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本郷に拠点を構える、AI特化型のインキュベーション施設に潜入

AIに特化したインキュベーターDEEPCOREが運営する施設「KERNEL HONGO」で、昨年末に初開催されたピッチイベントに潜り込んだ。主催者や審査員、発表者を取材し、ディープラーニング技術を活用した日本発スタートアップの可能性を探る。

2018年12月上旬、東京大学赤門のある本郷通りに面したあるビルの3階では、スタートアップのピッチイベントが行われていた。ファッション、医療、セキュリティといったさまざまな領域で未来のビジネスをつくり出そうとする起業家たちが、50名ほどのオーディエンスが見守るなかプレゼンを行う。プレゼン後には審査員から厳しい質問が上がる。ピッチイベントではよく見かける光景だ。

だが、このイベントにはひとつユニークな点があった。参加したすべてのスタートアップがディープラーニングを中心とするAI技術を使っていることだ。「KERNEL Incubation Summit vol.1」と題されたこのイベントが開催された場所は、ソフトバンクの子会社でAIに特化したインキュベーターDEEPCOREが運営するインキュベーション施設「KERNEL HONGO」。投資先スタートアップとKERNELに所属するメンバー、外部のアドバイザーを集めて行った初のピッチイベントである。

「新しいビジネスを考えるときには、知らず知らずのうちに『自分天才仮説』というのをとっている場合が多いんですね。『この領域にはこういう問題があり、だからこの事業をやります』というプレゼンは、自分だけがその問題に気づいているという仮説に立っているものです」。DEEPCOREのファウンディング・パートナーであり、東京大学教授、日本AI界のパイオニアでもある松尾豊は、イベントの最後の挨拶でオーディエンスに向けて語った。

「そうではなくて、実際に検証をしてみて、自分が行動したことに対して仮説を立てなければいけない。そうやって行動と思考を積み重ねることによって、人がまだ見えていない世界を見ること、そしてその経験に基づいて、いろんなアイデアを組み立てていってもらえるといいんじゃないかなと思います」

ピッチイベントを終えて松尾教授は、最後に参加者に向けて励ましの言葉を述べた。

30年後のための「正しいこと」

DEEPCOREは、もともとは「汐留事業4号株式会社」という少し変わった名前の会社だった。親会社であるソフトバンクグループがいつでも新規事業を立ち上げられるように準備していた準備会社で、DEEPCOREに社名変更後、2018年1月29日、インキュベーション事業を行うことが発表された。パートナーやアドバイザーには松尾のほかに孫泰蔵も名を連ねている。DEEPCOREは2018年2月にKERNELに入るメンバーを募集。現在は学生、社会人を含めた約300人のメンバーが、未来のAIビジネスを生み出すために日々この施設で作業をしている。

DEEPCOREの設立背景には、ソフトバンクが2010年に発表した「新30年ビジョン」がある、とCEOの仁木勝雅は言う。「新30年ビジョン」とは、ソフトバンクが創業30周年を期に発表した「次の30年」の方向性を定めたもの。「われわれが何のために事業をしているのか、何を成したいのかを短い言葉で表せば、『情報革命で人々を幸せにしたい』に尽きます」という言葉から始まるこの資料のなかで、今後の事業戦略の根幹として取り上げられた領域のひとつがAIだった。

もうひとつの設立背景は、日本のスタートアップへの投資機会が少ないことである。「私は2005年から2016年までソフトバンクの投資部門を担当してきましたが、実はその95%くらいが海外企業への投資だったんです。ボーダフォン日本法人やイー・アクセスといった国内の大型企業の買収はありましたが、それ以外の国内への投資は本当に少ししかないんですね。あってもほぼほぼレートステージです」。外資系通信会社を経て2005年にソフトバンクグループ入りしたのち、約10年間にわたって投資部門を率いてきた仁木は語る。

「われわれとしても日本のスタートアップに投資をしたくないわけじゃないんだけど、なかなかする機会がない。アーリーステージを含め日本にもっと多くの投資機会があってもいいのに、それができないのは、やっぱり日本に強力なスタートアップが少ないからなんですね。そういうこともあって、『AI×スタートアップ』の領域を掘ってみようか、というところから今回の話が始まっています」

AIに特化したスタートアップを生み出していくために、仁木らが注目したのが理系研究者や技術者、学生のポテンシャルだった。マイクロソフトやグーグル、フェイスブックといった米国のテックジャイアントたちは、エンジニアリングをバックグラウンドにもった創業者をもつ。それと同様の流れを日本にもつくりたい、という考えが、松尾教授との協力、本郷という場所にインキュベーション施設を設立したことにつながっている。

