BNL Fireside Chat

中川政七商店の新社長が初登壇。挑戦するのは「部門最適しないまま、どこまで強くなれるか」

BNLは、働き方の祭典「Tokyo Work Design Week」で、中川政七商店の社長に昨年就任した千石あやをゲストに迎え、トークイベントを開催した。就任後、初めてのイベント登壇となった注目のセッションをリポートする。

昨年11月、老舗企業・中川政七商店で初の創業家以外の社長になった千石あやが、社長就任後初めてトークイベントに登壇した。BNLとTokyo Work Design Week(TWDW)のコラボプログラムとして実現し、BNL編集長の丸山裕貴が聞き手を務めた。

TWDWは、「新しい働き方」を考える場として2013年から開催されている。6回目となったTWDW 2018は、東京・渋谷ヒカリエをメイン会場に、30を超えるトークセッションやワークショップが開かれた。

BNLのプログラムには、約100人の観客が詰めかけた。トークは千石と中川政七商店との出会いから始まり、入社後のキャリア、社長就任の経緯、中川政七商店の組織づくりにまで及んだ。

千石が中川政七商店と出会ったのは、求人サイト「日本仕事百貨」がきっかけだった。美大卒業後、新卒で大手印刷会社に入社。デザイナー、ディレクターとして計12年働き、「転職するならそろそろかな」と思っていたころだったと言う。

想いを伝える転職活動

「(日本仕事百貨には)面白い求人がたくさん掲載されていたので、仕事の空き時間にときどき見ていたんです。ちょうどそのときもデザイナーから『あと2時間かかります』という電話があって、これは朝になるなと覚悟を決めて、他の仕事をしながら待っているときに、中川政七商店の記事を読みました。で、その場で応募のメールを書いたんです」

千石は、中川政七商店と出会う前に、一つだけ求人に応募したことがある。それは映画監督の河瀬直美の撮影助手の仕事だった。映画づくりへの想い、河瀬監督と働きたいという想いをしたためて、履歴書とともに郵送した。

「それはダメだったんですけど、河瀬直美さんから直筆のお手紙をいただいたんです。『想いは伝わりました。あなたはたぶんがんばって仕事をしているのでしょう、そういう想いはいつか伝わるからがんばって』というようなことを書いていただいて。それがすごくうれしくて。『ちゃんと想いを伝えると返ってくることもあるんだ。こういう転職活動をしていこう』とそのとき決めたんです」

「想いを伝える転職活動」が、中川政七商店との出会いを準備した。日本仕事百貨に載っていた記事からは、丁寧なものづくりをしている会社だということが読み取れた。共感した千石は、その想いを書いて応募メールを送った。

「そのときいちばん伝えたかった想いはどんなことでしたか」という丸山の質問に、千石はこんなエピソードを明かしてくれた。

「最近そのメールを見返す機会があったんですが、ちょっとびっくりしたんです。いま私が考えていることと同じことが書かれていたから」

「当時のメールに私は、『お金持ちになりたいわけではないけれど、丁寧にものをつくっていて、それがいいものとして世界中の人に知られていく。そういう会社は素敵だと思います。そういうところで働きたいです』みたいなことを書いているんですね。で、今回私が社長になって、海外事業の担当者を募集するのに日本仕事百貨さんに求人を出させていただいたんですけど、そのときのインタビューで私は『いいものはボーダーレスなんじゃないか。私たちにとっていいものは世界でもいいものなんじゃないか』と答えているんです。やはり、めぐり合わせのようなものは感じます」

千石にとって中川政七商店は、ものづくりへの想いを変わらずに持ち続けていられる場所だったのだろう。

中川政七商店では工芸メーカーのコンサルティング事業を行っている。「ご家族で経営されているような小さなメーカーさんも多いです。何がやりたいのか、一からヒアリングして、経営上、いまブランドを立ち上げるのはやめたほうがいい場合は、やらないことを選ぶ場合もあります」

老舗なのに同じことは繰り返さない会社

実際に入社してからはどのようにキャリアを積んできたのか。「丁寧なものづくり」という言葉から受けるスローな印象とは異なり、中川政七商店はスピードの速い会社だと千石は言う。

「年に4回商品政策を策定し、1000種類を超える商品を作っています。工芸をベースにしている生活雑貨店としては、開発スピードは速いのではないかと思います。組織も、課題があるとなればすぐに変えますし、異動も多い。いま中途採用の面接をさせていただいていますが、安定して同じことをずっと繰り返したいという人がいちばん向かないということを、わりとはっきり言うようにしています」

千石自身、入社してからの7年間で7回の異動を経験した。小売店スーパーバイザー(SV)、生産管理、社長秘書、ブランドマネージャーと、職種も多岐に渡る。一つひとつの仕事を振り返っていった。

「生産管理では最初、内職さんの担当だったんです。奈良のおばあちゃんやおばさんたちと一緒にものづくりをしていました。みなさん"ガチ"の職人なんです。プロ意識もすごく高い」

「大手百貨店に『大日本市』を出店することが決まったときに、スーパーバイザーに戻ってくれと言われて、『大日本市』のSVになりました。一緒にものづくりをしている方たちと共同で店を出すのは初めてでしたし、他社さんの商品を交えながらMD編集するのも初めて。2週間に1回店頭を変えていくんですが、徹夜でディスプレイを直したり、泥臭いこともたくさんやりました」

ちょうどその立ち上げの頃、社長秘書の社内公募があった。初めて受け身ではなく自ら手を挙げたという。「SVの仕事が忙しかったので選ばれないだろうと思ったんですけど、意思表示だけはしておくべきかなと」。応募の動機は「きっと面白いだろうなと思ったので」。

