グループアドレス、仮眠室、集中ブース。三菱地所が昨年、先進的なオフィス改革に踏み切った。たった9ヶ月間という猛スピードで、ハードだけでなく、ITと制度もまとめて変えた。ある「危機感」があったからだ。移転から約1年、改めてオフィス改革の真意を聞いた。
昨年1月。「丸の内の大家さん」こと三菱地所が引っ越しをした。大手町1丁目6番地から、大手町1丁目1番地へ。通りを1本隔てただけの引っ越しだが、新オフィスの見学者は1年間で5000人を超えた。
三菱地所は丸の内・大手町・有楽町エリアに30棟以上のビルを所有する。引っ越し前、本社オフィスは大手町ビルヂングにあった。築60年のオフィスビルだ。現在は大規模な改修工事を行っている。
移転した先は2017年に竣工したばかりの大手町パークビル。最新の複合ビルだ。本社移転プロジェクトチームのメンバーの一人、田中文康はこう言う。
「三菱地所はこれまで、建て替え候補となるようなビルに本社を置いてきました。我々が退居すればビルの相当部分が空くので、その分(建て替えや改修時に)お客さまにご迷惑をおかけすることが減るからです。古いビルを転々としてきたので、社員の中には『まさか新しいビルで働ける日がくるとは』と言う者もいました」
80年を超える歴史を持つ三菱地所が、慣習を変えてまで新しいオフィスをつくったのはなぜなのか。老舗企業の本社移転の背景には、多くの日本企業にとってひとごとでない危機感がある。
三菱地所の本社で働く社員数は約800人。旧本社オフィスはいわゆる島型対向式レイアウトだった。数名分のデスクが向かい合わせに並び、その端に副長席。いくつかの島を見渡せる位置に部長席。役員は個室。外出するときは行き先をホワイトボードに書いていた。
旧本社はビルの空室を活用していたため、七つのフロアに点在していた。他部署に行くときはセキュリティーエリアを出て、共用廊下や階段を通らなければならなかった。他の入居者や来訪者とすれ違うこともある。そのたびに抱えた書類を裏返したり隠したりしなければならなかった。
「オフィスサプライヤーである我々が、時代にそぐわないオフィスで仕事をしていて、お客さまに本当にいい提案ができるのかという課題意識がありました」
田中は「新しいオフィスを『実験場』と位置付けている」と言う。
新オフィスでは固定席を廃し、グループアドレス制(部署ごとに大まかなエリアを決めた上でフリーアドレスを運用する仕組み)を導入した。役員用の個室はなくなった。代わりに、通常のデスクに加えて、スタンディングデスクやファミレスのようなボックス席、モニターを備えた打ち合わせブースなど、多様な席を用意した。
「マネジメントクラスとのコミュニケーションがとりやすくなり、ビジネスのスピードが速くなりました。移転してから、複数の社外の方に『レスポンスや意思決定が速くなりましたね』と言われたのが印象的です」
移転後も実験を続けている。例えば、ある部署の座席数を減らした。
「当初は100人に対して100席の割合で座席を準備していたんです。一方、事前の調査で在館率、在席率ともにそれほど高くないことが分かっていました。そこで移転後に一部の部署に限って『100人いるけど80席にさせてください』という実験を始めたんです」
座席にセンサーをつけて、ピーク時の在席率や、1日のうちで在席率の高い時間帯などのデータをとる。その数値を共有して、改善点を話し合う。快適さなどの定量化できない部分は、「空いているイスに荷物を置かないようにしよう」とか「短時間の離席でもクリーンデスクを徹底しよう」というように、オペレーションでできることを見つけていく。
「検証のフェーズを終えたら全社展開へ----という具合に、どんどん改善していこうよというオフィスなんです。理念的には完成することはありません。他にも、指紋認証システムや常駐のコンシェルジュ(庶務業務のアウトソーシング・サービス)といった新しいシステムやサービスを導入しています。新オフィスに対する社員の満足度や、新オフィスになって仕事への意識がどう変わったかなどの調査も行っています。仕事柄みんな興味を持って参画してくれるし、理解を得られやすい。結果をお客さまへの提案に生かすこともできます」
新しいオフィスを案内してもらった。3階に受付と来客用のミーティングルーム、そしてラウンジ、カフェテリアなど。4〜6階が執務エリアだ。フロアをぶち抜いて内部階段がつくられている。
