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損失回避、先延ばし、利他性━━人の特性を生かして働く環境を変える、行動経済学のススメ

積み重なり埋もれがちな名刺や紙資料も、スキャナーを使って共有できれば、価値ある情報になる。しかしスキャンは億劫で、後回しにしてしまいがち。だったらスキャンしたくなる環境をつくればいい。そのヒントは行動経済学で注目されている、人間の特性に隠されていた。

社員同士の情報共有は、変化の激しい現代のビジネス環境における最重要課題である。

いまや社内でも画面越しのコミュニケーションが多いため、名刺や紙資料をデータ化しておくニーズは高まっている。スキャナーをオフィスに置き、データ化を推奨する会社も増えてきた。

ただし、人間の習慣を変えるのは難しい。スキャナーを置いたからと言って、次の日からみんながこまめにスキャンしてくれる保証はない。

ではどうすれば積極的にスキャンする環境をつくることができるだろうか? その答えを求めて、京都大学で行動経済学研究を行う佐々木周作を、DSOCで社会ネットワークの研究に従事する西田貴紀が訪ねた。

1. スキャンしないことによる「損失」を可視化する

西田 私は、スキャンしたくなる環境をつくるのに、行動経済学が応用できるのではないかと思っています。まずは、行動経済学とは? というところから、解説をお願いします。

佐々木 経済学と聞くと、お金儲けのための学問、血も涙もないような分野というイメージをもつ方も多いかもしれません。実際にこれまでの経済学では、人間は極めて利己的で計算能力が高く、自分にとって最も得になる選択肢を間違えずに選ぶという想定のもとに、社会や経済の問題を分析してきました。ところが近年、そうした極端な人間像を前提としているだけでは、現実の問題を読み解けない場合があることがわかってきたんです。そこで「人間とは意思決定上でどういう特性をもつ存在か」を心理学や脳科学、社会学の知見を取り入れて、経済学の問題にチャレンジし始めたのが行動経済学です。

心理的な癖や脳がどんな風に反応しているかなどを踏まえて、人間らしい人間像を前提に経済学的な問題を分析する、それが行動経済学だという。写真の書籍は、筒井義郎,山根承子『行動経済学(図解雑学)』(ナツメ社、2011年)。

西田 積極的にスキャンしたくなる環境づくりに活かせる理論はありますか?

佐々木 行動経済学が特に重要だと考える人間の特性は、3つあります。それぞれになぞらえて考えてみましょう。

西田 お願いします。

佐々木 1つ目は「損失回避」という特性です。人は、100円をもらったときの喜びより、100円を落としたときの悲しみのほうが2.5倍大きく感じるといわれています。つまり、損失を極端に嫌うのです。この特性を応用して、例えば「スキャンしないと本人や会社にとって損失が生まれることになる」と呼びかけてみてはどうでしょう。

西田 最近、私の部署で開発しているSansanの機能のひとつに「スマートレコメンデーション」というものがあります。自分がこれまでに交換した名刺情報をもとに「社内の誰かが名刺をもっていて、自分にマッチしそうな人」を教えてくれる機能です。例えば、私がレコメンドされた人に対して「興味あり」と答えると、その名刺をもっている同僚に「この方を西田さんに紹介できますか?」と通知が届く。ただレコメンド機能がうまく働くには、ユーザーの特徴を学習させる必要があるんです。

つまり、名刺をスキャンしていなければ、そもそもレコメンドを受けられないということになる。だから例えば「同僚の〇〇さんはレコメンドを受けて、効率的に営業活動を推進していますが、あなたはそのチャンスを逃しています」などと表示されると、名刺のスキャンを誘発できそうだと思いました。

佐々木 なるほど、その呼びかけは効果的かもしれませんね。さらにデータ解析が進んで、レコメンドによるマッチングが、その後の仕事や業績にどう結びついたかというところまでわかれば、名刺を共有しなかった場合の会社や個人の損失をより具体的に可視化できるのではないでしょうか?

西田 確かにそうですね。それに、名刺を共有しないことによる、会社としての営業活動やビジネスパートナー探しの非効率さも可視化できれば、積極的にスキャンするモチベーションにつながりそうです。

スマートレコメンデーションの画面。自分が持つ名刺情報(名刺交換の傾向)にもとづき、レコンメンドされる。例えば西田の場合なら、仕事柄、大学の先生と名刺交換をすることが多いことから、同僚が持っている研究者の人の名刺がレコメンドされる。

2. 締め切りを細かく設けて「現在バイアス」に打ち勝つ

佐々木 行動経済学で重要だと考えられている人間の特性の2つ目は、「現在バイアス」というものです。要するに、大事なことだとわかっているのに実行できず、先延ばしにしてしまう傾向のことですね。例えば、夏休みの宿題になかなか手を付けられない、などがこれに当たります。

西田 そうした人間の特性を前提にして、積極的にスキャンしたくなる環境を整えるためには、どうすればいいでしょうか?

