ストーリー

「美味い不味い」だけで判断するのはチープ。世界に名を轟かす新宿の小さな薬草酒バー「BenFiddich」の美学

開店と同時に全席が予約客で埋まる薬草酒バー「BenFiddich」。この店が唯一無二なのは、薬草酒というジャンルが珍しいから、だけではない。過去や源流に遡り、カクテルの本質を追求する姿勢と、そこに添えられた浪漫的思考。それこそが人を魅了して止まない理由だ。

西新宿の一角にある、看板もない雑居ビル。存在を知らなければ100%通り過ぎてしまうであろう場所に、バー「BenFiddich(ベンフィディック)」はある。

木製の重い扉を開くと、決して広くない店内には薬草やスパイス、それをすり潰すためのすりこぎとすり鉢、100年以上前の古い酒瓶や自家製アブサンの入った巨大な甕......。普通のバーとは明らかに様子が違う。

BenFiddichは、アブサンに代表される薬草酒に特化したバーだ。バーテンダーの鹿山博康は地元・埼玉に畑を持ち、そこで40種以上のボタニカルを栽培している。客からのオーダーが入ると、自家製のハーブをその場ですりつぶし、調合し、オリジナリティ溢れるカクテルとして提供する。

カウンターの裏から出して見せてくれたこの道具は、ハーブをすり潰すときに使うもの。家庭はもちろん、飲食店でもなかなかお目にかかれない年季の入ったものだった。
店内の床に無造作に置かれた籐のカゴの中には、古い酒の空き瓶が投げ込まれている。中には100年以上前の代物もあるのだとか。

なんともマニアックな趣向だが、ウィリアム・リード・ビジネス・メディアグループが発表する「世界最高のバー50」で36位。「アジア最高のバー50」にも初年度から継続してランクインしており、その名は世界に轟いている。午後6時の開店と同時に、すべての席が予約客で埋まってしまうほどの人気ぶりだ。

世界が注目する人気店の薬草酒とは、一体どれだけ美味いのか。特別な酒好きではなくても、その味に興味をそそられる。ところが、「美味い不味いで酒を判断するのはチープだ」と言って、鹿山はこうした考えを嗜める。

酒の価値が「美味い不味い」でないとすると、この店が提供している価値とはなんなのか。世界の客はなにを求めて、BenFiddichを訪れるのだろうか。

酒は嗜好品だから、勉強しない客は「まだ飲むに足らない」

ひとくちに薬草酒と言ってもいろいろな飲み方があるが、リキュールを水割りで飲もうという人はそういないに違いない。だが、鹿山によれば、19世紀ヨーロッパの都市部でよく飲まれていたのは、その水割りだった。水道事情が悪く、もともと水を飲むのにもアルコールを入れて殺菌するのが一般的だった。その名残で、19世紀後半になって酒が嗜好品になってからも、同様の形で飲まれていたのだという。

「リキュールを水割りで飲んだことありますか?」そう聞かれて「そういえばないな」と改めて気づく。19世紀後半を生きた人たちはリキュールを水割りで飲んでいたという話を聞き、自然と酒の歴史にも興味が湧いた。

生水が危なかったのは、その少し前の時代のアメリカも同じ。代わりによく飲まれたのがビールだった。ただ、ビールと言ってもいまあるような洗練されたものではなく、いわゆる「どぶろく」に近いビールだ。

鹿山はこうした酒を現代に再現することも試みている。再現したビールを飲んでみると、実はまったく美味くない。むしろ不味い。だが、「美味い不味いだけで判断するのはチープな考え方だ」と鹿山は言う。「なぜならぼくらが提供しているのは嗜好品だから」というのがその理由だ。

「織田信長のことをなにも知らない人をゆかりの地に連れていったところで、なんの感動もないでしょう? それと同じで、受け取り手にその時代に思いを馳せる姿勢がなければ、嗜好品を楽しむことはできないんです。お酒で言えば、美味いか不味いかという尺度と、見た目のデコレーションくらいしか残らなくなってしまう」

