不確実な未来を生きる言葉

「弱音こそがポジティブなニーズ。苦しみを分解すると処方箋が見えてくる」堀潤──特集:不確実な未来を生きる言葉

新型コロナウイルス感染症の影響によって、社会にどのような変化が起きるのか、この先の未来をどう捉え直していくのか。本特集「不確実な未来を生きる言葉」では、さまざまな分野の識者の思考を通して、「不確実な未来」について問う小さなきっかけをつくりたいと考えている。私たちは考え続けることでしか前に進めない、考え続けることが人間の根源的な力だと信じて。

新型コロナウイルス感染症が猛威をふるい、世界に大きな影を落とした。日々状況が変化するなかで、さまざまな分野の識者がどのようなことを思考しているのか。本特集では、さまざまな意見を集積していくことで、なにかヒントとなるような小さなきっかけをつくっていきたい。

市民投稿型ニュースサイト「8bitNews」を主宰し、2020年3月には監督作の映画「わたしは分断を許さない」を公開した、ジャーナリストの堀潤に4つの質問を投げかけた。

※本記事は2020年4月27日にオンラインで取材を行いました

堀潤
ジャーナリスト・キャスター。1977年生まれ。NPO法人8bitNews代表理事/株式会社GARDEN代表。元NHKアナウンサー、2001年NHK入局。2012年UCLA客員研究員、日米の原発メルトダウン事故を追ったドキュメンタリー映画「変身 Metamorphosis」制作。2013年NHKを退局。NPO法人「8bitNews」代表。2016年株式会社GARDEN設立。2020年3月映画「わたしは分断を許さない」(監督・撮影・編集・ナレーション)公開。出演中の番組、TOKYO MX「モーニングCROSS」キャスター、J-WAVE「JAM THE WORLD」ニュース・スーパーバイザー、ABEMA TV「ABEMA Prime」コメンテーター。

Q.コロナ禍による影響で社会や生活のなにが変わったか、またその変化をどのように捉えているか。

現場に行けないことがいちばんの変化ですね。移動ができないというのは、直接対面で取材ができないということ。それは同時に、これまで同じような思いを強いられてきた人たちがたくさんいて、まさにこのような状況だったんだなということを感じている。これまで取材してきた現場だと、パレスチナのガザは居住エリアの全ての周囲が囲われているようなところ。情報は入ってきても外には出れない、自分の些細な欲求を満たせない、先行きが見通せない......そうした状況があるということに、関心がある人とない人とがばっさり分かれていた。

また、差別やレッテル貼りに苦しんでいる立場の人への思いも強くなりました。例えば、「難民です」と言っただけで、「偽装難民なんじゃないか」「治安を悪化させるんじゃないか」と、奇異な目を向けられている人々がいます。少し前に東京から県外に取材に行ったときに、「東京からウイルス持ってこないで」という眼差しを悪意なく向けられた時に、やっぱり自分もレッテルを張っていたことがあったんじゃないかと気付かされた。分断される側の当事者として気付かされることがありますね。

Q.いま自身の置かれている状況でやれることやすべきことはなにか。また、「すべき」という言葉が持っている重さをどのように考えるか。

イメージの言葉化でしょうか。不安や恐れ願望、自分自身はなんなのかを丁寧に見つめてみること。それを言葉にしてみること。

「苦しい」というのは、分解すると何で構成されているのか、不安なのか痛み、もどかしさ、それとも苛立ちなのか......。そうやって言葉にしてみることで、実態が認識できると思うんです。その実態が認識されたものを、お互いに交感し合うことができれば初めて処方箋が見えてくる。

イメージがイメージのままでぶつかり合うということは非常に危うい。誤解とか偏見はそういうところに起きやすいので、一人でいる時間が増えたからこそ、いまこそ自分との対話をする時間に当ててみるべきだろうなと。

コミュニケーションの話になった時、まわりにどう理解してもらうかということが中心で、ベクトルが外に向いてしまうことが多かったように思います。僕は自分のほうに問いを向けて、会話を成立させることが重要だなと思っている。いざ、自分のなかで問いを立てるにしても、それを表現するボキャブラリーが足りなかったり、そこに至るまでの発見の種さえなかったりする、そういうことを補ってくれるのが音楽や映画、詩などの芸術。

「不要不急」というのはとても便利な言葉だが、ある人にとっては不要でも、ある人にとってはとても必要、ということが往々にしてある。文化や芸術というものを、本当に不要不急のカテゴリーに当てはめていいのか......?誰にとっての不要不急の話をするのか......?そこまで落とし込んでみたら良いと思う。

