三井住友銀行には「ITイノベーション推進部」という部署がある。文字通り、ITによって銀行に革新を生むチームだ。注目は生体認証サービス「Polarify」。金融とは異なる道で腕を磨いてきたプロフェッショナルたちが集い、銀行の新たなの可能性にかけて挑戦している。
Polarifyは、三井住友フィナンシャルグループが2017年5月にNTTデータ、アイルランドのDaonと共同で設立したベンチャー企業。指や顔、声などの生体情報を使い、パスワードなしで認証できるスマートフォンアプリを事業者向けに提供している。
同社のITイノベーション推進部で生まれたアイデアが元になっており、立ち上げの背景には、ビジネス環境の急速な変化を前にした強い危機感があった。現時点の導入企業は金融業界を中心に6社だが、メガバンクが見せる新たな動きとして社内外の注目度は高い。
このビジネスを中心になって牽引しているのが、入行3年目の深野拓磨だ。大手コンサル出身の彼は、「メガバンクとスタートアップのいいとこ取り」のような現在の環境に、大きな可能性を感じているという。深野はこの生体認証ビジネスの先に、銀行のいかなる未来を見ているのか。
──なぜ銀行が生体認証サービスのビジネスを始めることに?
2012年ごろから世の中では「FinTech」という言葉が使われ始め、三井住友銀行でも「メガバンクも変わらなければ」という強い危機感が高まっていました。そこで、今後大きく進展するIT化社会を見据えて、新しい事業の可能性を探ろうということになり、まずは部署横断のタスクフォースチームが立ち上げられました。これが2015年10月に正式な部署になったのが、現在のITイノベーション推進部です。
この中で検討されてきたいくつかのビジネスアイデアの一つに、Polarifyの元となる、生体認証をキーにしたものがありました。他のアイデアとも比較検討した結果、ビジネスとしての可能性などが評価され、同部として打ち出す最初の柱の一つとして事業化、会社設立していくことになりました。
──深野さんはそこでどんな役割を担っているのですか?
私は2016年5月に入行し、現在はITイノベーション推進部からの出向という形でPolarifyに籍を置いています。役割としては、事業者向けのプロモーションやPolarifyの営業・販売を行うパートナーとの枠組みの企画を担当する一方で、会社の予算管理をしたり、コールセンターで対応しきれなかったユーザー対応をしたりもします。いわば「なんでも屋」ですね。
──前職は大手コンサル出身と伺いました。なぜ銀行に転職を?
コンサルタントの仕事は、クライアントのサービスなり事業なりの企画・ローンチ・普及・課題解決などのあらゆる局面における一部分だけをサポートする立場であることが多いです。最初はそうした立場からさまざまな業界と関われることが面白かったのですが、しばらく続けていくうちに、事業者側として、最初から最後までトータルに関われる仕事がしたいと思うようになりました。
そのようなざっくりとした要望を転職エージェントに伝えたところ、提案されたリストの中に、いわゆる大手IT企業と並んで、メガバンクの名前がありました。先ほどお話ししたように、ちょうどそのころメガバンクの中では危機感が高まっていて、FinTech関連部署の人員として、私のような異業種の人間を求めていたんです。
──とはいえ、前職では金融関連のお仕事の経験はなかったそうですね。いわゆるIT企業の方が向いているとは考えなかったんですか?
メガバンクと並行してIT大手の選考も受けていました。ただ、いまはある程度大きな会社であれば、どの会社も似たようなポジションを目指す時代じゃないですか。デジタル化して、データを使って、ECをやったり、あるいは決済をやったりと、それぞれがコアにある事業や得意なことを軸にしながらも、さまざまなビジネスへと領域を広げて、結果として同じようなポジションを巡って競い合っている。
前職では、転職する直前まで大手通信キャリアを担当し、特に、通信以外の新規ビジネス立ち上げのプロジェクトに参加させてもらっていました。彼らはそれこそスマホ決済もやるし、銀行もやるし、一方ではエンタメだってやる。そういう人たちと一緒に、次はどんな新しいことができるかを常に考えているような日々でした。
誰もがプラットフォーマーを目指す。そのような前提に立った時に、銀行といわゆるIT企業とで、どちらに行った方がより自分の経験が活きるだろうか。そう考えたら、IT企業にはおそらく、自分と同じような経験をしてきた人、あるいは自分以上にそうしたスキルを持った人が山ほどいるだろう、と。だったらこれからそのポジションを取りにいく銀行へ行った方が、自分の経験が活きるし、面白そうだと思ったんです。
──実際に入ってみてどうでしたか?
メガバンクでありながら、まるでスタートアップのような環境だと感じます。私がPolarifyのプロジェクトに携わるようになったのは、入行して3ヶ月後くらいなのですが、そこから1年弱で会社設立、その2ヶ月後にはサービスインというスピード感です。
現在、ITイノベーション推進部には約40人のメンバーがいるのですが、その半分が、私のように金融以外の領域から入ってきた人たちです。FinTechに限らず、世の中の新しい動きにキャッチアップするのはみんなすごく早いですし、「ここに可能性がありそう」と思うようなところはだいたい誰かしらが手をつけているという感じです。
とても自由な雰囲気ですし、そうしたアイデアをすぐに形にすることもできます。おそらく多くの方が持っているメガバンクのイメージとはだいぶ異なるのではないでしょうか。
──逆に戸惑ったことは?