鹿山はコレクターとしての顔も持ち、BenFiddichには100年以上前のアブサンの古酒が置いてある。客の中には、古酒についてよく知らないのに、1杯1万5000円〜2万円はするそうした酒を飲ませてくれと言う人もいる。そんな時、鹿山は大胆にも「まだ飲むに足らないですよ。アブサンの歴史、文化背景をもっと知った上で飲むことをお勧めします」と言って断るのだという。

「お酒って難しいんです。例えば30歳の人はいわば食歴30年ですが、飲酒歴はまだ10年のひよっこ。それに、食と違って酒は生きていくうえで必要不可欠なものではなく、あくまでも嗜好品です。だからこそ、楽しむためには勉強が必要だと思うのです」

店内にはいたるところに古酒が置いてある。アンティークの家具やランプに囲まれ、グラスを眺めていると、ここが新宿であることを忘れてしまう。

BenFiddichには「これからバーを覚えていきたい」という若い客も来る。

そうした客に対して鹿山が出すのは「カクテルの王様」と称されるマティーニだ。初めてマティーニを口にした若い客に「どうですか?」と聞くと、目の前に作り手がいる手前、「美味しい」と答えが返ってくる。だが、美味しいはずがないのだと鹿山は言う。

「なぜなら、初めてマティーニを飲んだ彼らには基準がない。基準がないのに美味しいか不味いかを判断できるわけがないじゃないですか。マティーニはジンとベルモットという、たった二つのリキュールから作られる。にもかかわらず、作るバーテンダーによってすべて違った味になるんです。その奥深さが、マティーニがカクテルの王様と呼ばれる所以。飲み手にも資格を求めるんですよ」

だから鹿山は、その夜初めてマティーニを口にした客に対して「これから100軒のバーへ行き、100人のバーテンダーが作ったマティーニを飲んでほしい」と伝えるのだという。100杯飲めば、それなりの基準ができる。その時、初めて味の違いがわかるようになる。

「バーは101軒目から楽しくなる。そうすると、1杯1500円もするバーへ行くのも全然高いとは思わなくなるでしょう。1500円......それだけあれば、牛丼屋に3回行けるじゃないですか。下手すれば、3日食いつなげるんですよ。嗜好品を提供するぼくらは、それだけのお金をもらっているということ。だからぼくらには、その楽しみ方を伝える責任がある」

「noma」のシェフを引き寄せた虫入りカクテル

鹿山は「畑をやっているバーテンダー」としても知られている。実際に埼玉にある実家の畑でさまざまなハーブを育てており、それを使ってカクテルを作る。

「ぼくが畑をやり始めたのは、醸造がきっかけなんです。例えばヨーロッパで作られている薬草酒も、原料となる薬草は日本でも手に入ります。ただ、質がよくない。ぼくは実家が農家で、子供のころから半強制的に仕事を手伝わされてきたから、土いじりはお手の物でした。幸い、実家へは東京から通えない距離でもなかった。であれば、自分で育てるところからやってみようかと。独立する随分前から、そういうことをやっていました」

こうして誕生したのが、栽培・乾燥・抽出・蒸留を一貫工程として酒を出す唯一無二のバーテンダー。その後、BenFiddichの開業を機に本格的にほかのハーブにまで手を広げて、現在に至るというわけだ。

鹿山とBenFiddichの名が一般にまで、そして世界で広く知られるようになったのには、二つの出来事があった。

「ひとつめは、開店から半年ほどが経過したタイミングで。どこから聞きつけたのか、『アブサンを作っているクレイジー・ジャパニーズ・バーテンダーがいる』と言って、ニューヨークタイムズの記者が取材にやってきたんです。これがきっかけとなって徐々に外国人客が増え、また業界紙以外からの取材も増えていきました」

