ストーリー

売れる売れないより、やりたいかどうか。社員を信じ、自分たちの商品を信じ抜く、木村石鹸の経営哲学

「管理」もなければ、職種ごとの明確な役割もない。製品を自由に作れる環境がある。利益を優先せず「これは絶対にいいものだ」と心から思えるものだけを作る方が、きっと会社はうまくいく。木村石鹸の経営は、社員も商品も「信じること」から立ち上がっていた。

木村石鹸は創業96年の大阪の老舗石鹸メーカーだ。従業員41人の小さな町工場。いまでも釜炊きと呼ばれる伝統的な製造法、職人による手作業で石鹸を作り続けている。

その木村石鹸が「本当に髪にいいシャンプー&コンディショナー」を徹底追求して開発したのが、新商品『12/JU-NI』。クラウドファンディングサイト『Makuake』で今年1月に行った先行販売で、達成率1699%の大ヒットを記録した。

だが、徹底していいものにこだわったがゆえに、品質を担保するのは非常に困難に。最適な製造法を見つけるため、2018年10月の開発成功から初出荷までには1年半もの歳月を要した。価格も高く設定せざるを得ず、2020年4月からの一般発売を予定しているが、当面は限定した数量の販売になる見込みだ。

ものやサービスの作り手であれば、誰だって少しでもいいものを世に送り出したいと考えるはず。けれども、ビジネスである以上は採算や効率も考えざるを得ない。そうやって妥協して、現実と折り合いをつけている人は少なくないのではないか。

木村石鹸の4代目社長・木村祥一郎はそうは考えない。一切の妥協をせずに自分たちが信じられる商品を追求することが、ビジネスとして、経営としても正解であると考えている。

木村石鹸の「信じることから立ち上がる経営」の一端を知るため、ものづくりのまちとして知られる大阪・八尾を訪れた。

ただひたすらに理想を追い求めることができる開発環境

木村石鹸には、普通の会社であればあって当たり前のものがいろいろと見当たらない。

たとえば、ジョブディスクリプションというものがない。新人だろうと営業担当だろうと、社員は誰でも、自分が作りたいと思ったものを作ってよいことになっている。

「職種ごとに明確に役割を決めて、ということはやっていません。なにをやるかは、それぞれが自分で決めろというスタンスです。だから『こういう新商品を作りたい』と思えば、営業担当であっても開発していい。自分ではできないのであれば、その人が直接、開発者を口説きます。やりたいと思った人がやりたいことをやればいい。それがうちのルールなんです」

『12/JU-NI』の開発者である多胡健太朗も、2013年に木村石鹸に入社して以来、一切の制約を受けることなく、ひたすら理想のシャンプーを追い求めて開発を続けてきた。そうして5年の歳月が経ったある日、ついに完成したのが『12/JU-NI』である。

ブランド名の『12/JU-NI』には様々な意味がある。例えば、髪の適切な水分量が「12%ぐらい」と言われていること。髪に抱えるストレスから「自由に」なること。傷んでいたり、まとまらなかったりと、髪に悩みを抱えている人たちが少しでも楽になれるように。そんな思いから誕生した商品だ。 

木村はその日のことを次のように回想する。

「自分の仕事をよく見せようというところが一切ない人間なんです。その多胡が社内チャットにただひと言『すごいものができました!』と。それには社内中が色めき立ちました。実際に使ってみると、案の定これが素晴らしい出来で。ツイッターで呟いてみたら、『ぜひ使いたい』という声もたくさんあった。サンプルを配ってみたところ、評判は上々でした」

多胡は大学、大学院で畜産を学び、新卒でヘアケアの原料メーカーに就職。そこで原料の開発に従事した後、化粧品OEMの会社に転職し、主にヘアケア製品の処方開発に携わってきた。細胞・組織、原料レベルから製品開発までを知る、いわばヘアケアのプロフェッショナルだ。

その彼が木村石鹸の門を叩いたのは、一切の制限のない、自由な開発環境を求めてのことだった。彼はひとえに「本当に髪にいいシャンプー」を作りたかった。木村石鹸は当時シャンプーを作っていたわけでも、社員を募集していたわけでもなかったが、多胡の申し出を快く受け入れた。

