インタビュー

サッカー界の「特別な存在」であり続ける━━中町公祐は横浜F・マリノスの契約延長を捨て、ザンビアを選んだ

競争が激しい業界の中でどうすれば「特別な存在」になれるのか。元横浜F・マリノス中町公祐は、同チームの契約延長オファーを断り、遠くザンビアの地でサッカーを続けることにした。年俸10分の1以下を覚悟して挑むその姿勢に、業界のスペシャルワンになるヒントを得る。

日本にプロサッカーリーグであるJリーグができて26年。いまではJリーグを飛び出し、海外のリーグに活躍の場を求める日本人選手は珍しくなくなった。だが、そのほとんどが目指すのはサッカー先進地域であるヨーロッパの国々だ。

そんな中、昨年までJリーグ1部の横浜F・マリノス(以下、マリノス)に所属した中町公祐が、シーズンオフに下した決断は異例と言っていい。彼が新天地として選んだのはアフリカ。中町はいま、アフリカ南部ザンビア共和国のサッカークラブ「ゼスコ・ユナイテッド」の一員としてボールを追う日々を過ごしている。

プロアスリートの価値を測る重要な指標のひとつが「年俸」であることはたしかだろう。その点で言えば、今回の移籍で中町は、プロアスリートとして第一線から大きく後退したのかもしれない。自身が公言する今季の年俸は「マリノス時代の10分の1以下」だ。 けれども、この移籍は決して"都落ち"を意味しない。なぜなら中町は、現実にマリノスから2年間の契約延長オファーを受けている。アフリカ行きは、それを断って自ら選び取ったものなのだ。「これは自分がサッカー界でスペシャルワンになるために下した決断」と中町は言う。

マリノスからの契約延長オファーを断り、年俸が10分の1になる覚悟を決めて、自らアフリカへ足を運んだ。

トップアスリートは短い現役期間に一般のビジネスパーソンの生涯年収以上を稼いでしまう。その間に味わう喜びや苦しみも、おそらくぼくらが経験したことのないレベルの濃密なものだろう。その意味では彼らは、"濃縮還元"された人生をぼくらに先んじて歩む、人生の先輩と言えるのかもしれない。

まして、いまや日本を代表する大企業でさえ「終身雇用は保証できない」という時代。組織に属していようといまいと、ぼくらは等しく自分の人生を自分なりにデザインしていくことを迫られている。そんな時代において、究極の個人事業主たるアスリートから学べることは少なくないはずだ。

では、どうすれば替えのきかない「特別な存在」になれるのか。異色の選択をした元Jリーガーの言葉にそのヒントを探ってみよう。

改めて問い直した、サッカー選手としての自分の存在価値

━━移籍して約半年。ザンビアでの生活は楽しめていますか?

いやー、なにもないですね(苦笑)。なにもないっていうのは、日本みたいに選択肢がたくさんある中で、あえてなにもしないのとは違って。ちょっと知り合いに会うとか、どこか美味しい店に行くとか、そういう選択肢がそもそもないんです。日本の「選択肢があることの豊かさ」は、向こうへ行って改めて思い知りましたね。

━━そんな「なにもない」中で、どんな日常を過ごしているんですか?

もちろん、サッカー選手としての活動が軸で、医療とスポーツの面から現地の子供たちを支援するNPOの活動もやっているんですけど、なにせ予定が立たないんですよ。

午後に練習があるかどうかも、その日の午前練が終わって、監督がなんて言うかを聞くまではわからない。「アフタヌーン」と言えば「あり」だし、「トゥモローモーニング」と言えば「なし」という感じで。加えて、向こうの人は総じて時間にルーズだから、朝、迎えに来てくれるはずのスタッフが時間通りに来ない。で、仕方なくタクシーを呼ぶんですけど、そのタクシーもやっぱり来ない...‥。そういう日本の当たり前が通じない難しさは日々感じています。

移籍して数ヶ月して、ようやく住むところが決まったんですけど、生活面は充実しているとは言えないですね。チームが用意してくれるはずだった冷蔵庫はいまだに届きませんし。おかげでこの4ヶ月はずっと、ご飯にオリーブオイルと塩胡椒を振っただけの朝飯で。体重は5キロ落ちましたもん。

日本とは違う文化や価値観の中で生きていくことの難しさを感じていると言う中町だが、その話しぶりは、むしろその過酷な環境を自ら楽しんでいるようだった。

━━普通ならピッチの中のことに集中したいと考えるのがアスリートじゃないですか。そのような大変な思いをしてまで、なぜこの選択を?