そして、続く2015年のセカンドインパクトで、BenFiddichの名は一気に世界に轟くことになる。「世界一のレストラン」として一世を風靡した「noma」のシェフが、日本でポップアップレストランを出した際に連日通い詰め、帰国後に「日本滞在時のグッドエクスペリエンス」としてBenFiddichの名を挙げたのだ。

ニューヨークタイムズの取材、そして「noma」のシェフによる情報発信がきっかけで、BenFiddichには多くの外国人客が訪れるようになったという。

「よく知られるように、『noma』はその土地の食材しか使わない。柑橘類が取れない北欧では酸味を出すのに蟻酸で代用していました。ちょうど同じころ、偶然ぼくもまた虫を使ったカクテルを作って店で出していたんです。カンパリのリキュールを使わずに、その主原料から作る『フレッシュカンパリ』がそれ。歴史を辿れば、カンパリの赤はもともとコチニールカイガラムシから取られていた。ぼくはそこまで遡って、分解・再構築みたいなことをやっていました。『noma』のシェフはその噂を知って訪れてくれたようです」

2015年と言えば「noma」がもっとも存在感を示していた時期。そのシェフの発言となれば影響力は絶大だった。同じタイミングで「世界最高のバー50」などに選ばれたこともあり、BenFiddichの認知度は一気に爆発することに。鹿山本人としてやっていることは、その間も基本的には変わっていない。それでも環境は激変していった。

「流行」ではなく「源流」を追う

鹿山は朝、バーを閉めると、週に1、2度は始発に乗り、約1時間半かけて埼玉の実家を訪れる。昼過ぎまで畑でハーブをいじり、短い仮眠をとったら、再び新宿へととんぼ返り。午後6時の開店に備えるのだという。

実家の畑で育てているハーブ。朝埼玉まで帰って畑仕事をし、そのまま寝ずに新宿に戻る。ハードな生活のように聞こえるが、鹿山はそんな生活について楽しそうに語る。

昨年からは新たに養蜂も始めた。「自分で育てたハーブを使い、そのハーブを求めてやってくる蜂からとった蜜で甘味をつけられたら、ロマン的整合性が爆発するじゃないですか」。そう言って鹿山は楽しそうに笑う。

鹿山のこうしたユニークなやり方は独立開業するより前、20代を西麻布のバー『Amber』で雇われ店長として過ごしていた時から一貫している。「いまでこそ自分で酒を蒸留するバーテンダーは世界中に増えましたが、当時はそんな価値概念さえない時代。小型蒸留装置もまだなかったから、やかんを使って蒸留していました。あるいは、世の中に発酵ブームが来るよりもずっと前から、ジンジャービアーやイースト菌を仕込んだ発酵酒を作ったりもして」

カクテルを作るのに必要なリキュールはいくらでも手に入る時代だ。一方で、アブサンに代表される薬草酒は、誰もが日常的に飲むような計算のできる商材ではない。BenFiddichが今日の名声を築くのにユニークなやり方が奏功したのは確かだが、鹿山はなぜ一見非合理的にも見えるこうしたやり方を貫こうとするのだろうか。

21歳ですでに「いつかは自分の城を持ちたい」という野心を抱いていた鹿山。ただ、働いていたのは決して有名店とは言えないし、手取り足取り教えてくれる師匠もいなかった。バーテンダーとしての基礎は、いろいろなバーに足を運ぶことで学んだ。「あそこのサイドカーが美味いと聞けばそこに行き、挨拶をしてサイドカーを飲む。次の日は早めに店へ行って、前夜の味を再現しようと試行錯誤しました」

店名のBenFiddichはゲール語で、意味は「Ben=山」「Fiddich=鹿」。壁に飾ってある鹿の剥製もまた、異世界のような雰囲気を作り出している。

ある時、同年代の他店のバーテンダーと、銀座の有名バーへ出かけたことがあった。一緒に行ったもう一人は有名店で働いていたから、名刺を差し出しただけで話が通り、会話も盛り上がる。一方、鹿山が名刺を渡しても反応は芳しくなく、一人だけ蚊帳の外に締め出されたと感じた。