いま、みるべき世界がどうしても限られてしまっていますよね。体験ができないということは発見ができない、発見ができないということは想像する種がない、種がないと慮れない、慮れないと固定観念に閉じ込められてしまう。そうした固定観念は疑心暗鬼を生みかねないし、恐れや不安から排除を生みかねない。こういう閉ざされた状況で、目をつぶるから見えてくる感性の世界とか、心に耳を傾けるだけで見えてくるなにかの可能性、そういったことに触れることは不要ではないし、むしろ一番急ぎで必要な手当なのかもしれないですね。

Q.社会的な分断が起きているいま、つながりをどのようにつくるのか。

僕はメディアに関わる立場として、やっぱり離れ離れになっている人たちの媒介役、仲介役に徹底してなるべきだと思っている。いま、「コロナに負けるな」とか、「コロナに打ち克とう」というスローガンに染まっていきそうな気配がある。そういう考え方も必要だと思うけれど、やっぱりしんどいし、不安だし、苦しい。そういう流れについていけないという弱音を吐ける場所が必要だと思ったから、僕のLINE IDを公開しているんです。様々な分野のNPOと連携し、不安を少しでも和らげる知恵を発信しています。

果たして弱音はネガティブなのか?実はそれこそがニーズだと思っていて、これが足りない、これができない、こうしたことに困っているという、社会に対する呼びかけをすると、世界中どこからでも、こういうサービスやプロダクト、あるいは考え方がある、と誰かが提案してくれる。いますぐに解決できるものがなければ、それを生み出そうというようなムーブメントにもつながる可能性がある。だから、弱音こそがポジティブなニーズなんだと。

メディアが情報を届けるときに、国だとか、経済団体だとか、政府や自治体......と大きなグループのところにニュースソースが偏っていたような気がしているんですね。本当は、もっと個々の人たちと結びついた発信できるし、媒介者としての役割が問われている。そこで、一番何が大切かというと、伝え手のIDが明らかになっていること。「堀です、経歴はこうで、こういう考え方で、こういう意図を持っていて......」という発信。

農業で言うとトレーサビリティですね。この野菜は誰がどのようにつくっていて、どういう流通で消費者に届くのか。いままで情報発信については、編集権の問題であったり、取材者を守るという観点から、トレーサビリティが効きにくい分野の一つだった。いま、これだけ離れ離れになって、オンラインを介して情報を入手することが当たり前になってときにこそ、情報発信をするメディア側がトレーサビリティを意識していくことが大切だと思う。

キーワードは、「Engaged Journalism(エンゲージド・ジャーナリズム)」です。個と個がお互いにきちんと関係を築いて、あなたの発信したいことを、あなたに変わって一緒になって発信していきたい、と。その悩みや不安をどう改善できるかを専門家を結びつけて提示していく。ゆりかごから墓場までではないけれど、ただ不安だけを表に出すのではなく、ここにニーズがあります、誰か解決策を答える人いますか、それがあるならば実行もしていきましょう。それを政治に投げかけて、政治から変えていきましょう、もしくは役所そのものを動かしていくところまで、一気通貫でできるんじゃないかなと思っている。

コロナ禍に関わらず、自分が見たい未来をきちんと言葉にして伝えられるか。私はこういうことがしてみたい、こういう未来を描きたい、なぜならこういう理由だから。そんなことがきちんとわかりやすく伝えることができれば、きっとどこかの誰かが手を上げてくれる。

そして、人の判断や決断を笑うなということを、お互いルールとして持っていませんかと思っている。「なにそんなことを言ってるの?」と、笑われなかったとしても、好奇な目で見られることは人を萎縮させる。もし、すごく突拍子のないことを言ったとしても、一度心のなかで拍手をする。「よく勇気をだして言えたなあ」と。そこから自分の意見を共有していくことが良いのではないでしょうか。

Q.いま、読み返したり見返したいと思っている本や映画などがあれば教えてください。

カフカの「変身」ですね。主人公の男が、ある朝目覚めると巨大な毒虫になっていたという作品。突然起きてしまった変化に対して、周りが右往左往しながら、一体どんな顛末を迎えるのかというのが描かれている。

100年以上前の作品ですが、カフカが描いた世界は、いま私たちが直面している問題に通じるものだと思っている。カフカ自身、起きている不条理を否定しているわけでなく、淡々と第三者として描いている。ウイルスをテーマとした映画はあるが、僕はカフカが描いた世界がいまの時代を象徴しているようで、まさに読むべきだなと。