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どんな肩書きにも負けない。凡人だからこそできる、ストーリー型自己紹介

前職や肩書きを並べただけでは、理解はされても、すぐに忘れられる。そんな凡人にこそお勧めの自己紹介は、ギャップと時間を意識して、共感を生むストーリーを盛り込むことだ。

前編に続いて「Sansan Innovation Project 2019」内のセッション「自己紹介のイノベーション」のレポートをお届けする。

一人目の登壇者である横石崇が扱ったのは、他人から「あなたは何をしているのか?」「あなたは何者か?」と問われて始まる自己紹介。このような質問に対してどう返せば、自らの人生の目的を自然な形で相手に伝えることができるかを考えた。

一方、二人目の福井康介が取り上げるのはその逆。自分で自分をプレゼンテーションするシチュエーションについて考える。「自分は凡人。それを伝えるだけで自分が何者かをみんなが理解し、応援してくれるような立派な肩書きはない」と語る福井だが、「凡人には凡人ゆえに人に応援してもらえる可能性がある」とも話す。

凡人はどんな自己紹介をすれば人に応援・共感してもらえるだろうか。

「理解される」ではなく「覚えられる」ことがゴール

福井はまず、横石が立てた「そもそも人はなぜ自己紹介をするのか」という冒頭の問いに立ち返る。

福井の考えるその答えは、「自分のことをどこかでしゃべってほしい」とか「仕事につながる話を持ってきてほしい」とか「やりたいことに協力してほしい」からというもの。であれば、自己紹介をした結果、自分のことを相手に覚えてもらわなければ意味がない。ゆえに自己紹介の最初のゴールは、「理解されること」ではなく「覚えられること」ではないか、と言う。

では、覚えられるためにはどうすればいいのか。これまでの一般的な自己紹介は例えば、「どこどこ大を出て、どこそこの会社に入り、どこそこの部署を経て、いまはこんな肩書きです」というようなものだった。しかし、こういう自己紹介をすると、情報認識的には「パターン認識」にハマってしまう。「ああ、●●な感じな人なのね、とその場で理解はしてもらえても、パターンとして処理され忘れ去られてしまう」

「パターン認識」では理解はされるが覚えてもらえない。達成したいのは理解されることではなく覚えてもらうこと。ではどうするか。そこで福井が持ち出すのが「ストーリーの力」だ。

福井によれば、人間の脳は「パターン認識」と並んで「ストーリー記憶」も得意としている。「エピソード記憶」などとも言われる。好きな小説や映画の内容を、大まかな話の筋だけでなく意外と細かいところまで覚えていられるのは、ストーリーがもつ力がなせる技という。

福井は普段、こうした物語に関する研究を行っており、その最終目標は「物語を感覚的ではなく理知的に誰でも学べるようにすること」という。物語にはさまざまな要素が含まれるが、その中の研究対象の一つがこの「ストーリー」。ストーリーの力をうまく使えば、凡人であっても人に覚えられる自己紹介が可能になると福井は言う。

ストーリーの最小要素「時間とギャップ」

ストーリーの力を活用するには、そもそもストーリーとは何かを知っていなければならない。ストーリーとは何かを探るべく、さまざまな物語づくりに関する文献やアニメ作品を当たる中で、福井は自己紹介にも応用できそうな「ストーリーの最小要素」を見つけたという。それが「時間とギャップ」だ。

横軸に時間を取り、縦軸に感情・テンションを取る。そこに物語を構成するエピソードをプロットしていく。いくつか並ぶエピソード=「点」をすべて「線」で結んだものが物語だ。このような物語の説明は福井独自というわけではなく、物語の制作者に一般的に知られたものである。例えば『君の名は。』のような有名作品の脚本の検証にも使われているという。そして、ある「点」とそこから一番近い「点」とを結んだ「線」、これが物語の最小単位「時間とギャップ」である。

ギャップとは通常、何かに関する二つの差異のことを指すが、物語におけるそれは「憧れ」と「哀れ」の間にある感情・テンションの差異であると福井は説明する。ここでいう「憧れ」とは、「羨ましい」と思われるようなこと。例えば「勇気を出したこと」「何かに没頭していること」「自分の有能さが証明されたこと」などを指す。一方の「哀れ」は「かわいそうだな」と思われるようなことで、例えば「ダメなこと」「失敗したこと」「自分の無能さが証明されたこと」など。

