新しい後継ぎのかたち

立派なビジョンも強烈な原体験もない。でも出会いに恵まれ、会社は変われた──平安伸銅工業 三代目・竹内香予子

年々売り上げが落ちていた突っ張り棒メーカーの後を継いで、いったい何ができるか? 「LABRICO」と「DRAW A LINE」、2つの新ブランドを立ち上げた竹内香予子は、社内にはいなかった「革新が得意な人」との出会いが成功のきっかけになったという。

看板商品か、門外不出の技術か、はたまたビジネスパートナーとの関係性か。当たり前だが、跡を継ぐというのは何かしらのものを先代から引き継ぐということである。確固たるモノがあるぶん、ゼロから起業するよりリスクが小さいという考え方もあるだろう。一方で、まっさらな状態から自由に発想するのと比べて、ありものに縛られる難しさもある。ましてや、引き継いだものが二進も三進もいかないものだったとしたら──。

大阪市西区にある平安伸銅の三代目社長・竹内香予子が引き継いだのは、日本人であれば誰もが一度はお世話になったことがあるだろう、おなじみの収納用品・突っ張り棒だ。約40年前、竹内の祖父である創業者の笹井達二が可能性を見出し、父・康雄が普及させた同社の突っ張り棒は、1990年代には年商約50億円を叩き出した。

だが、その後は競合の参入が相次ぎ、価格競争が激化。全国紙記者だった竹内が父の病をきっかけに同社に転職し、近い将来に跡を継ぐと決意した2010年ごろ、売り上げは全盛期の三分の一以下まで減っていた。「いまや突っ張り棒は、100円ショップでも手に入るほどにコモディティ化した価値の低い商品」。それが他ならぬ竹内自身の受け止め方だった。

消費者には区別がつかないレベルで「耐荷重」を競い合う各社。小売店からはとにかく価格を抑えることを求められ、極限まで生産効率を追求する中、製造現場は疲弊していた。現場の一人ひとりがそうした価値観を当たり前に受け入れ、「自分たちならではの価値なんてない」と卑下しているように映った。このままではダメ。なんらかの革新が必要なことは明らかだった。とはいえ、竹内自身は当時20代半ばと若く、異業種から転入した素人だ。

何十年も細かな改善ばかりを繰り返してきた社内に、大胆な革新のアイデアを発想できる人材がいるよしもない。外から人を取ってこようにも、コネクションも、引く手数多のイケてるクリエイターに対して打ちだせる魅力もない。さて、こんな八方塞がりのようにも思える状態で家業を引き継いだとしたら、あなたはまず、何から始めるだろうか?

自ら「整理収納アドバイザー」の資格を取得。消費者の目線に立って考えられるようになることを心がけたという。

肝いりで始めたメディア事業。しかし失敗に終わる

竹内の場合はまず、消費者とつながることから始めた。「世の中には片付けが大好きで、自ら研究していて、それを人にまで広めようとする人たちがいる。そういう人たちが何を考えているのか、まずは知りたかったんです」。機能性と生産効率だけを追い求める業界の現状が、外からやってきた竹内の目には「ユーザー不在」として映ったのだ。

自ら「整理収納アドバイザー」の資格を取得し、コミュニティに飛び込んだ。すると、世の中には自分たち作り手の想像を超えて収納用品を愛してくれている人たちが確かにいた。

けれども同時に、そうした人たちが自主的に発信している情報には、誤ったものも多分に含まれていた。作り手からすれば常識と言えるような情報が、消費者にはまったく伝わっていない現実があった。

「もっと作り手自身が発信して、正しい使い方を伝えなくては」。こうした問題意識に端を発して2014年に立ち上げたのが、「片付けのプロが暮らし方のノウハウを提供する」というコンセプトのWebメディア「cataso(カタソ)」だ。

運営にあたっては「メーカーとしての色は極力排除し、消費者にとって役立つ情報を発信することを心がけた」という竹内。記者時代の経験も活きたのか、愚直にオリジナル記事を作って育てたメディアは、月間50万PVを叩き出すほどに成長した。

しかし、「cataso」は結果として失敗に終わる。各企業がこぞって自社メディアを立ち上げた時期と重なったこともあり、広告媒体としての十分な価値を示し、収益化するまでには至らなかったのだ。

ところで、このメディア事業を立ち上げた背景にはもう一つ、竹内自身の焦りもあった。何の実績もないまま、若くして平安伸銅を背負う立場になったこのころ、竹内は人知れず大きなプレッシャーと戦っていた。「過去を否定し、とにかく何か新しいことを打ち出すことで強がる以外に、自分自身が立っていられない状態だったんです」