もちろん「スタートアップのよう」というからには、大変なこともたくさんあります。私が入行した時点では、Polarifyはまだアイデアのタネだけがあるという段階で、発案者が一人でプロジェクトを進めていました。私はそこに2人目のメンバーとして入りました。事業化、会社設立に向けて山ほどある必要なことを一つひとつクリアしていきました。例えば労基署へ行って手続きをしたり、銀行の細かいルールを参考に20個ほどの社内規程を作ったりと、泥臭い仕事もありました。
コンサル時代は自分のプロジェクトだけをやっていればよかったので、なんでも自分でやらなければならない環境に慣れるまでには、正直苦労もしました。でもいまでは、それも含めて事業を作り、前に進めていくことが醍醐味だと思えるようになり、むしろ楽しんでいます。
──Polarifyにどんな可能性を感じていますか?
生体認証は、銀行が長い間携わってきたお金の貸し借り以外の、事業者やユーザーとの新しい接点です。ここにたくさんの事業者やユーザーを集めることができれば、事業者間で相互送客するといったビジネスの新たな可能性も出てくる。銀行がプラットフォーマーのようなポジションを狙っていく上で、Polarifyはいわば入り口ですね。
──各社が競ってプラットフォーマーの位置を狙う中で、銀行ならではの強みはどこにありますか?
やはり銀行とお取引くださる企業・個人のお客さまの圧倒的な数、そして、長い間をかけて培われた安心感・信用力ではないでしょうか。
Polarifyはまだ社員10名程度のスタートアップですが、営業をしていても、「この業界の人と会いたい」と思えばすぐに会えるし、逆に向こうから興味を持って声をかけていただくことも多いです。これはひとえに、PolarifyがSMBCグループ傘下にあるからでしょう。先ほどスタートアップのような環境だと強調しましたが、一方ではこうしたメガバンクならではの強みも、日々実感するところです。
プラットフォーマーを目指す上で、銀行は間違いなく後発の立場です。けれども、こうした強みを活かせれば、ビジネスを広げていける可能性は十分にあると思っています。
──この先はどんなことを考えていますか?
iPhoneのFace IDやTouch IDなど、スマートフォンによっては独自の生体認証機能が搭載されています。それとの差別化を考えなければならないわれわれとしては、スマホアプリであっても、スマホの中で完結していてはダメだろうと思っています。
こうした考えから、現在ではWebブラウザで見るようなサービスについても、ブラウザ上に一度QRコードを表示させ、それをアプリで読み取ることで認証できる機能を搭載しました。
ですがこの機能、実を言えば、われわれの当初の構想にはなかったものなんです。このアイデアを思いついたのは、多くの事業者に提案・ニーズヒアリングを行っていく中で、まだサービスをアプリ化していなかったり、アプリとブラウザの双方が使われている事業者のサービスが多いことが分かりました。アプリだけではユーザーをカバーできず、事業者のニーズに応えるには不十分と考え、Polarifyのブラウザ対応に、すぐに取り掛かりました。こうしたクイックな対応は、スタートアップらしい動きだと思います。
現在では、アプリ連携とブラウザ連携の双方を導入いただいた事業者様もおり、まだアプリ提供を行っていない金融機関にも興味を持っていただけるようになりました。また、ゲームアプリ業界ではいま、ブラウザ経由でサービスを提供する方向へ舵を切る事業者が出始めているのだといいます。ユーザーニーズを聞いて、素早くサービスで対応する、このスピード感はスタートアップの醍醐味だと思います。
──出会いが新たなアイデアにつながったんですね。
今後はブラウザ対応だけでなく、コールセンターなどへの活用も模索していきたいと考えています。例えば保険業界で、従来であれば証券番号がわからなければ対応ができなかった場面でも、スマホの生体認証でその人だと確認できれば、もっとスムーズに案内できるかもしれない。
このほかにも活用できるシーンはまだまだあるでしょう。生体認証というものを軸にして、その可能性を常識にとらわれずに発想し、形にしていける面白さがこの仕事にはあります。そうした自由な発想ができる、感度の高い方とは、ぜひ一緒に働きたいと思いますね。
ただ、そうした可能性を模索するのにも、中にいる人間だけではやはり限界があります。業界特有の話は、その業界の人と話さなければわからない。だから例えばイベントに出展する際などにも、異業種の人とは積極的に交流するよう心がけているんです。
現状は、サービスをご利用いただけている事業者もまだ少なく、そのほとんどが同じ金融業界にとどまっています。このサービス本来の良さを生かし、われわれがいわゆるプラットフォーマーになっていくためには、提携先の数も業種も増やしていかないといけません。その意味でも、引き続きいろいろな業界の人と交流することは不可欠。いまはさまざまなニーズを取り込みながら拡大していくことに注力していきたいと思っています。