木村によれば、ヘアケア商品は安く作って大量に売るモデルが多いので、原価を安く抑えるために、効果は二の次で安い原料が使われることも少なくないのだという。

多胡は、売ることからの逆算で製造法や成分処方が決まるこうした"常識的"な環境では、理想のシャンプー開発ができないことを知った。もっと正直な開発がしたい、本当に効果のあるもの、いい原料をたっぷり使っていいものを作りたい━━。自分のそんな"非常識"な思いはどこであれば成就するだろうかと考えた末に、たどり着いたのがこの小さな石鹸メーカーだった。

「本当に髪にいいシャンプーを作りたい」という真っ直ぐな思いを持っていた多胡は、石鹸の会社を探していたという。その中で、「自分たちがいいと思えるものだけを作っていく」という木村石鹸のやり方がぴったり合ったのだ。

木村は、ある日突然やってきた多胡と面接で話をしていく中で「面白い人だな」と感じたという。だから、シャンプーの開発に関する求人を出していたわけではなかったが採用を決めた。

工場を見学したのはちょうど昼時だったが、時より大きな音を立て、機械が動き続けていた。現在建設中の三重・伊賀の新工場が完成したら、家庭用の石鹸や洗剤の製造は伊賀に移る。大阪・八尾の工場では、業務用洗剤などの生産を続けるという。

木村石鹸では大手メーカーとは逆に、まずは自分たちが信じるいい商品を作ることに徹し、その後、それをどう売るか、という順番で考える。

作った本人たちが本当にいい商品であると信じられる状況を作る。それができれば、彼ら彼女らは放っておいても、それを世の中に広めようと努力するはずである。木村石鹸が、売れる・売れないとか、製造のコストとかいったことは一旦置いておいて、作りたいと思ったその人が自由に作れる環境を整えているのは、そのためである。

「ありがたいことに、現場に任せていると、管理などせずとも最適な役割分担が勝手に決まっていくんです。会社があらかじめ枠を設けて指示するよりも、よっぽどうまくいくというのがぼくの実感で。それに、時には『12/JU-NI』のように、ぼく自身も想像もしていなかったような商品が出来上がってくる。商品開発の面白さって、そういうところにあるんじゃないかと思うんです」

採用で第一に考えるのは「性格がいい」かどうか

木村石鹸が「管理ゼロでうまくいく」のには、一つの前提がある。それは、同社には「いい人」しかいないことである。木村は人を採用する際に「性格がいいこと」を第一に考えているのだという。

「どれだけ能力があったとしても、性格の悪い人と働くのは大変です。その人のために周りが調整したりして疲弊すれば、結果、全体としてはうまくいかないことも多い。仕事をする上では、なにをやるか以上に、誰とやるかが大事だと考えています」

だから、石鹸メーカーではあっても、石鹸ということにもそれほどこだわっていないのだという。会社を必要以上に大きく成長させたいという野望もない。こだわっているのはただ一つ、関わる人たち全員が幸せな状態のまま、会社をいかに長く続けることができるか、だ。

工場見学中、木村は「社員に任せているので、僕は現場のことは詳しくわからないんです」と繰り返した。この言葉からも社員全員を信頼し、それぞれの職場を任せ切っていることが伝わる。

木村は家業を継ぐ前、大学の友人たちと一緒に起業している。その会社、ジャパンサーチエンジンは、誰一人会社で働いたことのない「モラトリアム学生」が集まって作った組織だった。

「創業当初は日本語検索エンジンの会社でしたが、その仕事がやりたくてやったのではありませんでした。どちらかというと、仲間と仕事をするのが面白い、自分たちにとって居心地のいい場所が欲しいというのが、起業の動機だったと思います」

だから、生き残るためにはいろいろなことをやった。業態変換も何回かした。それでもメンバーがついてきてくれたのは、なにをやるかより誰とやるかを重視してきたからだと木村は言う。