そんなこともあり、「突っ張り棒に代わる新たな収益源に育ってくれたら」と期待を込めて始めた「cataso」だったが、立ち上げから3年で運営から撤退することになった。

過去を否定してもうまくはいかない。突っ張り棒の可能性にあらためて向き合うところから、次の糸口が見えてきた。

Amazonレビューで知った、積み上げられた「信頼」の重み

事業としては失敗に終わったが、メディアを運営していく過程には収穫もあった。平安伸銅のことを知り、愛し、数ある類似品の中から選んでくれている人たちは、確かに存在している。自分たちの仕事の価値を見失っていた当時の平安伸銅にとって、そのことを知れた意味は大きかった。

並行して新たにAmazonでの販売を始めると、もう何十年もマイナーチェンジしかしていない、竹内自身が「ダサい」「未来がない」と腐していたその商品に、高評価のレビューが何十件とつくという出来事もあった。こうした現実を目にしたことが、竹内の家業に対する向き合い方を変えた。

「平安伸銅が作る商品に対して、私たちが思う以上に信頼を寄せてくれている人がいる。そしてその信頼は、祖父が突っ張り棒の可能性を見出し、父がそれを普及させ、スタッフが改善を重ねてきた結果として積み上がったものなんだと気づかされたんです。過去を否定するそれまでのやり方は間違っていた。過去を否定するのではなく、それを受け入れ、その先に未来を作っていくことこそが自分の役割なんだと思い直すことになりました」

平安伸銅工業は、突っ張り棒で国内トップシェアを誇る。米国でシャワーカーテン用のものを転用し、ここまで日本の家庭に普及させたのは、竹内の父親の大きな功績である。

こうした気づきを得て、現在竹内が取り組んでいることは、大きく二つある。

一つは、従来通りの収納用品としての突っ張り棒を国内で売るための施策。人口減少が進む日本で今後、突っ張り棒の需要が大きく伸びるとは考えにくい。だが、せめて横ばいを維持するためにできることはあるはずだ。

そこで立ち上げたのが、通称「つっぱり棒博士プロジェクト」。竹内自身が突っ張り棒にものすごく詳しい「博士」としてセルフブランディングし、メディアに露出したり、セミナーを開いたりして突っ張り棒の正しい使い方・新しい使い方を伝えることで、消費者が「もう一本買ってみよう」と思う機会を創出しようと試みている。

けれども、国内のマーケットがシュリンクしていく状況にあって、これまで通り国内向けに、これまで通りの商品だけを売っていたのでは先細りは避けられない。そこで必要になってくるのがもう一つの軸である、新たなマーケットを創造するための施策。平安伸銅が海外展開に力を入れると同時に、従来の収納用品としてのマーケットの外を見据えた新商品開発に力を入れているのは、その表れだ。

2016年8月に発売開始した「LABLICO(ラブリコ)」は、ホームセンターなどで売っている2×4材の上下にキャップのようにしてはめることで、女性でも簡単に柱や棚を作ることができるDIY領域の新ブランド。かたや2017年4月発表の「DRAW A LINE(ドローアライン)」は、突っ張り棒のイメージを覆すシャープなフォルムで、単なる便利グッズではない、デザイン性の高いインテリア商品となっている。

LABRICOのアジャスター。好きな木材と組み合わせて、壁に傷を付けることなく簡単に収納場所を作ることができる。
LABRICOの公式ブランドサイトで紹介されている使用イメージ写真。Photo Courtesy of Heian Shindo

革新の担い手との出会いは「わらしべ長者」的

突っ張り棒の技術は生かしつつも、従来のマーケットの外に目を向ける。まさに「過去を受け入れ、その先に未来を作る」ように発想して生まれたのが、「LABLICO」であり、「DRAW A LINE」だ。

けれども、こうした革新的なヒット商品が産まれるまでには、もう一つクリアしなければならないことがあった。それは、革新を担うような人材をどうやって確保すればいいのかという問題だ。それまでいた平安伸銅の社員の多くはエンジニアであり、数十年にわたって機能を追加したり、逆にコストを抑えるべく機能を削ったりと、細かな改善を続けてきた。

改善はいうまでもなく必要なこと。だが、一方でゼロから何かを生み出すような経験のある人材は一人もいなかった。改善が得意な人に革新をやらせようとしてもうまくはいかないし、むしろうまくいっていたはずの改善までもがうまくいかなくなってしまう。革新の一手を打つには、革新を得意とする人を新たに招き入れる必要があった。

