ストーリー

人は習慣なしでは生きられない━━極地建築家・村上祐資が「火星」で見つけた、暮らしに本当に必要なもの

効率的に働き、自由に生きることができる世界は本当に幸せか。極地建築家・村上祐資が極限の暮らしに見た、生きるうえで「本当に大切なもの」は、効率性や自由を追求する現代社会では真っ先に不要とされる、意外なものだった。

極地建築家・村上祐資は「暮らすとはどういうことか?」という問いを解きたい人である。南極観測隊やエベレスト登山隊、あるいは模擬火星生活実験の国際プロジェクトなどに参加し、いわゆる極地と呼ばれる環境で暮らしてみることを通じて、ぼくらの暮らしに「本当に必要なもの」を探し続けている。

村上の極地生活が始まったのは2008年。第50次日本南極地域観測隊に帯同し、約15カ月にわたってミッションスペシャリストとして地球物理観測に従事した。

極地の暮らしは、あらゆる無駄が削ぎ落とされた極限の暮らしだ。村上は当初、そうした環境に身を投じれば、自分の探す「本当に必要なもの」は案外簡単に見つかるだろうと考えていた。玉ねぎの皮を一枚一枚剥くように不要なものを捨てていけば、最後に残る"芯"がそれにあたるはずだ、と。

村上が第50次日本南極地域観測隊に帯同した際に使用したブーツとヘルメット。ブーツの底の厚さから、極地で屋外を歩くことがいかに大変かがわかる。

「けれども、これは大きな思い違いでした。実際にそうやって一枚一枚皮を剥いていったら、最後に残るはずの"芯"まで剥けてしまった。あとにはなにも残らなかったんです」

そうして村上は今日に至る長い旅路を続けることになるのだが、極地生活がのべ1000日を超えたいま、おぼろげながらわかったことがあるという。

「ぼくらの暮らしに本当に必要なもの、それは玉ねぎの"芯"ではなく"表面"にあったということです。誰もがいらないと思って最初に捨てる、あの"茶色い薄皮"こそがもっとも大切だったんですよ」

極限の生活で、容易に失われる心身のバランス

村上の言う「茶色い薄皮」とはなにか。その答えを明らかにする前に、村上が身を投じる極地生活とはどのようなものなのか、簡単に説明しておきたい。

村上は2016、17年に北極と米ユタ州の砂漠で実施された火星生活実験「The Mars 160 Mission」に副隊長として参加している。外界から遮断された荒野を火星に見立て、実際に火星に暮らすことになった際に想定される環境の中で160日間生活するというもの。そうした生活が人間の心理や行動にどのような影響をもたらすのかを見るのが実験の主目的だ。

火星着陸船をイメージした実験施設は直径8メートルほどの筒状の2階建て。プライベートスペースは人ひとりが横になって寝られるほどの広さしかない。水は使用制限があり、シャワーを浴びられるのは週に1回。新鮮な食材はほぼ存在しない。施設を離れるには必ず宇宙服を着なければならず、外部との通信には厳しいデータ容量の制限がある。

「こう聞くと過酷なものをイメージするかもしれませんが、実際は全然過酷じゃないんです。課されたミッションさえこなせていれば、あとはなんでもない日常が続く。でも、この『なんでもない日常』というのが曲者で。そうした環境に身を置くと心と体がバラバラになって、人は3カ月もたないんです」

「The Mars 160 Mission - A Close-Up Look at Simulated Living on Mars - video」 By The Mars Society

村上はこうした生活を実際に経験し、またほかのクルーの様子をつぶさに観察することを通じて、ぼくらが取るに足らないものだと思っているものの中に、実は暮らしに「本当に必要なもの」が含まれていたことに気がついたのだという。村上の言う「玉ねぎの茶色い薄皮」、それは「習慣」だ。

「ぼくらの生活に当たり前に存在する習慣が極地にはまだありません。たとえば、出勤を含むあらゆる移動(の必要)がないし、月曜から金曜まで働き、土日に休み、また月曜から働き出すという1週間のサイクルもない。また、クルーはそれぞれ一人棟梁のようなものだから、誰かのペースに合わせる必要もありません」

縛られる生活に嫌気がさしている人からすれば、すごく自由で理想的な働き方として映るかもしれない。だが、完全なる自由には大きな代償がある。そうした一切の習慣のない中で生活をしていると、リズムが取れなくなり、心も身体もバラバラになってしまう。これが、村上が極地で見た現実だった。

ぼくらは「本当に必要なもの」に気づけない

具体例を示そう。「Mars160」のクルーにはロシア人とインド人の女性がいた。前者はいまどきのブロンドのショートヘアーで、ボディトレーニングにも熱心、「男と同等に扱ってもらって構わない」と言わんばかりのタイプ。一方の後者は古風な長い黒髪で、極地生活に入ってからも自慢の髪をとかすのが日課、つまりは習慣だった。