DEEPCOREへの協力を承諾した理由について松尾に尋ねると、「方向性が正しいので否定する理由がなかった」という答えが返ってきた。「僕はよく、いまのディープラーニングって『1998年のインターネット』みたいなものだと言っているんです。1998年当時、これからインターネットが重要になるからそれに興味のある優秀な研究者や技術者、学生を集めてインキュベーションをやろうよねって言ったときに、反対する理由はないじゃないですか」

「どう考えても、AI分野ではGAFAが強いし、中国もすごい。そのなかで日本がどう戦っていくかは難しい話で、本来であれば国レベルでの正しい意思決定や大企業がきちんと動いていくことといった、いろんなことが一体になって行われないといけないんです。でも政府も企業も、いろいろなしがらみや力関係のなかで大胆な意思決定をするというのができていないんですよね」

「そうした本来やるべきなのにできていなことが日本中のいたるところにあるなかで、DEEPCOREは『AIスタートアップを生み出すための環境をつくる』という正しいことをやろうとしている。それは学生にとっても得だし、企業にとっても得だし、松尾研にとっても得になります。こうした正しいことをみんながやることによって、穴が埋まっていって、日本全体がいい方向に行くんじゃないかと思っています」

日本の未来へのシーディング

KERNELの共有スペースには、人工知能、自然言語処理といった専門分野の書籍から『Newton』や『ナショナルジオグラフィック』といったメジャーなサイエンス系の雑誌、起業関連の書籍などが置かれている。また半導体メーカー大手NVIDIAの協力により、入居者たちはトップクラスのコンピューティングリソースを利用できるほか、彼らはメンターやDEEPCOREから事業をかたちにするためのアドバイスやサポートを受けることができる。

scheme verge」CEOの嶂南達貴は、旅がテーマの新サービスについて発表した。

「テクノロジーを使って個人中心の都市開発を実現する」をミッションに掲げるscheme vergeは、KERNELのメンバーから生まれ、DEEPCOREのファンドからの投資を受けることに成功した初のスタートアップだ。東大の修士課程在籍中に同社を立ち上げたCEOの嶂南達貴は、ビジネス面でのアドバイスを受けられることがKERNELに所属することの最大のメリットだと言う。

「発想力、課題に対して新しいアイデアを粘り強く考えていくのは、学生のような若い世代のほうが得意なところもあると思います。でも、それを具体的にビジネススキームに落とすスキル、事業計画を書いたり、財務戦略・資本政策を作ったりといった面では、やはり経験が重要になってくる。そうしたビジネス面で、経験・知識のある方々にフィードバックを得られるのが一番大きいと思います」

Medmain」CEOの飯塚統は、超高精度の病理画像診断ソフト「PidPort」について発表した。

「AIに特化してここまでネットワークをもつVCはなかなかない」と語るのは、同じくDEEPCOREのファンドの投資先で福岡を拠点にする医療AIスタートアップ・Medmain CEOの飯塚 統だ。冒頭のピッチイベント「KERNEL Incubation Summit」に参加した飯塚は、DEEPCOREがAIスタートアップに特化しているからこそ、そのコミュニティに価値が生まれやすいと言う。

「こういったイベントに呼んでいただくと、AIに取り組まれている方がみんな集まっているので、うちで抱えている課題感をほかの会社さんももっていたりするんですよね。それを互いに共有して、知恵を出し合うことで、解決できる部分もあるように感じています」

このようにDEEPCOREはインキュベーション機能とファンド機能の双方をもつことで、AIに関心のある若い才能を集め、彼らのアイデアを現実化するための環境とメンターを用意し、可能性のあるものに対しては自ら資金を注ぎ込んでいく。すなわち「0→1」、そして「1→100」のプロセスをシームレスにつなげることで、継続的にAIスタートアップを生み出すような仕組みをつくろうとしているのだ。最初のパートナーとして組んだのは東京大学の研究室だが、「今後は国内外のほかの大学とも提携を進めていくつもりです」と仁木は語る(インキュベーション施設第一号に「KERNEL HONGO」と名前をつけたのは、将来的に「KERNEL ◯◯」をあらゆる場所で展開するためなのだろう)。

DEEPCOREの掲げる目標は大きいが、仁木たちは決して短期的な"成功"にはとらわれていない。だからこそKERNELは、他のVCに多いアクセラレータープログラムのように期間限定でスタートアップを教育する「バッチ制」は採用していない。長期的な目線でDEEPCOREを運営するなかで日本のAIスタートアップのエコシステムをつくっていくことは、ソフトバンクという巨大な後援者がいるからできることでもある。

「継続的に、このKERNELという場所からスタートアップが生まれ、ここから輩出された人たちが次の世代に対してアドバイスができるような、そういうコミュニティがつくれればと思っています」と仁木は言う。「そしてそのなかから、モノになるもの、世界を相手に戦えるような強いスタートアップが出てこないといけない。そうしないと、周囲から認められるところまではいかないと思うんです」