佐々木 やった方が良いとわかっていても先延ばししてしまう人は、シンプルな工夫ですが、締め切りを設けると良いですね。それも自分以外の人に、細かく締め切りを決めてもらうのが良いようです。

現在バイアスの強い人の場合は、自分で締め切りを設定して行動を起こすより、他人からこの日とこの日にスキャンしてくださいと言われたほうが良いのだという。

西田 締め切りの設定の仕方を変えるだけで、人の行動は変わるものなんですか?

佐々木 ある行動経済学の実験を紹介しましょう。大学生に3枚の文章を校正する課題を出し、締め切りをどのように設ければ正答率が最も高くなるかを調べたものです。大学生を3つのグループに分けて、それぞれのグループに異なる締め切りを設定しました。1つ目のグループには1週間ごとに1枚ずつ提出させ、2つ目のグループには自分たちで締め切りを設定させ、3つ目のグループには3週目に3枚まとめて提出をさせました。結果は、強制的に細かな締め切りが設定された、1つ目のグループの成績が最も良く、かつ期日から遅れる人も少なかったのです。

西田 面白いですね。ならば「毎週水曜日は机の上を整理して名刺や紙の資料をまとめてスキャンする日ですよ」というように、チーム全体で締め切りを設けると良いかもしれません。

スキャナーで名刺を取り込む頻度は人や職種によってさまざまで、1ヶ月に1回まとめてスキャンする人もいる。だから毎週「スキャンする日」を改めて決めておくと、自然と行動が促進されるかもしれない。

3. 成果を共有して「利他性」を育む

佐々木 行動経済学が重要だと考える人間の特性の3つ目は「利他性」です。人は自分自身の利益だけを考えるのではなく、他人の利益も配慮する傾向があります。

西田 佐々木先生が特に関心を持たれているトピックですね。

佐々木 はい。私は「なぜ人は、自分の利益を犠牲にしてまで他人のために行動するのか」「いつ、どんな場面で利他的な行動を取りやすいのか」に興味を持ち、寄付や献血に関する研究を行ってきました。

西田 「利他性」について、これまでの研究ではどんなことがわかっているのでしょうか?

佐々木 例えば寄付という行為がありますね。他人のために自分のお金を差し出す、その行動のモチベーションには、大きく2つの種類があることがわかっています。

ひとつは「純粋な利他性」。相手が喜んだり、相手に必要な金額が集まったりすると自分も嬉しくなる、だから寄付をするというものです。もうひとつが「不純な利他性」。お金をあげている自分が好き、というように寄付行為そのものに対して喜びを感じているというものです。後者のタイプは、相手でなく自分自身の利己的な満足感を求めて寄付します。

人は「周りの人がやっているから」という同調的な理由、あるいは他者にしたことが回り回って自分に返ってくることを期待して利他的な行動を行うこともあるという。佐々木は、こうした利他性の傾向について研究を重ねている。

西田 純粋な利他性からスキャンするという行動につながることも考えられますよね。紙の情報を共有することが会社のため、同僚のためになることが嬉しいと。

佐々木 そうですね。純粋な利他性を持つ人は、自分が提供したものがどんな風に使われたかをすごく気にするんです。ですから、彼らが共有した情報が会社や他の社員の役に立ったと示すことがとても大事です。例えば、ある社員が名刺などの紙の情報を共有したら同僚の仕事がこんな風にうまくいったという事実をきちんと見せると、「自分が名刺を共有したときにも、その情報が誰かのために使われるはずだ」「自分の行動が役に立つときが訪れるはずだ」と思えるようになります。それが「純粋な利他性」を刺激し、スキャンするという協力行動を促すことにつながると思います。

ただ、「純粋な利他性」には注意が必要な点もあります。純粋に利他的な人は相手の喜びを重視するあまり、"誰"がその相手を喜ばせるかには無頓着だ、と考えられています。つまり、自分以外の誰かが十分な協力行動を取っているときには、自分も満足し、協力することを止めてしまう。ですから、自分と同じ名刺を持っている同僚が、こまめに名刺をスキャンするタイプで、確実にスキャンしてくれているだろうと期待できるとき、「純粋な利他性」を刺激する工夫を行ってもあまり効果が出ないかもしれません。

西田 一人の社員が名刺をスキャンしているだけでは、先ほどの「スマートレコメンデーション」はうまく機能しません。一人ひとりが名刺をスキャンすることで初めてレコメンド機能が働いて、会社や同僚の利益につながることを強調することが大事ですね。