「明日これを支払えなかったら終わるというピンチも何度か経験しましたが、その度に『仮にこの会社が潰れても、同じメンバーでまた別のことをやろう』と自然と言い合える仲間でした。逆説的ですが、だからこそ最後まで頑張ることができた。危機を乗り越えられたのは、その結果であったと考えています。木村石鹸にもこの先、何度となく危機が訪れるでしょう。その時に最終的に救いになるのも、会社と人の関係、働いている人同士の仲のよさといったことだと思っているんです」

現在の木村石鹸には、木村の社長就任より前から働くメンバーも多くいる。その意味でこれは、木村の就任以前から続く「木村石鹸のDNA」であるとも言える。先代である父・幸夫が大切にしてきたことも、木村の哲学と通じるものがあった。

「父が会社を経営する上でテーマに掲げていたのは『親孝行ができる社員を育てる』ことでした。自分が生きていられるのは、親がいて、周りで支えてくれる人がいるからである。そういう当たり前に感謝しよう。感謝をしたら幸せになるというのが、父の教えでした」

毎月1回は道徳の勉強会を行い、毎年4月は「親孝行強化月間」として、親孝行をするために社員全員にお金を渡す。5年に一回は親孝行についての社員文集まで作る。こうした慣習は木村が会社を継いだいまも変わらず続けている。

「親孝行が大事だなんてわけがわからないし、経営となにが関係あるんだと思っていました。でも、そうした積み重ねがいまの木村石鹸を作っているのかもしれません。そうやって当たり前にいいことをする人たちを育てていてくれたから、戻ってきた時もめちゃくちゃやりやすかったんです。いや、やりやすかったというより、ぼく自身、仕事がすごく面白かったんですよ」

昔から変わらず守り続けているのがこの釜場だ。釜焚き製法で石鹸を一からつくっている会社は、国内ではもう数少ない。

大きなタンクから石鹸の材料を注ぎ、人の手で釜の中をかき混ぜていく。「いまはもうやっていませんが、親父の時代は実際に味見をして石鹸の出来具合を見ていたんです」と木村は言う。

責任は「失敗して取るもの」ではなく「最後まで持つもの」

木村石鹸は木村の就任当時から「いい人」揃いだったが、一方でチャレンジが足りないという問題を抱えてもいた。

木村石鹸は木村の就任以前に、事業承継に失敗した経緯がある。新しい経営者が持ち込んだのはマーケティング重視の姿勢、能力主義、評価制度など。先代とはまったく違う方針だった。その結果、一生懸命だが不器用なベテラン社員が会社を去ることを余儀なくされた。そして、社内が混乱した。

このままではダメだと言って幸夫が現場復帰。ただ、一度は引退を考えたほど体調が悪い父を見ていられなかったことが、木村に家業を継ぐことを決意させた。

「能力主義の"暗黒期"を経たことで、ぼくが家に戻った当時、社員からはチャレンジする気持ちが失われていました。売れなかったら責任を取らされる、自分の評価が下がる。そうした経験をたくさんしたことで、開発メンバーはみんな、開発したくなくて仕方ない状態だった。営業から提出された開発依頼書には、なにかしらのケチをつけて差し戻すことが常態化していました」

そこで木村は「責任の定義」を変えることから始めた。責任とは、失敗や問題が起こった時にペナルティを受けることではない。成功しようと失敗しようと、自分ごとと捉えて最後までやりきることである、と。「だからやりたいことをやろう、失敗しても大丈夫だから」と呼びかけた。

開発依頼書は廃止。営業担当は、やりたいことがあるなら自分で直接、開発者を説得することとした。開発者も納得した上で作りたいものを作るという、現在のやり方に変えた。

2019年の新卒で入社した開発者の女性。「なぜ木村石鹸に?」と聞くと「やりたいことに自由に取り組めるから」と答えた。入社1年未満だが、すでに他社と共同で新商品を開発したという。

すると、徐々に社員の意識が変わっていった。正しい・正しくないでも、売れる・売れないでもない。自分がやりたいかどうか、楽しいと感じるかどうかの基準で選ぶよう促したら、開発に着手する数が段違いに増えた。1年間で生み出される新製品の数はそれまで、クライアントから依頼されて作るせいぜい10アイテム程度だった。それがいまでは、毎年50以上の新製品が出てくるようになっている。