最大の理由は、自分の現状に対してほかならぬ自分自身が物足りなさを感じていたということです。

ぼくは日本代表選手ではないので。本田圭佑選手とか香川真司選手とかに一サッカー選手としてのキャリアで挑んだのでは、どうしても同じ土俵に上がらない。そんな自分が、キャリアの折り返し地点を迎えたここから、サッカー界の「スペシャルワン」になるにはどうすればいいだろうか。そう考えたんです。

一方でぼくは2013年から、試合に1回勝つたびにアフリカにサッカーボールを5球送るというボランティア活動を続けてきていました。その背景には、サッカー選手として大切にしてきたさまざまな想いがあるんですけど、その想いと、自分をどうブランディングしていくのかという部分、この二つが重なって行き着いたのが今回のアフリカ行きでした。

━━「大切にしてきた想い」というのは?

ぼくには、高校を卒業して最初に入った湘南ベルマーレをたった4年でクビになり、その後、大学を経由してもう一度プロに戻った経緯があります。戻った先のアビスパ福岡は当時J2だったんですけど、ぼくがプロとしての足がかりを掴んだのはこの期間だと思っていて。サポーターからの愛情を一身に感じながら、一丸となってJ1昇格を果たしたことは、サッカー選手としてのぼくの価値観に大きな影響をもたらしました。

さらに、マリノスに移籍した後にも大きな出来事がありました。2015年の12月に長男の彪護(ひゅうご)を亡くしたんです。彼は生まれてからたった43時間しか生きられなかった。それはもちろん大変なショックでしたが、この時にぼくを支えてくれたのも、サポーターの存在でした。試合に出場してもいない選手に対して、彼らは横断幕を掲げ、真っ先に応援してくれました。

このころの自分は、サッカー選手としての存在価値をある程度示せていた時期だったと思うんです。それは主に給料という意味で。でも、こうした経験を重ねる中で、自分にとってのサッカーというのは、どうも自己完結するものじゃないんじゃないかと思うようになっていきました。

━━自己完結しない、とは?

改めて考えてみれば、サッカー選手として自分が幸せを感じている時というのは、やはり人から求められている時だし、認められている時だな、と。「勝つ」というところだけを切り取ってみても、なぜ嬉しいのかといえば、サポーターであり、会社の人であり、スポンサーの人でありが、そのことを通じて喜んでくれるからです。

つまり、自分がプレーすることによって人が喜ぶ、それこそがサッカー選手としての自分の存在価値なんだと、気づくことができたんです。

その観点に立って、この先のキャリアをどうすべきかと考えた時、マリノスで2年契約を全うし、引き続き横浜の人に喜んでもらうという選択もありました。でも、自分がプレーをすることで、より多くの人になにかを感じてもらえる可能性があるのならば、それこそが自分の道なんじゃないか、それこそがサッカー選手としての中町公祐の存在価値なんじゃないかという思いが、日に日に強くなっていきました。

ボランティアではなく、投資である

━━それでアフリカへ。

現実にアフリカでサッカーをしようと思えたのには、そうした経緯に加えて、やっぱり昨年の6月に実際にアフリカの地を踏んだことが大きかったと思います。

そもそも、ぼくがボランティア活動に目を向けるようになったのは、大学時代の友人の活動がきっかけなんですが、その友人が、ガーナにある彼の関わっているサッカーグラウンドに、息子の名前をつけてくれて。ぼくは昨年、リーグの中断期間を利用してそのグラウンドを初めて訪れて、息子の遺骨の一部を埋め、現地の子供たちとサッカーをしました。

そうやって実際に行ってみたことで、アフリカに対する想いはそれ以前よりも強くなりましたし、行く前とではイメージも大きく変わりましたね。

以前から慈善活動には力を入れてきた中町だが、アフリカの子供たちとサッカーを通して触れ合う中で、より一層アフリカへの想いが強くなっていったという。

中町はサッカー以外にもさまざまな活動をしている。写真はNPOの活動で行っているマザーハウス設立のミーティングの様子。

━━どう変わったんですか?

