新しい後継ぎのかたち

「100年続いた会社の社長になれるんやで」大阪の敏腕商人が京都の惣菜屋を、75歳で継いだ物語

新しいことをはじめるのに、年齢なんて関係ない。毎日多くの人で溢れる京都の人気観光スポットに彗星のごとく現れたのは、一度引退しかけた75歳の後継ぎだった。

京都の中心地、四条烏丸の交差点からほど近い錦市場商店街。約400年前から栄えるこの歴史ある場所は、390メートル続くアーケードの下に150もの店舗が軒を連ねる。

ちょっと歩くと、美味しそうな串焼きが売っている。「あ、買おうかな」と思って反対側を向くと、今度はアツアツのさつまあげが目に止まる。どれもこれも美味しそう。地元の人が夕飯のおかずを買うために利用する商店街も、いまや、できたて料理を食べ歩きスタイルで楽しめる京都の観光スポットのひとつだ。地元の人、日本人旅行者、そして外国の観光客。とにかくすごい人、人、人。

今回の舞台、「錦 平野」は、創業以来100年に渡って錦市場商店街で地元の人たちから愛されてきた由緒ある名店だ。名物の「だし巻き卵」をはじめ、京野菜を使ったシンプルな総菜の数々や彩り豊かなお弁当は、地元の人の食卓を華やかに彩ってきた。

そんな老舗の名店に新たな「後継ぎ」が誕生した。提灯が下がる屋台風の店先、和のテイストをかっこよく取り入れた食事処、これはきっと若手の経営者に継承したのだろう、と思いきや、なんと後継ぎは76歳だという。

後継者がいなかったこの店は、外部から事業承継してくれる人を探していた。そこで手を挙げたのが、当時75歳の岡 亘。2017年1月のことだった。

伝統100年、京都ブランド、たくさんの人。ここでやったろ!

岡は、3年前まで兄と姉の3人で大阪市内の惣菜店を共同経営していた。百貨店の食料品売り場にも出店するなど多角的に展開していたが、兄弟がお互いに歳を重ねたこと、そして後継者の話で揉めたくないと考えたこともあって、話し合いの末に会社を売却した。73歳のときだ。

その後、売り先の会社に移動し、そこで1年間社長を務めた。ビジネスをスムーズに引き渡すために、売ってから1年は残ってほしいと売り先から言われていたからだ。そして約束通り1年間後、売り先の会社を退職した。

「家業は引退したけど、取締役をやっている別の会社の役員会に出たり、母校のアイスホッケー部の監督をやったりと、自分なりに忙しくしていたんですわ。性格的にも、部屋でゆっくり本を読むみたいな悠々自適な老後は無理やと思ってた。そんな時に、証券会社に勤める後輩から連絡があって『こんな会社が売りに出されていますよ』と。それが錦 平野やったんです」

「家内とのんびり海外旅行にでも行こうかと考えたりもしたけど、なんかちゃうなあと思った」と言う岡。76歳という年齢を感じさせない勢いが感じられた。

気になって、すぐに大阪から京都の錦市場まで足を運んだ。実は、大阪に住んでいながら、それまで京都の錦には一度も来たことがなかったのだという。初めて来て「なんて前近代的なところなんだ」と思った。「これは、チャンスだ」。

以来、3カ月かけて何度も通い、通りを歩く人の流れや近隣の店舗の様子を観察し続けた。同時に、かつてのお得意さんや知り合いの業者に連絡を取り、錦 平野についての情報をできる限り集めることもした。

将来息子にまかせられる規模か、これまで自分を頼ってくれた従業員たちを活かすことができるか、そして人通りが多い場所かどうか。それが買うかどうかを判断するポイントだった。

取材の日も、15時を過ぎたあたりからものすごい数の人が訪れていた。近所に住んでいるのか、夕飯の買い物に来ている人、国内の旅行客、そしてもっとも多いのが海外旅行者だ。

「京都には深みがあるんです。歴史が古くて品格もある。そういう場所は絶対に廃れない。京都というブランドと伝統のある会社、そして人通りが多いという立地の素晴らしさ。それらがあれば、いろんなことができそうだと思ったわけです」

