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伊藤忠商事を「1兆円規模の総合商社」へと導いた中興の祖、越後正一の名言

非財閥系商社NO.1への道のりは、決して優しいものではなかった。第5代社長の越後正一は、たび重なる逆境を次々と新たなチャンスへと変えていった。会社が大きな危機に直面した際には、自身の座右の銘をもとに全社員に向けてメッセージを送り、みんなを勇気づけたという。

伊藤忠商事の第5代社長として、1960年から14年間、越後正一は類まれなる経営手腕を発揮した。

社長在任中の実績は、資本金6.5倍、人員2.7倍、売上高10倍、グループ会社数2.5倍(125社)という驚異的な記録を残している。しかし、その過程は決して順風満帆ではなかった。

伊藤忠商事に入社したのは1925年。従業員数は200人前後。1920年の世界恐慌の打撃により、会社は事業の存亡をかけて日夜苦闘している最中だった。2代目、伊藤忠兵衛の書生だったこともあり、なんとか頼み込んで入社できたものの、南京虫が湧く会社の床で寝泊まりしながら、自転車で毎日集金にまわるという、過酷な社会人生活からスタートしている。

やがて1932年より中国青島支店へ転勤すると徐々に経営者としての頭角を現し、東アジア各地で支店長を務める。

戦後、日本に帰国すると、まず金沢支店の開設を命じられた。そこで支店長として実績をさらに積み上げると、2年後には伊藤忠の"登竜門"と言われていた名古屋支店長のポストを任される。

私は相場の勉強に身命を賭して努力をし、信念と自分なりの行き方を持っていた。そのため大したけがもせず、逆に昭和二十六年前後の大暴落に際し、大胆な売りを続け、当時の金で十億円を大きく超える利益をあげることができた。しかし、その間の心労は、生やさしいものではなく、人に語りきれないほど深刻であった。

『私の履歴書 16』(日本経済新聞社 1981年)

1952年に大阪本社へ戻ると、会社の売り上げの大部分を占めていた綿糸布部の部長に就任。激動する綿糸布界で会社に多大なる利益をもたらし、「繊維相場の神様」として名を馳せる。

1960年に59歳で第5代社長に就任すると、世界的な総合商社への夢実現のため、非繊維部門の拡大に心血を注いだが、その過程でも苦労は尽きなかった。

非繊維部門の拡大をいくら口でいっても──木材や化学製品や鉄、油関係を拡大するんだといっても、みんな未経験者ですから、海外との商売をしていましても経費をまかなうだけの利益がでません。従って期末には本社の利益の中から大蔵省の許可をもらって送金しました。各支店が食べていけないから送金する。そうすると綿糸をやっていた部長なんかが「こんなことやっていたら伊藤忠はどないなります」といってきます。「とにかく十年を目標にやってるから黙ってやってくれ」と頼みましたけど、利益は減るし、配当はしなきゃならんし、苦しい時はあったんですけれど、一生懸命やりました。

『大阪商人道を生きて 越後正一、人生と経営哲学』(ブレーンセンター 1988年)

たび重なる不況の煽りを受け、倒産の危機に追い込まれたことまであった。それでも決して諦めることなく、持ち前のバイタリティーで会社を成功に導いた。そんな越後の言葉には、現代に生きるわれわれにも響くものがある。

"Into the Light" by Michael W Murphy (CC BY 2.0)

名言が生まれた背景

1971年のニクソン・ショックで全社に不安が広がった際には、国内外の全社員へ向けてメッセージを送った。今回紹介する名言は、その一部を抜粋したものである。

「成功は窮苦の間に芽生えており、失敗は得意満面の間に宿る。黒雲のうしろには、太陽が輝いている」

前半部分は、前社長から教わったという「成名毎在窮苦日敗事多因得意時(名を成すは常に窮苦の日にあり。事に敗るるは多くは得意の時による)」を表したもの。中国・明朝末の教養人・陸紹珩の読書録『酔古堂剣掃』から引いた言葉である。

後半部分は、学生時代に英語の講義で教わった一節「The sun is always shining behind the dark clouds.」を訳したもので、この時に限らず、苦しい時にはいつも励まされていた言葉だという。