佐々木 はい。さらに、会社としてより多くの人のスキャンを促したいなら、「純粋な利他性」を持つ人だけでなく「不純な利他性」を持つ人に注目することも大事ですね。「不純な利他性」を持つ人は、自分が貢献すること自体に喜びを感じているので、たとえ自分以外の誰かが十分な協力行動を行っていても、自分が貢献することを止めないだろうと言われています。彼らの利己的な満足感を刺激するような工夫も同時に施すことで、スキャンしてくれる人の数はもっと増えるはずです。

気軽に・何かのついでにスキャンできる場所に置いて「ナッジ」する

西田 私は、ベン・ウェーバー『職場の人間科学:ビッグデータで考える「理想の働き方」』(早川書房、2014年)の影響を受け、データ分析を用いた職場環境の改善や、協力の促進に興味を持つようになりました。

これも行動経済学の視点で考えられたものだと思いますが、なかでもおもしろかったのが、オフィスのレイアウト、例えばウォーターサーバの位置を変えるだけで、そこで働く人々の会話の量が変わり、パフォーマンスが上がったりクリエイティビティが増したりすることです。ウォーターサーバの例のように、スキャナーも置き場所によって、スキャンを促すことはできるのでしょうか。

PFUの新型「ScanSnap iX1500」は、EightやEvernoteなど複数のクラウドサービスと連携し名刺や紙の資料を離れた場所にいるメンバーに瞬時に共有できる。自分専用のボタンを使用すれば、チームで使用する際も、データを自分が普段使用しているクラウドサービスに保存が可能。このスキャナーをオフィスのどこに置くのが良いのか。

佐々木 できると思います。行動経済学には「選択アーキテクチャ」と呼ばれる概念があります。2017年にノーベル賞を受賞したセイラー教授らがそう呼んでいるもので、「選択者の自由意思に全くあるいはほとんど影響を与えることなく、それでいて合理的な判断へと導くための制御、あるいは提案の仕組み」という意味です。

この「選択アーキテクチャ」の考え方のもと、選択者の自由意思を守る範囲でちょっとした仕掛けを施し、人々が望ましい行動を取るようにそっと肘でつつく、この手法を「ナッジ」と呼びますが、行動経済学ではいま、「ナッジ」の研究が盛んに行われています。

例えば、手にとってもらいたいものをアクセスしやすい場所に置く、やってもらいたいことをついでに寄ってできるような環境をつくる。そういうちょっとしたことで「本当はやった方が良いのにできていなかった」行動を促進させることができるのではないかと思います。

「ナッジ」に関連する、とても有名な行動経済学の研究があります。「カフェテリアやレストランで、どうやってサラダやフルーツを食べてもらうか?」を考えた研究です。ビュッフェ形式のレストランだと、ついお客さんはジャンクな食べ物を選んでしまいがちです。彼らの健康のことを考えると、サラダやフルーツもちゃんと食べてもらいたい。でも、無理矢理トレーに乗せるというように、強制することはできません。

解決策はとても単純で、まず、サラダバーの設置場所をレストランの中央に変更することで、サラダの摂取量が増えました。さらに、レジ横にスナックを置くのを止めてフルーツに変更することで、フルーツの摂取量が増えたとも報告されています。取りに行きやすい場所に設置する、支払いのついでに選べるようにする、それだけで健康的な食事に導くことができたのです。

名刺のスキャンを促したいのなら、誰もが通る場所や何かの近くにスキャナーを置いて、ついでにスキャンができるようにするのが有効だと思いますが、西田さんが働いているオフィスならどこが良いですか。

一番取りやすい場所にサラダを置くという工夫だけで人の行動が変わるという事例からもわかるように、単純なことのように感じるが、紙の情報の共有を促すために「スキャナーをどこに置くか」という問題は、とても大事だという。

西田 最近できたSansanの新しいオフィスにはバリスタのいるカウンターがあるのですが、コーヒーを待っている間が手持ち無沙汰なので、カウンターにスキャナーを置くのがいいのかなと思いました。仕事をする場所に置くと「あとでやろう」と先延ばししそうですし、リラックスするついでに取り込める方がいいかなと。

佐々木 それはいいアイデアです。「この間ここの会社に行ってきたんだよ」というように、スキャンをきっかけに社員同士の会話も生まれやすくなるかもしれないですね。


記事の中で紹介したPFU社の最新スキャナ「ScanSnap iX1500」は、よりコンパクトでスタイリッシュなデザインにアップデートした。オフィスに1台あれば、名刺や紙の資料を簡単にスキャンができ、これまで埋もれがちだった価値ある情報を、離れているメンバーとも瞬時に共有できるようになるだろう。

ScanSnap