普通に考えれば、極地生活にふさわしいのは前者だと思える。ロングヘアーなどいかにも極地で仕事をするのに向いていなさそうだ。

「でも実際には、生活を始めてしばらくするとロシア人女性の様子がおかしくなった。周りからなにを言われたわけでもないのに自分の髪の毛を気にし出して、『髪がベタベタでごめんね』とぼくらに毎日謝るようになったんです」

一方のインド人女性はシャワーの排水溝に髪がつまろうがお構いなし。自慢の髪をとかし続け、まったく動じることなく極地生活を続けた。「古臭いし、一見すると極地には似つかわしくない習慣が、人の平静を保つのに機能している可能性がある」

習慣が一切ない世界での生活を続けていると、心と体がバラバラになってしまう。例えば満員電車に毎日乗るなど、普段「嫌だ」と思っている習慣でさえ、私たちの生活にとってなにかしらの意味を成しているのかもしれない、と村上は言う。

多くの人は「欲しいもの」や「足りないもの」にばかり意識がいってしまって、「本当に必要なもの」に気づけない。そこに落とし穴があると村上は言う。「古いしきたりや習慣はその典型。ぼくらの生活の中に当たり前にありすぎて、その価値に気づくことができない。だから、効率性とか合理性を追求する過程で容易に捨てられてしまう」

だが、効率性や合理性に照らせばいらないものにしか思えない「玉ねぎの茶色い薄皮」が、実は重要な役割を果たしている可能性がある。どんなに難しくてもそこに目を向ける努力をしなくては、ぼくらは知らず知らずのうちに、自分たち自身の暮らしを苦しいものにしてしまうことになる。

「習慣とは、人間と環境の境目、人間と人間の境目に形成される皮膚のようなもの。合わないものを捨てるのはいいんです。でも、それが果たしていた役割をいまに合う形で埋め合わせないと大変なことが起こる。たとえばいま鬱になる人が増えていて、社会問題にまでなっている。これも、一見すると無駄に思える古い慣習を捨て、行き過ぎた自由を追求したことが一因かもしれません」

最近では「ルーティンワークはAIやロボットに任せて、人は人にしかできない創造的な仕事に専念しよう」とも言われるが、そうやって人から「習慣」としての仕事を奪うことが、人間の精神を崩壊させることだってあり得ると村上は危惧する。

火星生活実験が失敗続きのワケ

村上が「習慣」を「本当に必要なもの」だと考える理由は一つではない。個人の心身のリズムを保つこととは別に、「習慣には、チームを一つにまとめ上げるものとしての側面もある」と言う。

「たとえば南極観測隊にはその昔、アッパカマシと呼ばれる習慣がありました。いわゆる排泄物をかき混ぜる嫌な仕事ですが、この重労働を共にするとクルーは不思議と仲良くなるんです。大変だし、誰もやりたがらない仕事なので、いまではこの習慣もなくなってしまいましたが」

村上が参加した「Mars160」のほかにも、同様の火星生活実験は多く実施されてきた。ところが、その多くは"失敗"に終わっているのだという。村上によれば、その原因は人間関係。最悪のケースでは、チームが崩壊して、設定された期間を全うできず、解散に至ることもあった。

こうした閉鎖空間実験のメンバーは厳しい選考をくぐり抜けた優秀な人間ばかりのはず。にもかかわらずチームがうまくいかないのはなぜなのか。「優秀な人間ばかり『なのに』ではなく、優秀な人間ばかり『だから』失敗するのではないか」と村上は言う。

「極地には習慣がない。でも、ないのであればその環境下における新たな習慣を作ればいいだけのことです。ところが、選び抜かれたスーパーマン揃いの閉鎖実験環境では新しい習慣が生まれにくい。なぜなら彼らは本質的に、同じことを繰り返すことをよしとしない人たちだから。高い問題解決能力ゆえに、個人間の小さな諍いもすぐにみんなの問題として議論の俎上に載せたがる。問題を処理して、問題でなくしようとするんです。そうして『次』へ行こうとする」

同じことを繰り返すことで均衡が保たれている環境において、必要以上の問題解決は、時に人間関係の崩壊につながることもある。

同じ人たちが同じ環境で顔を突き合わせ続けるのが閉鎖空間の暮らしだ。ということは本来、問題の根本解決はあり得ない。問題は常にそこにあるものとしてうまく付き合っていく必要がある。「人間関係とは本来そういうものであり、むしろ問題がちゃんと起こるようになっていないと、そのことが忘れられてしまう。ちゃんと因果応報になっている必要があるんです」

議論をして問題を処理することは、人間関係崩壊のトリガーになっている可能性さえある。議論を経ると、新たな規律ができる。閉鎖空間で一つの規律ができると、そこに従えない人は排除されることになる。そこから暮らしはどんどんと苦しいものになり、人間関係は崩壊していく。