苦しいときはみんな一緒である。さきに光明を求めて頑張るのだ、不況のときにこそ勇猛心を起こすのだ。好況のときはだれでも愉快になってはつらつとやるに違いないが、不況になったとき、苦しいときにこそだれよりも頑張るのだ。わたしはこのことをまた私自身にもいい聞かせている。このことばがどれほどわたしをささえ、勇気づけてくれたことか、いま思い直してもいろいろな思い出が浮かんでくる。

しかしながら、逆境のときにチャンスを握るということは、なかなか口でいっているようなわけにはまいらない。金も足りなければ、いろいろな支障もあり、大きな不安もある。そんなときにこそほんとうに先見性を働かせて、頭を切りかえて出直しをしていくのだ。新しい出発をするわけである。昭和三十六年、四十年の不況、あるいは四十六年のニクソン・ショックのようなときには、よしこい、いかなる逆境に立っても、何とか乗り越えていくという勇猛心をもって経営に当たることが大切である。逆境を恐れない経営者でなければ、大きな発展はみられないし成功も望めない。

『経営のこころ 第三集』(日刊工業新聞社 1973年)

"Japan 2012" by Lig Ynnek (CC BY-NC-ND 2.0)

並々ならぬ向上意欲

なぜ越後は逆境をチャンスに変え、数々の成功を収めることができたのか。引退後、友人たちから寄せられたメッセージに、そのヒントとなるエピソードがある。

越後は結婚50周年を記念して、1980年5月に約300人の友人を招待し、盛大な金婚式を挙げた。全員の引き出物に、自らの伝記的な出版物を入れていた。信頼のおける編集者に松下電器の松下幸之助やダイエーの中内功など、約80名の友人リストを渡し、彼らのメッセージをまとめた書物である。

なかでも印象深いのは、当時サントリーの社長を務めていた佐治敬三のメッセージに見られる、越後の並々ならぬ向上意欲だ。

越後さんとご一緒に「今日庵」にお招きを受けたことがあった。家元・千宗室さん直々のご指導で、立派な会席料理を頂戴するという口福に恵まれたわけである。

「その処を得る」というのはこのことか、と思うほど、千宗匠の"解説"は、舞台上の名優のセリフさながらであった。私たち一同、かしこまって拝聴していたが、ふとお隣りの越後さんをみると、メモを取り出して克明に宗匠の言葉を書き込んでおられるではないか。その真剣なまなざしとすさまじいばかりの向上意欲を眼のあたりに拝見して、私はただただ頭の下がる思いであった。

(中略)

経営者の越後さんを拝見していると、この努力、それに何ごとにも真剣に取り組まれる真摯な姿勢がうかがえる。これこそ伊藤忠が総合商社として大躍進し、世界のCIに発展した原動力だと信じている。

『江州商人「越後正一」 商社界の鬼といわれて──』(現代創造社 1980年)

並々ならぬ向上意欲は、千宗室のコメントにも見られる。

気取りがなくてさりげない思いやり。大伊藤忠を背負い、今日までこられた方だけに、きびしい見方、卓越された力をおもちの大事業家ですが、私にとっては、その人徳にあやかりたい学校の先生という感じ。とにかく表面的なおつきあいの多い社長さんに比べ、越後さんだけは、おなかの中に入っていける持ち味をお持ちだと思います。

裏千家では、大阪連合会の会長と大阪今日庵の会長をお願いしていますが、いったん引き受けるとご自分でお忙しい日程をやりくりして毎回出席されますし、その時の挨拶ひとつでも、必ず茶道の本を読んで取り込んだものを話される。私はつねづね思うんですが、頭の回転の早い、マレにみる勉強家だといえるでしょう。

ご本人も「頭を使わんことには頭がボケる」「聞きもらさずが勉強法」といっておられるが、これには頭が下がります。

『江州商人「越後正一」 商社界の鬼といわれて──』(現代創造社 1980年)

"Rays" by Michael W Murphy (CC BY 2.0)

不利な状況に陥り、まるで黒雲の中にいるような気分の時でも、自らチームや組織を導き、その奥にある太陽を信じて疑わないこと。そして他の誰よりも勉強に励み、向上を目指し続けること。

「言うは易く行うは難し」とはまさにこのこと。越後のように、実際に黒雲から抜け出せる偉大なリーダーは、今も昔も、ひと握りしかいないのが現実である。