受けた感情を「憧れゾーン」と「哀れゾーン」に区切った時に、この間を行き来していれば、ギャップが存在していると言える。そして、時間の経過とともにこのギャップが立ち現れるのが、「最小要素」を備えた物語である。

つまり、時間の経過とともに「憧れ」と「哀れ」の間を行き来するような自己紹介を作れれば、それは人々の「ストーリー記憶」を刺激する。すなわち、福井の言う「覚えられる自己紹介」が出来上がることになる。

〈憧れ〉と〈哀れ〉で作る、覚えられる自己紹介の型

以上のことから福井が導き出した、誰もがすぐに実践できるストーリーのある自己紹介の型は、次のようなものだ。

「〈哀れ〉なんだけど、実は最近、〈憧れ〉なんです」

〈哀れ〉なことと〈憧れ〉なことを入れ込むことでギャップを作りつつ、「実は最近」というところで時間の経過を表す構造になっている。〈哀れ〉なことと〈憧れ〉なことは、順番が逆でもいい。例えば「〈入社して10kg太った〉んだけど、実は最近、〈VRで美少女になった〉んです」、「〈マンションを買った〉んだけど、実は最近、〈すげえコウモリが窓にぶつかる〉んです」のように使う。

従来の自己紹介は「理解/安心」を目的とし、「肩書き/経歴」というメソッドを使って、脳の機能としては「パターン認知」を刺激していた。これに対してストーリー型の自己紹介は、「記憶/共感」を目的としながら、メソッドとして「ギャップ/時間」を使い、脳の機能としては「ストーリー記憶」を呼び覚ましていく。

こうした「ストーリーのある型」から外れた自己紹介はつまらないものになりがちだとして、福井は次のような例を挙げる。

「ほにゃらら株式会社の東京働男です。新卒からどこそこの部署を経験しまして、なになにに転勤したのち、現在は、どれそれの部署でなにがしを担当しています」

例えばこの自己紹介には、時間は存在するがギャップがない。ストーリーのない自己紹介はただの「情報の羅列」である。だから「秒で忘れられる」。

「あー、僕ですか。大学在学中で司法試験受かっていま弁護士やってます。昔っから教科書とかも読むだけで覚えちゃって、試験も、あんまり勉強しなかったけど一発合格でしたね。最近は友達とファンドつくって、かなりお金もできたんで、ほんとモテて困っちゃいますよー笑」

一方、これは時間と憧れしかない自己紹介。これもギャップがないから「ムカつくし、すぐ忘れる」。逆に時間と哀れしかない自己紹介も効果的とは言えない。時間と哀れしかない自己紹介は「卑屈」だ。「情報羅列」「自慢話」「卑屈」。これはどれもつまらない自己紹介の典型と福井は言う。

凡人にこそチャンスがあると言える理由

この「ストーリーのある型」を使うと、凡人にこそ覚えられる自己紹介を作れるチャンスがある。なぜなら、ここで必要となるギャップは、ダメな状況から少し頑張っただけで作れるもの。ゆえにダメであるほどチャンスが大きい。

「〈ダメダメ〉な状況から、何か〈頑張ってみる〉。〈結果ダメだったんだけどね〉ということだったとしても、この〈頑張ってみた〉こと自体が憧れの感情を生む。だから覚えられる自己紹介につながる。部屋を片付けてみたとか、本当に些細なことでもいいんです。こうしたちょっとした頑張りっていうのは凡人ほど作りやすい。そういったものを見つけて憧れとして機能させることで、誰でも覚えられる自己紹介ができるのではないか、と」

福井が自身のパートの最後に参照したのは、スティーブ・ジョブズがスタンフォード大の卒業生に向けて行った有名なスピーチの一節だった。「先を見通して点をつなぐことはできない。振り返ってつなぐことしかできない。だから将来何らかの形で点がつながると信じることだ。何かを信じ続けることだ」

点と点は振り返ってつなぐことしかできない──。逆に言えば、その時はただ好きなことをやっていただけで、何につながるかなんて意識していなかったとしても、振り返ればその点と点が線としてつながり、覚えられる自己紹介になることもある。その「点と点を結びつけて線にする」技術こそが、ストーリーづくりなのだと福井は言う。

「いまはいかに楽しげに生きているのかの付加価値が高まっている時代だと思うんです。それはインスタ映えするとかそういうことではなく、本当に好きなことをやっていそう、ということ。本当に好きなことをやっていれば、いいことも悪いことも起こる。それをつなぐからこそギャップができ、立派な肩書きを持つ人にも負けない自己紹介ができるということです」