岡が錦 平野を買うことを決めたのには、もう一つ理由がある。売り先の会社を辞めたとき、常務だった息子や信頼を置いていた工場長も「社長が辞めるなら自分も辞める」と、一緒に退職してしまうという出来事があった。

さらに働いていた古参の従業員や現場のスタッフたちからも、「新しくお店を立ち上げてほしい」と言われていた。それだけ信頼が厚かったのだ。岡自身も、「もう十分や、ええやろ」と思いつつも、仲間たちのことが心の隅にずっと引っかかっていた。

「だったら、やったろかなと。監督をしていたアイスホッケーのチームだって、最初は弱かったけど、外国人をチームに入れたりしているうちにだんだんと強くなって、全国で2位を取るまでになったんです。そんな風にまた頑張ってやったろと。挑戦? そんなかっこええものとは違います。ただ踏ん切りが悪いだけですわ(笑)」

どうやら母校の大学でアイスホッケーの監督を30年続けているらしい。いまはもう総監督だという。たしかに、言われてみれば、年齢の割に体格がかなりしっかりしていて姿勢もいい。口では「こんな歳やし...」というが、生きる力がみなぎっている、そんな感じがした。

売り上げ6倍のレストラン作戦

錦 平野を継いだ岡が最初に行ったのは、先代の時代からいる従業員たちに、正直に自分の気持ちを伝えることだった。ちなみに、いま働いている社員のほとんどは、先代の時代から働いている人たちだ。

「最初はみんな戸惑うこともあったと思います。どこのおっさんなのかもわからん人がきて(笑)、いきなり経営者になって」と笑う。

「まずは『何も変えません』と言いました。ただ1つだけ、お店の奥にある工場は改装して、お客さんが入って食べられるようなお店にします、ということだけ話したんです」

もともと惣菜をつくる工場だった店の奥のスペースがいまはレストランになっている。取材前のお昼時に入ってみると、たくさんの外国人観光客が美味しそうに天丼を頬張っていた。

これは、岡が錦 平野に初めて足を運んだ時に思いついたアイデアだっだ。人通りがとても多い商店街なのに、路面での販売しか行っていなかった。だから旅行客が商品を買っても、食べる場所がない。せっかくの立地や商品力を活かしきれていないと思ったのだ。

すぐに工場を改装し、名物のだし巻き卵やお刺身、天ぷらなどを定食として出すレストランにした。外国人観光客にスムーズに対応できるように、他言語のメニューを用意し、英語や中国語が話せる従業員も増やした。いま、錦 平野のレストランの利用客は一日150人を超える。店頭販売だけだった時に比べ、店の売り上げはいつのまにか6倍にまで上がっていた。

先代の「味」と「伝統」は絶対に変えない

それからというもの、岡は次々にメニューを開発しはじめた。売れなければすぐにやめ、人気が出ればしっかり育てる。これを繰り返す。そんな試行錯誤の中で生まれたのが、名物の出し巻き卵を大胆に使用した「出し巻きバーガー」、そして売れ筋商品である昔ながらの粉ものグルメ「洋食焼」だ。

食べ歩きもできるように、惣菜を店頭で作ってそのまま販売している。焼かれているのを観光客が楽しそうにのぞいては買って、美味しそうに食べていた。

「こだわりはない。人気があるやつがええんや。店先で作っている出し巻き卵は、『持たれへんくらい大きいのを作ってや』と言って、これまでの2.5倍の大きさにした。それだけ大きかったら、お客さんもびっくりするでしょう? この近くのデパートの食品売り場に錦 平野の店舗があるが、そこにこの店先で焼いた出し巻き卵を持っていって、『焼きたてが錦から届きました』って、温かいままで売るんです」

ほかほかの出し巻き卵。しかも特大サイズ。聞いただけで幸せな気分になる。この焼き立ての卵のおかげで、デパートでの売り上げは格段に上がった。気がついたら、会社全体の売上が以前の2倍近くになっていたのだ。