では、自分たちの業界における「革新が得意な人」とはどんな職種の人を指すのだろうか。竹内は「それはプロダクトデザイナーではないか」と考えた。

しかし、いざプロダクトデザイナーを採用しようと思っても、そう簡単にはことは運ばない。というのも、平安伸銅のような地方の中小企業に、プロダクトデザイナーとのコネクションなどあるはずがなく、加えてその時点で手元にあるのは伝統的な突っ張り棒だけだから、クリエイターに対して打ちだせるこれといったアピールポイントもない。

最初の一歩が一番難しい。平安伸銅はいかにしてそれを踏み出したのだろうか。

竹内は自身の歩みを指して「わらしべ長者」的という。ここまで来られたのはすべて意図した通りにうまくいったからではなく、むしろ思いもよらなかった不思議な縁に導かれて今日がある。

「こんなデザイナーがいたらいいなーと言い続けていたら、旧知の人材エージェントの方が本当に連れてきてくれたり、採用面接したものの条件が合わずに破談になったデザイナーの方が、知り合いのデザインユニットを紹介してくれたり。そうやって不思議な縁でつながった人たちに力を借りて生まれたのが、『LABRICO』であり『DRAW A LINE』。いろいろな人に助けていただいて、なんとかやってこられたというのが正直なところなんですよ」

クリエイティブユニットTENTとのコラボレーションブランド「DRAW A LINE」。これまでは、単に「アイデアグッズ」として扱われがちだった突っ張り棒を、暮らしを豊かにする「一本の線」として再定義し、新しいライフスタイルを提案している。

ビジョンも原体験もない。でも必死にもがいたからいまがある

そう自嘲気味に話す竹内だが、とはいえ、そんなに都合のいい偶然ばかりが重なるものだろうか。良い出会いに恵まれる人には、それを招き入れるだけの何かがありそうなものである。

「なぜそんなに助けてもらえるのか......それは自分でもわかりません。でも、もしかしたら必死に溺れていたから、なのかも。そのまま溺れさせておけばいいと思った人もたくさんいたでしょうけれど、一生懸命ではあったから、その中の何人かが『ちょっと助けてあげれば泳ぎが上手になるかも』と思ってくれたのかもしれない」

「何をやるのか」以上に「なぜやるのか」「なんのためにやるのか」といったビジョンが人を惹きつけるとはよく言われるところ。だが、「スタートアップ企業が持つようなそうした立派なビジョンや強烈な原体験は一切ないままここまで来た」と竹内は続ける。

「ちょっと言い訳じみているんですけど、後継ぎってゼロから何かを立ち上げるスタートアップと違って、先代から受け継いだものを元にどうにかする以外にないんですよ。あるものを使って、なんとか知恵を絞ることで、お客さまが喜んでくれるものを生み出せないか。それだけを考えてがむしゃらにやってきたのが、この8年なんです」

そうした必死さが人を呼び込み、またその中から幸運にも「LABRICO」や「DRAW A LINE」といったヒット商品が生まれたことで、平安伸銅が置かれた状況はいま、変わりつつある。これまではホームセンター向けにOEM製品として納めるしかなかった普及品の突っ張り棒に関しても、「プライベートブランドに製造者として平安伸銅の社名を記載しよう」と言ってもらえる機会が、少しずつではあるが生まれているという。

アルミサッシを開発した祖父も、突っ張り棒を普及させた父も、時代の変化に合わせて創意工夫をしてきた。三代目として、自分はどんな工夫をそこに積み重ねられるか。その表情はとても明るい。

「価格を抑えることのみを求められていた以前からすれば、考えられないことです。もちろんまだまだ成功したなんて言えないんですけど、少しずつでも平安伸銅の名前で勝負できる状況ができてきた。ようやく自分たちがどんな価値を打ち出していきたいかということについても考えられるようになりました」

竹内はこの半年くらいをかけて、自分たちが目指すべき新たなビジョンを言葉にするつもりでいる。ただしその際も、見据える未来が、平安伸銅60余年の歴史の延長上にあることに変わりはない。

「うちが祖父の代から一貫してやってきたのは、『アイデアと技術で暮らしを豊かにする』こと。戦後の復興期には安全な家をとにかく大量に世の中に供給しなければならなかったから、その中で見出したのがアルミサッシでした。70年代になって都市化が進む中で目をつけた突っ張り棒にしても、やっていることは同じです。だから私の代でも、その軸だけはブレることがない。その上で、いまにあった形、自分たちらしい言葉で表現できたらいいのかなと思っています」