「まだ若かった当時の自分にとって、この時の悔しさは深く心に刻まれました。名店出身ではない自分が評価されるためには、どうにかして目立つ必要があったんです」。鹿山がいまのスタイルに行き着いたのには、業界内でのプレゼンスを高めるために、誰も手をつけていなかったことをするという、生存戦略の側面があった。

ウイスキーが流行ったらウイスキー、クラフトジンが流行ったらクラフトジン......。そうやって多くのバーテンダーが流行、つまりは「最新」を追う中で、鹿山が進んだのはその逆だ。「ぼくは歴史好きでもあるので、こういうところからのオマージュが多いんです」。そう言って取り出してきたのは、1890年代のフランスにおける薬草酒のメイキングマニュアル。どれだけ読み込まれてきたかは一目瞭然だった。

「これを参考にしているんです」と言って見せてくれた分厚いフランスの古書は、100年以上前のもので、慎重に扱わないとページがバラバラと落ちてしまいそうなほど使い古されていた。

「いくらぼくが奇抜なことをやっていると言っても、所詮はバー業界の中の話であり、お酒の範疇にあります。スパイスをすりつぶして作るのも、偉大な先人たちが過去にやってきた歴史ある作り方です。歴史は螺旋的に進んで繰り返すもの。ぼくも決してゼロからなにかを作り出しているわけではない。みんなが時代に寄り添いすぎなんですよ」

1本のワインボトルから溢れ出す好奇心

このようにして聞いていくと、彼の振る舞いが単なる生存戦略、目立つためのスタンドプレーに留まらないことがわかる。「カクテルとはなにか」を大元まで立ち返って本質を考える姿勢と、そこに添えられた浪漫的思考に、客は胸を打たれるのかもしれなかった。

「例えばこのワインボトル。なんでもない普通のボトルですが、手吹きの時代から機械でガチャコンと作られる時代に変わると、ボトルの横に線が現れるんです。フランスだと、その境目は1920年ごろ。ボトルの側面を見るだけで、そうした時代の変わり目がわかります。1920年代と言えば、ベルエポック期が終わり、さらに第一次世界大戦も終焉を迎えた時期。それに伴い文化も一気にチェンジします。するとカッティングの文様も変わるんですよ。あるいは......」

鹿山のこだわりは酒だけに止まらない。例えば酒の瓶からもその時代の歴史を感じ、雰囲気を楽しむ。それこそが嗜好品なのだという。

鹿山の話はここから堰を切ったように止まらなくなる。それが最高に楽しい。朝まで聞いていたくなる魅力がある。

「嗜好品を楽しむには、客もまた勉強しなくてはならない」と鹿山は言った。そうだとすれば、嗜好品を扱うバーテンダーの側も、その世界を魅力的に映し出す語り部でなくてはならない。

顕在化された「現在」のニーズにただ応えるだけでは、ビジネスとしては成立しても、客と酒との関係性に広がりは生まれない。まだ人々が気づいていない「未来」や「理想」を示すこと。あるいは「過去」「源流」にまで遡って本質を見つめ直すこと。鹿山の仕事ぶりは、そうしたことの大切さをぼくらに教えてくれる。

カウンターに立った鹿山から話を聞いていると、その時代の情景が思い浮かんでくる。店の雰囲気も相まって、まるで100年以上前の異国にタイムスリップをしたかのような気分になった。

「大事なのは知識があることではなく、興味を持つことです。そうすれば、こういうものはどんどん楽しくなる。1本のボトルが起点となって、だったら1920年代の映画を見てみようかな、とか。興味の対象は際限なく広がってゆく。それが嗜好品の世界なのだとぼくは思います。例えばこれは1880年代のものでね......」

鹿山はそう言って、蝋で封をされたボトルの先に穴を開けた。プスッと小さな音がした。

「ほら、いま出てきたのが19世紀の空気です。あの日あの時あの場所のものが、現代の日本にある。これってすごいことだと思いませんか?」