ととのう職場、自然体のキャリア

退職することは「逃げ」なのか──連載:ととのう職場、自然体のキャリア VOL.17

退職することは「逃げ」なのか、それともいまの会社から動かないことが「逃げ」なのか。その答えに迷ったら「自分の気持ちから逃げないこと」を意識してみよう。羽渕彰博の連載、第十七回。

年が明けてから、電車の中で転職サービスの広告をよく目にするようになった。読者の方の中にも、新しいキャリアを考えている方はいるのだろうか。

頭の奥底にしまっていてあまり取り出したくないのだけれど、この機会だからひとつ考えてみたい問いがある。

退職することは、「逃げ」なのだろうか

正直に告白すると、僕は前職の会社を退職するときに、その判断が「逃げ」なのではないかという後ろめたい気持ちがあった。新規事業の立ち上げなど未分不相応のポジションで活動させてもらっていたから、中途半端なまま辞めるのは無責任ではないか、恩を返しきってから去るべきではないかという考えが、頭の中でグルグルしていた。

退職後は新しい仕事に忙殺され、「逃げ」について考えることはなくなった。しかしPCの中で放置されている未完成のドキュメントのように、頭の片隅には存在していた。

いま僕は、企業の組織づくりに携わる中で、様々な視点から「退職」を経験している。僕自身も組織の代表として、ある意味メンバーから「逃げ」られる側にいる。まさかここで僕の「逃げ」ドキュメントを晒すことになるとはお恥ずかしい限りだが、この場を借りてそのドキュメントと決着をつけたい。

「事実」と「解釈」を切り分けて考えてみる

まずは「事実」と「解釈」を切り分けるべきだとは思う。人が退職するというのは紛れもない「事実」である。しかしそれが「逃げ」かどうかは「解釈」次第で変わる。例えば応援してくれる人なら「退職」は「挑戦」と考えるかもしれない。ちなみに当時、私の妻は「不安」と解釈していたと思う。

では「退職」を「逃げ」と解釈するのはどういう場合があるか。例えば会社の居心地が良過ぎて仕方がないという人が「退職」を「逃げ」と解釈するだろうか。きっと「逃げ」というよりも「理解不能」だろう。

では、会社にいることが嫌で我慢している人が、同じ悩みを抱えている同僚に先に退職されたらどうか。この場合は「逃げた」と解釈したくなるかもしれない。

僕自身は、メンバーが退職するとき、決して「逃げ」とは解釈しない。むしろ、活躍できる環境を用意できなかったことを申し訳ないと思うし、他に活躍できる環境があるのであれば、そこで挑戦した方が社会にとってもいいと思う。自分のエゴで変に引き留めてしまう方が、お互いにとってよくないのではないかと考えている。

つまり「退職」は、見る人の視点によって「挑戦」にも「逃げ」にもなり得る。それでは改めて、僕の「退職」はどうだったのか。

自分の正直な気持ちからは「逃げ」られない

結局、僕が退職を決めたのは「このまま前職に残ることも『逃げ』ではないか」と思ったからだった。組織にいながらでも自由に活動させていただいたが、組織という枠を外したときに自分がいかほどまでできるかを試したかった。(結果、いかほどでもなかったんだけど、それはさておき。)でも一方で自信もなかった。だから悶々としていた。

さらに、プライベートでは第一子がまもなく産まれるタイミングだった。子どもを育てるという責任が増える中、「子どもを育てないといけないから、我慢して会社に残っている」という言い訳だけはしたくないとも思っていた。

「無責任に辞めるのは逃げではないか」と悩む一方で「このまま前職に残ることこそ逃げではないか」と、もうひとりの自分が問いかけてくる。まるでコーナーに追い詰められるボクシング選手みたいだった。あのとき、もし「退職」せずにいたら、未だに悶々と格闘していたと思う。

退職すれば、誰かは「逃げ」と言うかもしれない。しかし前職の会社に残っても自分自身が「逃げ」と言ってくる。退職したら、その誰かは物理的に縁遠くなるけど、自分からは逃げられない。だったら、自分の正直な気持ちから「逃げ」なければいいのではないか。

執筆者・羽渕彰博のプロフィール
羽渕彰博

株式会社オムスビ代表取締役CEO

1986年大阪府生まれ。2008年パソナキャリア入社。転職者のキャリア支援業務、自社の新卒採用業務、新規事業立ち上げに従事しつつ、アイデアを短時間で具現化する「アイデアソン・ハッカソン」のファシリテーターとしても活躍。2016年4月に独立し、リレーションシップデザインを軸とする株式会社オムスビを設立し、組織変革したい企業様向けの組織コンサルティングサービス「reborn」を提供している。

Eightプロフィールはこちら