てきているように感じています。

例えばビデオ会議では、お互いに画面上で目を合わせているようで、実は全然合っていないというコミュニケーションの状況が起こっているわけですが、本当に伝わっているのかなとけっこう不安になります。これまでは、マナーのような文脈で、「話すときに目を合わせる」ことを良しとしてきたわけですが、画面とカメラの位置関係というハードウェアの制約からそれが不可能になり、「そういうの(目と目を合わせること)はどうでも良くない?」というようになってきている。マナーや常識を基準に組み立ててきたものが崩壊して、新しいルール、デフォルトを考えていかなければならないタイミングなのかなと思っています。

仕事と生活が混ざってきている状況で、長時間の集中が難しいと感じています。この10分でどう集中するかという考え方に変わってきている。そうすると集中力のコントロールというのがとても重要なスキルとなる。これって実は、いままで僕らが蔑ろにしていたことなのではないかと。

これまでは、自分の集中できるパラメーターを調整するために、場所や空間を変えるというのが多くの人の振る舞いとしてありました。それがもうできなくなっている状況なので、集中するためにはどういうギアのチェンジをしなければならないのか、もう1回考え直さなければならない。「いつでもどこでもすぐに集中できる」ということが、仕事ができるかどうかの条件になってしまっているので、リモートワークにおける生産性を考える上で、集中力のコントロールに関する研究や知見が重要になってくるように思います。

Q.いま自身の置かれている状況でやれることやすべきことはなにか。また、「すべき」という言葉が持っている重さをどのように考えるか。

「すべき」というよりは、「適応していく」というイメージに近いですかね。例えば、両手がふさがった状態でドアを開けるときに足を使うとか、手の届かないところが痒くなったら手の延長になりそうな長い棒を使うみたいな、その場その場で現実にできることを積み上げて、困っていることを解決していくことって、みんな日常的にやっていますよね。いまの状況の変化に関しても、みんながこの生活や環境に慣れて適応していく段階だと思うんです。多分、行動を無理やり変えるということはかなり難しい。できないことよりも、徐々にできることの組み合わせによって常識をシフトさせていくようなことを、手探りでやっていくという感覚ですね。

Q.社会的な分断が起きている状況で、つながりをどのようにつくるのか。

大学の授業において、一人が話して多くの人が聞くという講義のスタイルを再現するのは、オンラインでも難しくないように感じています。ですが、さっき言ったような集中力の問題は出てきます。対面の授業だろうがオンラインだろうが、そもそも人間は90分も集中力がもたなかったんじゃないかと。オンライン化によって人間の苦手な部分がクローズアップされてきたとも言える。それに合わせて講義のスタイルを変えていくという、改善のほうに進んでいくんじゃないかと考えています。

合わせて、なにか一つの方向に同期させるようなコミュニケーションは難しいので、非同期型コミュニケーションを考えなければならないと思っています。それは、掲示板に貼っておいたから見ておいてね、というかつて行われてきたコミュニケーションに近いものなのかもしれない。同期するということは、いまこの瞬間にココに注目しないと、取り残されるよということなんですね。いままでは、即レス最高、同期が最高、つまり早いということに価値が置かれていたのですが、非同期だったら、「いつのタイミングでもいい」ということにこそ重要性が出てくる。それは、システムや他者ではなく、個人に時間のマネジメントが委ねられるようになるということです。しかしそうなると今度は、モチベーションのコントロールができるかどうかが問われるようになってきます。これまでは、強制的に時間を同期させることで、ある種義務感の中、モチベーションの有無にかかわらずできていたことが、自分でモチベーションを発揮しないと何もできないようになってしまうというのは、懸念点としてあります。

さらに授業で言えば、私の所属している美術大学の場合は、ものをつくるということにおける問題があります。それをオンラインで代替するというのもけっこう難しい。特にフィジカルなモノづくりの現場においては、機材を使うための場所や、素材に直接触れなきゃいけないといったことに、オンライン環境でどう対応するのかは難しい問題です。でも、もしいまここで、デザインや美術の新しい学び方をつくることができたら、それは今後何十年にもおける学びを開発していることになるかも知れません。美術大学は新しい価値を生み出す場だと思うので、そういうことに率先してトライアルすることは、すごく意味のあることになると思っています。

もう一つ大学において気にしていることは友達の存在です。友達って大学生活でとても大切なものじゃないですか。いま、Zoom飲み会のようなものが成立しているのは、「既に知っている友達」というこれまでのリソースを利用しているからコミュニケーションが取れているだけであって、いきなり初対面の人同士が仲良くなれる場は生まれにくくなっていると思います。これまでは、たまたま入学式で隣の席に座っていて、声をかけたことから仲良くなるみたいな、強引なランダムさがきっかけで仲良くなっていたわけです。オンラインだと、そういった強制的に隣に座ってしまうみたいなことは難しい。それぞれが意識的にアクセスして声をかけなければならなくなっている。でも、そういうコミュニケーションへの意欲が高い人ばかりではないので、うまい仕組みをつくって行かなければと思っています。

Q.いま、読み直したい本や、改めて観たい映画などがあれば教えてください。

質問の答えになってないかも知れませんが、いまテレビを観ると面白いと思っていて。「これは3月○○日に撮影されたものです」というようなテロップが出たり、TV画面内でモニターとモニターで人が話すというのが当たり前になっている。複雑にメディアをまたいでいる状態にみんなが慣れつつありますよね。

「いま自分は何を見ているんだろう」と不思議な気持ちになるし、すごく面白い瞬間に遭遇しているなと。メディアとメディアの関係性とはなんなのか、常識だと思っていたことと非常識だと思っていたことが、どんどん入れ替わる瞬間を体感できているなと感じます。

とは言え、10年ぐらいしたら、いま変だなと思っていたことにも慣れてしまうと思うんですよね。そうなると、変だなと思っているいまの気持ちはもう思い出せなくなってくる。なぜ変だと思ったのか、それをきちんと記録して残しておくということは、重要なことじゃないかと思っているんですよね。それが遡れることは、きっと後世にも役立つことになると思います。