先代の頃よりも2.5倍に大きくなっただし巻き卵。大き過ぎないか、という意見もあったが「食べきれるかどうかはお客さんが決めることや」と押し切った。フードコストはかからない、でも一番人気のある商品だ。

「社員には『フードの原価率を下げて、儲かる商品をきちんと売ることが大事や』と口酸っぱく言っています。小売業はこれから先、絶対に人手不足になる。それならしっかり儲けて、その分、給料を高くしたらいいんや。儲けようとして従業員を安く使うという発想は絶対にあかん。ここで働きたいと思ってもらうこと、それが一番やな。それから、よそと同じものを出して価格で勝負するような商売もいかん」

そんな中、絶対に変えないと決めていることがある。「味」と「製法」だ。

「ブランドを買ったんや。大事なものはちゃんと継承していかなあかん。だから社名も屋号も、包装紙だって、絶対に変えたらいかんのです。継承するわけだから、馬鹿にするような、いいかげんな気持ちでお店を作るべきではない。だから、先代と交渉している段階から、これからどのような店にしようと思っているか、はっきり意思を伝えていました。『店の奥をレストランにしますよ、惣菜にも力入れますよ』と」

「俺もああなりたい」我が子がそう思う生き方がいい

岡には、経営者として大切にしている独自の考えがある。

「ゼロから事業を自分で育てるのと、成熟した企業を買うのと、経営者になる方法は2つあるけれど、私は圧倒的に後者の考え方。だって経営権を買えば社長やから。創業100年てゆうたって、私が100年前から生きてるわけないやない。でも100年続いた会社の社長にならなれるわけです」

「事業をやりたいのなら、ゼロから会社を立ち上げるよりも、すでに立ち上がっていて、そこそこやれている会社を引き継ぐといい。あとは資本の力を借りる。そういうかたちの事業承継はもっとあっていいと思う」と岡は語る。

将来的に錦 平野は息子が継ぐことになっている。買うかどうかを検討している時から話し合い、息子も「やりたい」と意気込んでいる。

「だから息子が社長で、私は最初から会長。今は息子の家庭教師みたいなもんやな。銀行や百貨店との付き合い方を、横で徹底的に教えてるところ。いろいろ覚えろとうるさく言っているので、本人はちょっと嫌がってるけどな(笑)」

事業を「継ぐ」「継がせる」ということに対して、岡の考えを聞いた。

「四六時中働いて、資金繰りに追われて、伝統を守ることに必死になって......だと、疲れるやんか。自分も子供もそんなこと絶対にやりたくないし、そもそもそれでは儲からん。例えば、歌舞伎役者の子供は親の後を継ごうとする。それは親がいい目にあっているのを見ているからやろ? 『うちのおやじは儲けているな、かっこいいな、俺もああなりたい』、そう思ってもらえれば、それでいい」

「よれよれのおじいちゃんはカッコ悪いからなりたくないねん」と笑う岡。だからジムに週3回も通っているそうだ。

長いことスポーツに携わり、選手の育成にも関わってきたからこそ、「生涯現役」でい続ける難しさについては理解している、と岡は言うが、この先の生き方をどのように考えているのだろうか。

「大事なのは最後や。人生の途中がどれだけよくても、最後ボロボロになって、それこそ邪魔者扱いされながら死ぬのは絶対に嫌や。だから最後にはいい目をしたいなあ。そういう意味で、私なりに存在感は出していきたい。スポーツも、商売も、阪神タイガースも、勝ち始めたら面白いんや。やっぱ勝ち組におらなあかん」

そして最後に、こう付け加えた。

「何事も、悲壮感を持ってやったらいかん。それは事業を継ぐことも一緒や。『やるなら楽しく』やで」

最後に店頭にて。この時間、この場所は道がふさがるほどたくさんの人で溢れていた。取材班が狙っていた牛肉弁当は一瞬のうちになくなってしまうほどの人気っぷり。惣菜も、取材が終わる頃には、もうほとんど残っていなかった。