行く前は漠然と、貧しくて危険な、住むには過酷なところというイメージを抱いていましたけど、実際に行ってみると、ガーナは本当に平和そのもので。夜飲んで11時過ぎに帰ってもなにも問題ない。案外住めるな、と思いました。

一方で、アフリカの人たちが「支援されることに慣れきってしまっている」現状も、行ってみたからこそわかったことでした。アフリカにはこれまで、日本を含む先進国がたくさんの支援金を投入してきていて、もちろんそのことで改善されたこともいっぱいあると思うんです。でもその結果、彼らは支援されることに慣れてしまっていて。どちらかというと自分の力で立つ力が弱い。いま、ぼくのいるザンビアなんかはまさにそうです。

本来あるべき姿はどのようなものかと考えたら、やっぱり彼ら自身が自立して、世界と対等に"戦える"ようになることが大切なわけじゃないですか。となると、ぼくがこれまでやってきたような、外からの支援だけではカバーしきれないなと思ったんです。

例えばアフリカには、日銭を稼ぐために親が子供たちを働きに行かせていて、学習の機会が奪われているという課題があります。そこで「夢をもって努力すれば、現実は変えられる」と言うのは簡単ですよ? でも、いくらでも身近にロールモデルがいるし、現実的な選択肢がたくさんある日本とは違って、彼らにはそれがどういうことを意味するのかが具体的にイメージできないんですよ。

その際に、自分がその場にいて、サッカーをする姿を見せながら支援をするというのは、日本から支援するのとではまったく違う意味合いがあるんじゃないか、と。現地でプレーするサッカー選手だからこそできる支援というものがあるんじゃないかと思うようになりました。

━━年俸やサッカーに集中できる環境よりも、そういう大義を優先したということ?

プロである以上、年俸こそがサッカー選手の価値だという考え方があるのはわかります。その点で言えば、自分は今回の移籍で「プロアスリートとして」というところから少しずれてしまったのかもしれません。

でも、給料を10分の1まで下げたとは言っても、それは自分を犠牲にして、ボランティア感覚で行くという意味じゃない。今回の移籍には、自分という存在を通じてひとりでも多くの人にアフリカに目を向けてもらう、さらには、日本企業にもっとアフリカに進出してほしいという意味も込めていますが、そのことが自分のキャリアにとってもプラスになると、ぼくは本気で思っています。だからこれは、あくまで、サッカー選手としての中町公祐の存在価値を高めるために行った「投資」なんです。

それに、この行動に賛同してくれたサポート企業もあって。彼らがいるからこそこの移籍が成り立っているとも言えますね。

日本とアフリカがつながることで、自分の価値も高まっていく。年俸10分の1への移籍は、決してボランティア感覚ではなく、中町にとって将来への投資だ。

自分なりの「色づけ」を意識し続けたプロ生活

━━サッカー選手としての自分を、ある意味で商品のようにして見ているんですね。そのようにして自分を客観的に見るようになったのは、いつごろからですか?

自分なりの色づけをどうしていくかというのは、プロ入りした当初から考えていたことです。

ぼくはもともと進学校として知られる群馬県の高崎高校の出身で、卒業生初のプロ選手としてベルマーレに入りました。その時点でまず、自分の中でひとつの色がついた。その後、ベルマーレでは4年で66試合に出場したのですが、シーズン後にクビを宣告されます。若いうちからそれだけ試合に出ておきながらクビになるというのもなかなかないケースだと思うんですが、そこから大学のサッカー部に入り、もう一度プロに入り直した選手はもっといない。これもまた、サッカー選手としての自分の色です。

もちろん、そうしたことの一つ一つは、実際に起こるまでは想像さえしていなかったこと。でも、そういうルートを辿ったからこその中町公祐という色づけは、常に意識してきたつもりです。