田中は今回の本社移転を「オフィスからワークプレイスへの変化」と説明する。それがよく表れているのが3階のカフェテリアだ。朝食やランチの利用はもちろん、アイドルタイムに仕事をしたりミーティングをしたりすることができる。社外も含めたイベントが開かれることもある。
「ワークプレイスにおいて食がとても大事だということは当初から考えていました。食事の場は、人々のコミュニケーションの場であると同時に、アイデアが生まれたり、知見を共有したりする場になり得ます。
食事の場は、アイデアが生まれたり、知見を共有したりする場になり得る。
つまり、『食を介したコミュニケーションを取ることができるワークプレイス』と捉えています。だから『もう社食と呼ぶのはやめよう』と。カフェテリアの名前は『SPARKLE』というんですが、新オフィスのデザインコンセプトである『park』を含みつつ、『spark』、つまりひらめきが起こるような場所にしたいという思いを込めて命名しました」
「SPARKLE」には厨房の他にコーヒースタンドがあり、朝7時から8時半までコーヒーを飲むことができる。「ワークスタイルが朝型に変わったという社員もいますね」と田中は言う。
内部階段で4階へ上がる。固定席時代には紙資料が山積みになっていたが、その光景も今は昔。先述のとおり座席はグループアドレス制で、クリーンデスクが徹底されている。5階も同様だ。ペーパーレス化が進み、紙の出力枚数は5割削減された。資料を保管するキャビネット類は7割減。代わりに社員一人ひとりにロッカーが割り当てられている。
「正確にはペーパーレスではなく、ペーパーストックレスですね。進行中のプロジェクトの図面などアクティブな紙資料はロッカーに入れ、それ以外はスキャンして処分しましょう、と。古くからうちをご存じの方ほど驚かれます」
固定席がないから引き出しもない。文房具は「PERCH(パーチ、止まり木の意)」と呼ばれるスペースに共有化した。在庫管理は前出のコンシェルジュが行なっている。今回の移転によりオフィス全体の床面積は以前に比べ2割減ったが、共有スペースの割合は10%から30%へと増加した。
6階も執務エリアだが、4階5階とは雰囲気が異なる。オープンフロア型の4階5階に比べて、6階は空間がカーテンやパーテーションで区切られて目隠しされており、奥には個室が並ぶ。そして静かだ。「Concentration & Relaxation(集中と緩和)」がコンセプトのこのフロアには、集中ブースと並んで、仮眠室がある。男性用3室、女性用3室の計6室。カギもかかるようになっている。これほど本格的に「寝るための部屋」がある会社は珍しいのではないだろうか。田中はこう言う。
「つくること自体は大して難しくありません。部屋の中にリクライニングチェアが1脚置いてあるだけです。難しいのは、うまく使ってもらうことです。そもそも、仮眠をとることが制度として認められていなければ、堂々とその部屋を使うことはできませんよね」
つくること自体は大して難しくない。難しいのは、うまく使ってもらうこと。
田中たちは人事部と協働して、生産性向上の観点から1日30分程度の仮眠を推奨する制度を設けた。そして、各自のPCから仮眠室を予約できるように会議室予約システムに組み込んだ。
「ハード、制度、IT。三つがそろってようやく、新オフィスで実現しようとしている働き方が、社員一人ひとりの体験に落とし込まれていくんです」
本社移転と同時に、モバイルPCやスマートフォンの貸与などIT環境の整備を行い、自宅やサテライトオフィスでの勤務を可能にするテレワーク制度を導入した。社員には月2回まで終日のテレワークが認められるようになった。
「自分がアウトプットしたい内容に応じてワークプレイスを選べるようにしようという、アクティビティー・ベースド・ワーク(ABW)の考え方は当初からありました」
ABWは近年の主流だが、それを可能にしたのはITの普及と、自由な働き方を推奨する制度だ。固定電話に慣れた中堅以上の社員の中には、柔軟性の高いオフィスに抵抗感を示す人もいたのではないだろうか。そう聞くと田中はこう答えた。