予想外に採用されたことによって、経営者としての中川を間近で見ることになる。

秘書業務の中でいちばん楽しかったことは?「いちばん近くでトップが何を考えているかを聞けるのはすごくおもしろかったですね。他の会社のトップのみなさんに会えるのも」

まかせるが丸投げはしない

千石によれば、前社長の中川の特徴は「まかせたと言ったら本当にまかせる」ことだという。例えば、誰かに面会を申し込む場合でも、「こういう方にこういうことをお願いしたいからアポイントとって」と言われるだけで、企画書や依頼文の書き方を事細かに指示されることはなかった。

「どう書くとこの企画が伝わるかなと考えて、わかりやすく書こうと努めていました。連絡先はホームページで調べて、お問い合わせ窓口に送ったり」

中川政七商店は、クリエイティブディレクターの水野学、インテリアデザイナーの片山正通、プロダクトデザイナーの柴田文江といった優れたクリエイターと協働しているが、良質なコラボレーションが実現しているのも「企画書を送ってアポをとる」というごく当たり前の営為の積み重ねだ。

一方、どんな専門家であっても丸投げはしない。

「何か新しい課題があって、自分たちにノウハウがない場合は、まず本を読もうと。3、4冊読むと大事なところが見えてくる。専門家に話を聞くにしても、そこを理解してからでないとその人の言っていることが正しいかどうかもわからないし、(ノウハウが)積み上がらない。なんでも自分たちでできるようになりたいんです」

2016年に創業300周年を記念するイベント「大日本市博覧会」を全国5都市で開催したが、このときも企画だけでなく施行・運営まで社員で行った。

「『200人入るテントってどうやってたてるの?』というところから(笑)。イベント会社にお願いすればちゃんとやっていただけるだろうと思うんですけど、『それ楽しいだろうから、自分たちでやらないともったいなくない?』という精神があるんです」

3つのブランドをどうマネジメントするか

トークは終盤に入り、話題は経営とブランディングに移った。

暮らしの道具を扱うブランド「中川政七商店」、テキスタイルブランド「遊 中川」、日本の土産ものを扱うブランド「日本市」の3本柱のうち、千石は「遊 中川」のブランドマネージャーになるのだが、当時いきなり14店舗を「まかされる」ことになった。

現在の「遊 中川 本店」。ロゴ(写真右奥)のリニューアルは、クリエイティブディレクターの水野学が担当。

丸山が「それまで経営のご経験はなかったんですよね?」と聞くと、千石は「そうなんですよ。おそろしいことに」と笑って答えた。

「基礎的なことのレクチャーと、『これは読みなさい』という課題図書を5冊ぐらい読んで。あとは、月次報告のたびに中川からいろんな指摘を受けて、泣きながら勉強しました(笑)」

3ブランドによる事業部制で1年ほど経ったころ、「ブランド単体ではうまくいっているのに、会社全体で見るとひずみが生じる」ということがあったという。

「最もひずみが出たのが商品開発でした。分かりやすくいうと、うちの主力商品の一つにお正月に飾る白木でできた鏡餅があるんですが、(縦割りだと)3ブランド全部が鏡餅を作り始めるんです。そうすると『〔中川政七商店〕らしい鏡餅』とか『〔遊 中川〕らしい鏡餅』というよくわからないジャンルができいくんです」

そのような事例が生じるたびに3人のブランドマネージャーが協議して調整するが、これを繰り返すのは効率が悪い。千石によれば、中川政七商店ではこういう場合、「合宿が行われて、話し合い、組織を変える」という。

「いまはブランドユニットが解体されて、商品部が一つになり、ブランドミックスで商品をつくる体制になっています。一方、ブランドユニットを解体すると、ブランドらしさを司る人がいなくなる。中川と『ブランドのコントロールと、社外に対するコミュニケーションを担う部署が必要ですよね』と話して、ブランドマネジメント室がつくられました」

縦割りの弊害は多くの組織で言われることだが、大企業ほど硬直化して組織の改編は難しい。また事業部制が機能するほど、自分たちの部門の利益を最大にすることを考えてしまうため、一人ひとりが「全体最適」の発想を持ちにくくなる。

ブランドマネジメント室の室長を経て社長に就任した千石は、組織のあり方についてこう語った。

「うちは経営会議でも部門最適みたいな発想がないままこの10年間やってきていて、それはとてもいいことだと思うんです。だからいまは、部門最適がない状態のまま、どこまで強くなれるんだろうと思っています。それに挑戦しながら、いままで以上にちゃんとものづくりに向き合っていきたいです」

社長就任のオファーは「びっくりしすぎて、あり得ないと思った」と語った千石。「(社長を)やってみて、やっぱりいちばん責任の重いところは中川が決めてくれていたんだなと思います」と言う。

それを聞いて、丸山がこう問いかけた。

「ビジネスパーソンには、自ら手を挙げて、責任を持ってやりたいと思っている人も多いと思うんです。『責任を持つ』と意識を切り替えると、生き生きと働けるようになると思いますか」

千石はこう答えた。

「できるようにならないと、生き生きしないでしょうね。だからうちはいま、みんな必死だと思います。いまはできないことも多くて、しんどいこともあります。でも、自分たちで自分たちの部署を成り立たせていくことを必死でやって、できるようになったとき、中川が一人で決めてくれていたときよりも(働くことが)楽しくなるんじゃないかなと思っています」

90分の時間いっぱい、経営者として、一人のビジネスパーソンとしての示唆に富む話が繰り広げられ、参加者は熱心に耳を傾けた。

トーク終了後、「お〜いお茶」の伊藤園の後援で、会場の希望者7名と千石の茶話会が実現。ヒカリエ8階のギャラリースペースに簡易の茶席がしつらえられ、本格的な煎茶が振る舞われた。限られた時間だったが、会話の弾む、有意義な時間となった。