自分のことを客観視して、強みがどこにあるのかを認識し、勝負するポイントを見定める。これは、それこそピッチの中においても、サッカー選手にとってものすごく重要なことだと思うんですよね。自分の場合で言えばそれは「組織にパワーを発揮させる力」だと思っています。11人のメンバーに中町を入れておけば、なんとなく勝つよね、というような。まあ、FWの得点のようにはっきりとは数字に表れないので、理解されにくい強みではあるんですけど。

━━でも、わかります。組織をうまく回すのにそういうハブ的な役割が必要というのは、ビジネスの世界でも同じだと思うので。

ぼくはプロの中に入ると身体能力がめちゃくちゃ低いほうなんです。チームに30人近く選手がいる中で、常に下から3番目くらい。そんな自分が7年にわたってマリノスの一線でやってこられたのは、そうやって自分にはどんな強みがあって、どういうところを組織に活かせるのかという視点を、ほかの選手よりも明確にもっていたからなんじゃないかな、と。

ただ、そういう自分の強みって、いきなり発揮できるわけではないんですよね。そこまでたどり着くには前提として、周りの人たちとの間に、信用だったり信頼だったりをしっかりと築いていることが不可欠。特に、チームメイトが自分のことをどう思っているかというのが、すごく重要で。

自分の強みを発揮するには、周りの人との信頼関係を築くことが不可欠

ぼくはマリノス時代の2013年に優勝争いしているんですけど、この年は試合前に円陣を組んだだけで「このチームだったら負けない」と思えました。なぜかといえば、自分はこの仲間を信頼しているし、仲間も自分を信頼してくれているというのが感じられたから。2013年はその値がMAXにありました。

そういうチームメイトからの信頼をどうやって積み上げるかというのは、オフザピッチの部分も含めて、本当に考えながらやってきたつもりです。

「プロのサッカー選手の中では、自分の身体能力は決して高い方ではない」と中町は言う。それにもかかわらず、マリノスで活躍し続けられたのは、自分の強み組織にどう活かせるかを常に考えていたからだ。

━━例えば、どのように?

信頼を積み重ねる手立ては人それぞれだと思うんですけど、自分がよく言っているのは「飲み行かないとパスは出てこない」ということで。ビジネスパーソン的に言えば、昔ながらの「飲みニケーション」ってやつですかね。シーズン中だと頻繁には行けないですけど。まあこの言葉も、外出許可の殺し文句みたいな側面もあるのですが(笑)。

自分はキャリア的に「サッカーもできて、勉強もできて」という優等生キャラというか隙のないキャラに見られがちなんですけど、でもだからこそ、酒の席でのバカなことだって先頭に立ってやる、というのは意識してきました。ただ真面目にサッカーやってるだけじゃないんだぞ、と。

思うに、仲間からの信頼を得るには、サッカーが上手いとか仕事ができるとかいう以前に、人として、男として好きだなと思ってもらえるかどうかが大事なんじゃないですかね。

仲間からの信頼を得るには、スキル云々より、まず男として好きだと思ってもらうことが大事

言っていることは同じでも、誰が言ったのかによって、届いたり届かなかったりするじゃないですか。いくらいいことを言っていても、"ダサい奴"だったら、その時点で誰も聞いてくれない。だから、男としてかっこいいと思ってもらえることがかなり重要で。

━━ああ、それはオフィスでも言えることのような気がしますね。

その意味では今回のアフリカ行きは「信用を買うための選択だった」という言い方もできるかな、と。目の前のお金を掴みにいくのであれば、マリノス残留が絶対だった。そこであえて給料を下げてでも、視察だなんだで何百万円の私財を投じてまでも、本当に契約できるかどうかさえもわからないアフリカへ行ってしまう。少しいやらしい言い方になってしまいますが、「中町はそれができる男なんだ」というイメージを自分から求めにいったということです。

矢印は内側に。状況を変えられるのは自分しかいない

━━文化も常識も異なるザンビアでは、信用を得たり、自分の強みを周りに理解してもらったりするハードルも高そうですね。

そうですね。個人主義の国民性なのか、ザンビア人って本当に気が利かないんでね(笑)。だから事あるごとに言うようにしてます。「そういうところがサッカーにも表れるんだぞ」って。