「世代の差ということではないと思います。一つ言えるとしたら、前の本社のほうがマネジメントの難易度が低いんです。なぜかというと、部下がいつもまわりにいて、電話の声も聞こえる。話しかけたいときに話しかけられる。管理する側にとっては効率がいいんです。でも、社員一人ひとりにとっては、しょっちゅう上司に話しかけられたり、周囲の雑音で集中を妨げられたりすると、生産性を上げられる環境とは言えません。でも、一番の目的は、チームとしてのアウトプットを最大化することですよね」
「そう考えれば答えは自ずから明らか」と田中は言う。
「仮に『フリーアドレスだと部下が何をしているかわからないから困る』と言われたとしたら、『それはマネジメントにおいて工夫して解決すべき問題であって、ハードの問題だけではありません』というのが答えになると思います」
ハードが変われば、働き方も変わる。
「オフィス移転は、働き方改革を推進するための強力な打ち手の一つだったんです」
本社移転プロジェクトのメンバーは専任以外に、ビルの開発や営業部門などから兼務者が参加し、最終的に12人でプロジェクトを動かしていった。2017年4月にプロジェクトチームが立ち上がってから、2018年1月の移転まで約9カ月。
「内装を設計してくれたメック・デザイン・インターナショナルの担当者にも常駐してもらって、朝から夜遅くまで、ランチの間もずっと話していました。それが毎日続くので、部長や担当役員に報告する暇がないんです(笑)。それでも、プロジェクトリーダー以下のチームにほぼ全権を委譲して、任せてくれました。『こうしたいです』と言うと『わかった』と。『支障があるなら俺が話す』と言ってくれて、実際に各部署に話を通してくれた。そうでなければこのスピード感では実現できていないと思います」
社長をはじめとする経営陣のコミットが得られたのは、三菱地所において本社移転が「働き方改革」という大きな経営課題の中に位置付けられたプロジェクトだったからだ。
「来たるべき2020年代に我々はどういう姿でありたいのか。時代の変化を先取りするスピードで、競争力あふれる企業グループでいられるのか。その危機感は強くありました。
制度や設備を新しくすること自体が目的ではない。それらを使って、いかに生産性をあげられるかが大事。
ただ気分を変えるための引っ越しではもちろんありません。テレワークを取り入れることや、集中ブースや仮眠室をつくること自体が目的なのではなく、それらを使っていかに生産性を上げていくか。フレキシブルな働き方を許容する風土や、新しいことにチャレンジしやすい文化をいかにつくっていくか。そのスピードを上げていけるか。そういったことが我々の本社移転プロジェクトの背景にはありました」
田中たちは、移転から1ヶ月後に社員に対してアンケートを行った。その結果、「企業風土は変わると思うか」という質問に86%がYESと答え、「新しいアイデアが生まれやすい環境になったと思うか」という質問に71%がYESと答えた。
「丸の内の大家さん」の新居には、引っ越しから1年以上経った今も見学ツアーの申し込みが後を絶たない。
「(見学ツアーで)さまざまなお客さまをご案内していて思うのは、オフィスからワークプレイスへの変革のニーズがものすごく強いということです。それは本質的には、みなさんが本来の目的であるアウトプットをいかに出すかということを考え始めたからではないかと思います」
オフィスのあり方は、たった一つの正解があるわけではない。しかし、働き方改革が進み、人々の働く場所に対する意識は確実に変わっている。
「昔のオフィスは固定席が当たり前でした。固定席制とは、人と場所が一対一の鎖でつながれているということです。今考えれば硬直的な働き方に思えますが、当時の人たちも、その時代の合理性に基づいて『どこにオフィスを構えようか』『どういうオフィスにしようか』と考えていたはずです。しかし以前と同じやり方では新しい価値を生みづらくなってきたのではないでしょうか」
田中によれば、「オフィスからワークプレイスへの変化」とは「人と場の鎖を一度断ち切る」ということだ。長年つながってきた鎖を断ち切り、さらに新しい形でつなぎ直すのは容易なことではない。しかし、危機感が背中を押した。
自分たちはこの先の未来にどうなっていたいのか。思い切ってオフィスを変えてみたら、その先にどんな働き方が待っているのか。そんな視点から「職場再考」をしてみるのも面白いかもしれない。