「みんな、できるかどうかわからないものにもチャレンジするようになって。結果として完成しないものもたくさんありますが、その完成しなかったものも含めて『でもここになら使えるかも』ということが起こるようになった。もちろん、商品の数が増えればいいというものではないですけど、自分が作ったものが世に出るとなると、やっぱり嬉しいじゃないですか。そこから社内に活気が出た。リスクヘッジで後ろを向いていた社員が、前を向くようになったんです」

木村石鹸の商品は、配合成分を全て明記している。「ネット上にある成分の評価は、その根拠が曖昧なものも多い。だから消費者が自分に合う成分を自分で判断できるようにしたい」と木村は言う。「こんなにいい成分を使っている」と主張するのではなく、情報を全て開示して、選択を消費者に委ねる。社員を信じるのと同様に、消費者のことも信じているということだ。

現状の課題は、製造部門のモチベーションをどう上げるかだという。製造の仕事は、そもそもが言われたものを作る請負仕事。開発や営業が前向きになり、やりたいことをやればやるほど、製造にしわ寄せがくる。なかなかモチベーションを上げにくく、若い人も働きたがらない難しさがあった。

約8億円を投じて三重県伊賀市に作った新工場「IGAスタジオ」は、この課題に対する打ち手の側面を持っている。「IGAスタジオ」は製造工程が見える作りになっており、外部からの見学を受け入れている。ここでは、製造部門は「ただ、ものを作る人」ではない。

「外から来た人におもてなしをする、スタジオの『キャスト』と位置付けました。どうおもてなしするかは彼ら彼女らが自分で考える。自分でコントロールできる裁量を増やすことで、モチベーションを高めたい狙いがあります。まだ立ち上げたばかりで大変な時期ではありますが、一から作り上げる感覚で楽しんでくれているみたいです。こうした空気が伝わったのか、先日は工場見学に来た高校生の女の子が『ここで働きたい』と言ってくれて。それまでであれば考えられないことです」

新工場「IGAスタジオ」では、製造工程を見学できるつくりになっている。写真提供:木村石鹸
「IGAスタジオ」で働く製造部門のスタッフはキャストという位置付けだ。見学に来てくれたお客さんをどうおもてなしするかを考え、工場をつくっていく。写真提供:木村石鹸

「悪い人」に合わせたルールなんて本末転倒

木村石鹸には「くらし、気持ち、ピカピカ」という標語がある。「単に汚れを落とすというだけでなく、それを使う人の気持ちもピカピカにしよう」といった意味が込められている。「自由に開発できる」のは、それに外れない限りというわけだが、とはいえ、木村がこうしたビジョン、ミッションのようなものを重要視しているかといえば、そうでもない。

それよりも、心掛けているのは「文化祭前の雰囲気をいかに作るか」だという。

「ものを作ったりサービスをやる時には、当然大変なこともあります。でも、その大変なことも含めて、やっていることそれ自体が楽しいところがあるじゃないですか。気心の知れた人間と一緒にやっていると、大変なことも含めて面白いと思える。そういう状態があれば、大きなミッションやビジョンがなくても、大きな成功や成長がなくても、もうそれだけで面白い。そういう経営の仕方もアリなんじゃないかと思っているんです」

社員を信じ、自分たちの作った商品を信じ抜くのが木村の経営哲学だ。「信じた末に、裏切られたらどうするのか?」という意地の悪い質問に対しても、木村の姿勢にはブレがない。

「前の会社でもいろいろありました。騙されたことも何度もありますよ。でも、それでなにかを変えるのもおかしいじゃないですか。たとえば、そういう悪い人に合わせて新たなルールを作ったとして、いい人がそれで働きにくくなったら本末転倒だから。悪い人なんて全体から見ればほんの数%。大部分はいい人なんですよ。悪い人に振り回されてどんどん働きづらく、生きづらくするよりも、いい人が入って来やすい環境をいかに作るかが、経営者としてのぼくの仕事だと思っています」