ただ、これまでのぼくのキャリアを振り返っても、開幕スタメンだったことってほとんどないんですよ。つまり、開幕前から本当に期待されて入ったシーズンなんてなかった。その中でいつの間にかスタメンをつかんでいるというのが、ぼくのこれまでのサッカー人生でした。そういう意味では、今回だってやるべきことはそんなに変わらないのかな、と。

こういうインタビューでよく「あなたにとってのサッカーとは?」って質問があるじゃないですか。ぼくにとってのサッカーは、完全に「自分磨きのツール」なんですよ。だから、試合に出られない状況とか、逆境は歓迎できる。その壁を乗り越えれば、またひとつ自分が磨かれるわけだから。

ベルマーレで戦力外通告をされたときも、「ショックというより、自分の価値を高めるチャンスだと思った」と中町は言う。

その流れがアフリカにも通じていて。マリノスの最後の1年は、あまり試合に出られていませんでした。そんな中、クラブは2年契約のオファーをくれた。求めてもらえるというのは、もちろん嬉しいことですよ? 思い入れだってあります。でも、自分の内側にある基準に照らして、このまま居心地のいい場所にいたのでは、これ以上自分が磨かれないと思った。新しい環境に身を置かなくてはと思ったことが、今回の話につながっています。

━━自分に厳しいんですね。

実際はそんなこと全くないんですけどね。でも思うんですよ。プロである以上、お金が大事なのもわかるし、周りからどう見えるかというのももちろん大事だけど、一方では自分なりの基準を内側に持っていることは、それ以上に大事なんじゃないかなって。

サッカー選手は一日一日が真剣勝負。長く続けていると、ピッチの中でも外でも次々に壁にぶつかります。そんな時に目の前の状況を変えられるのって、結局自分自身でしかないので。そう考えたら、自然と矢印を内側に向けざるを得ないはずなんですよ。

振り返れば、ぼくがプロに入ったころにいた古き良きJリーガーは、みんなそうだった気がします。外からどう見られているのかというのとは別に、自分なりのかっこよさという基準をもっていた。「朝まで酒を飲んで、それでもちゃんとやれるのが俺たち」という破天荒さも含めて、周りに媚びず、「これが俺の生き方だ」と思う生き方をしている選手が多かった。「自分のとる行動に責任を持つ強さ」というのが表面に出ていたと思うんですよね。

いまはどちらかというと、監督やコーチの言うことに従って、本当に真面目にサッカーに取り組むという選手が多い。もちろん、真面目にサッカーに取り組むのが悪いということではないです。 でもその一方では、やはり自分なりの基準を持っていないと。それがないと、究極的な局面に置かれた時に、自分の結果や自分のサッカー人生に責任をもてなくなってしまうから。

━━人のせいや環境のせいにするという逃げ道ができてしまう。

こういう考え方をするのはもしかしたら、ぼくの仕事がサッカー選手で、言ってみれば個人事業主だからなのかもしれませんけど。でも、一般社会でもいまは終身雇用が当たり前じゃなくなっていて、自分で自分のキャリアを切り開かないといけない時代になっていますよね。「たとえクビになったとしても、これが俺のスタイルだから」と言える人は、どの世界に行ってもやっぱり強いんじゃないかな。

たとえクビになっても、これが俺のスタイルと言える人は強い

もちろん、そういう自分の意地や美学を貫くのって、口で言うほど簡単じゃないです。 ザンビアじゃ、バスで7時間移動してそのまま練習、そのまま試合が当たり前で、試合の翌日も容赦なくガチ走りさせられますからね。日本の常識からしたら考えられないことの連続ですよ。

でも、そういう理不尽さも含めて、向こうのリアルを日本の人に知ってもらうというのも自分の役割だと思っているので。いまでは「いっそのこと冷蔵庫はこのまま届かなくていいぞ」と思うくらいに達観してきていますよ。

ありがたいことに、ぼくは経験したことを発信し、注目していただける立場にあります。自分の前に立ちはだかるさまざまな困難やシチュエーションは、Jリーガーからアフリカに移籍をした第一人者として、全て新しいステップだと思えば何も苦だとは思いませんね。