「人間が2人以上いれば問題は常に起こるもの。それを解決するというのではなく、問題はそのままに、でもなんとなくうまくやるということも時には必要ではないでしょうか。日本人のはっきりと意見を言わないとか、その中で空気を読むとかいった特徴はネガティブに言われがちですが、その意味ではあながち悪いことばかりではないかもしれません」

優れた個人を集めれば集団としてうまくいく、とは限らない

宇宙へ行く人をどう決めるかは現状、「個人」を選抜する発想で行われている。そうすると必然的に、「Mars160」のような"スーパーマン"ばかりのチームが出来上がる。ここまで見てきたように、それではうまくはいかないというのが村上の主張だ。「個人」を選抜する発想をやめ、「最初から集団としてうまくいくことを考えたほうがいいのではないか」と村上は言う。

村上は「Mars160」後の2017年に、同じユタ州の砂漠で再び火星生活実験を行っている。「CREW191」と名付けられたこのプロジェクトが「Mars160」と違うのは、参加メンバーを村上自身が選考していることだ。

この時に村上が選んだのは「Mars160」とは対照的な「普通の7人」。その中には火星生活を行うには明らかに能力の足りない19歳の少年も含まれていた。そんな19歳をあえてメンバーに選んだのには「個人としての能力は低くても、彼がいることで問題は常にそこにあるものとしてみんなの意識に上り続けるはず」という意図があった。その分、自分のほかにも南極観測隊の経験者を入れるなどして「集団としてうまくいく」ことを念頭に置いたチーム編成を行った。

「CREW191」と名付けられたこのプロジェクトも、「Mars160」と同様にユタ州の砂漠で行われた。
屋外に出るときに着る宇宙服は、一人で着るのが難しく、必ずメンバー同士で手伝い合う。
「CREW191」の実験施設の中で、各々の作業をするメンバーたち。

来たる宇宙時代に向けてこうした考え方に再現性を持たせるため、村上は「宇宙時代の三つの職業」を提案する。優れた個人を選抜する代わりに、役割の異なる三つの職業をバランスよく選ぶことで、集団としてうまくいくことを目指す発想。三つの職業は登山になぞらえて、それぞれスペースエクスプローラー、スペースポーター、スペースシェルパと名付けている。

スペースエクスプローラーとは特殊能力を持ったスペシャリストで、なおかつ自分の名前(目的)を持って宇宙へ行く人のこと。たとえば論文を書きたい科学者や名を上げたいタレント、自分の作品を作りたいアーティストなども含まれる。

スペースポーターも同じくスペシャリストだが、エクスプローラーと違って自分の目的を持っていない。地上の職能を使うことでエクスプローラーが目的を果たすのを助ける。同じジャーナリストでも自分の名前で本を書く作家タイプはエクスプローラー。逆にエンドロールくらいにしか署名が載らないドキュメンタリータイプはポーターに分類される。

エクスプローラーとポーターがスペシャリストであるのに対して、最後のシェルパはジェネラリストとして「エクスプローラーとポーターの間をつなぎ、チームがうまくいくよう采配する」役目を担う。とにかくいろいろなことに目が向いていて、必要に応じてあらゆる道具をただただ使いこなしていく。客を楽しませもするし、一方で危機の予兆を感じたら鬼と変わる。そのため、山岳ガイドさながら宇宙の面白さと怖さの両方を知り尽くしている必要があるという。

「Mars160然り、現状はエクスプローラーだけ、あるいはエクスプローラーとごく少数のポーターだけで宇宙へ行こうという話がほとんどです。2、3日行くくらいならそれでもなんとかなるかもしれませんが、長期になるとそうはいかない。必ずコンフリクトが起こります。シェルパの重要性を世の中に伝え、職業として確立することが急務であると考えています」

さて、村上が極地生活を通じて導き出した二つのポイント「人間は習慣なしでは生きられない」「優れた個人の集まりが集団としてベストとは限らない」は、宇宙時代を待たずとも、ぼくら一般のビジネスパーソンにとってとても大切なことであるように思える。

副業解禁などで会社や職業の枠があいまいになり、フレックス、リモートワーク、フリーランスと働き方はどんどん自由な方向に進んでいる。会社の看板や肩書きではなく、個人の名前で生きていけることを良しとする風潮も強い。実際、BNLでもそうしたメッセージを発信してきた。

だが、そのあまりの自由さが個人の精神を蝕んでいる可能性はあるし、そうやって優れた個人を集めてチームを作ったところで、集団としてうまくいくかは別の問題の可能性もある。村上が極地という最前線の暮らしに見た現実は「一方ではそうしたことにも目を向けたほうがいいのではないか」とぼくらに強く訴えかけている。

取材は村上から指定された「冒険研究所」で行った。オフィスには普段目にしないアイテムがたくさんおいてあったが、村上が極地で見た現実は、私たちの普段の生活やビジネスにも通じるものがあるように思えた。