新しい後継ぎのかたち

母の味を守る職人と、後を継いだブランディング会社。金沢名物「こんか漬け」を復活させた、やさしい出会い

母の味と生まれ故郷の伝統をどうしても後世に残したい。その思いを叶えるべく後継ぎ候補として金沢に現れたのは、渋谷で働く若いクリエイターだった。一見アンバランスな2人が織りなす、金沢の伝統発酵食こんか漬け「こんかこんか」再生のストーリー。

石川・金沢を代表する観光地「ひがし茶屋街」から川沿いに歩くこと10分。築100年の町家の、細い道路に面したカウンターの窓越しに、土間にぎっしりと並べられた漬物樽と、その蓋をひとつひとつ開けてはせっせとかき混ぜる作業着姿の女性が見える。そのかたわらには、女性よりひと回りは若そうな男性の姿も。表情の柔らかさから、二人のいい関係が伝わってくる。

女性のほうは斉藤 園。母と二人で個人商店「池田商店」を営み、この地域に古くから伝わる漬物「こんか漬け」を元にしたオリジナル商品「金沢こんかこんか」の製造・販売を、もう20年も続けてきた。

男性は中神 遼。東京に本社を持つブランディング会社「AMD」でクリエイティブディレクターとして働いている。もともとの出はグラフィックデザイナー。金沢に引っ越してきたのはごく最近のことだ。

一見なんの接点もない二人はどういうわけか、大正時代に建てられたリフォーム必須の町家で膝を突き合わせる関係となった。ときに古くなった床板を張り替えたり、ときに新商品の構想を話したり。同じ未来を見据えて歩みをともにし始めた。

"結婚"に例えるとわかりやすいかもしれない。ただし、結婚と言っても男女のそれではなく、中神と斉藤の関係は、あくまでM&Aの買収する側とされる側。ここでいう"新婦"は、斉藤が母とともに手塩にかけて育ててきた、「こんかこんか」伝統の味だ。

想像してみてほしい。娘のように大切に育ててきたその味を、止むに止まれぬ事情で誰かに引き継がねばならないとしたら。誰に引き継げばいいのか。どうやってその相手を見つけるのがいいのか。どうすれば関わるすべての人が幸せになるM&Aが実現するのだろう。

伝統あるものを、その核にあるものは大切に守りながら、変えるところは変え、次の世代へと引き継いでいく━━。そのためのM&Aなのだとしたら、これはやはり"結婚"なのだ。

こだわり抜いて作り上げた、20年ものの母の味

あらためて「こんか漬け」について説明しよう。金沢の伝統食「こんか漬け」は、サバやフグなど近海で獲れる魚をぬか漬けにしたもの。おもに酒の肴やご飯のお供として地域の食卓を彩ってきた。

取材に行った日はちょうど、ぬかを加える作業をする日だった。樽のビニールをほどき、蓋をあけると、ふわっとぬかの香りが漂い、食欲がそそられた。

「こんか」の語源には諸説あり、金沢弁で「古いぬか」を意味する「こぬか」が訛ったもの、あるいは「いらっしゃい、また来てください」の意味とする説もある。隣の福井県では「へしこ」とも呼ばれる。全国的にはこちらの呼び名が一般的だろう。

この「こんか漬け」を元に、オリジナル商品「金沢こんかこんか」として21年にわたって製造・販売を続けてきたのが、今回の主役・池田商店だ。母娘二人だけの小所帯だが、味の追究に一切の妥協はない。原材料には日本近海で獲れる新鮮なサバのみを使用し、30年以上受け継がれたいりぬかと秘伝の調味料を使って、半年かけて漬ける。

先日亡くなった横綱・輪島や、人気力士・遠藤らを輩出した相撲の聖地・卯辰山。その中腹にある自宅で細々と製造していたが、どこから嗅ぎつけたのか、その芳醇な味を求めて注文は全国から寄せられた。

母娘が初めて「こんか漬け」と出合ったのは二十数年前のことだ。斉藤の母・由美子さんが交通事故に遭い、大怪我をして入院。食欲がなく、大好物でさえ喉を通らない状態が続いていたそんな時、知り合いのおばあさんが差し入れてくれたのが「こんか漬け」だった。

脂の乗ったサバに、ほんのりとぬかが香り立つ。ひと口食べると、まろやかな味わいがいっぱいに広がった。

小さく切って少しずつ食べる。「味見してみます?」と振舞ってくれた。噛めば噛むほど口の中にじんわりと味が広がる。「日本酒が飲みたくなりますね」「いくらでもご飯が食べられそう」と取材スタッフにも好評で、あっという間になくなってしまった。

この味に心底惚れ込んだ由美子さんは、おばあさんからぬか床を分けてもらうと、そこからの数年、味の再現に没頭した。納得のいく味になるまで調味料を足し引きし、何度も漬け替える。そうしてようやく完成したのが、現在の「こんかこんか」だ。

最初は知り合いづてで販売していたものが、味の良さが評判になり、地道な営業活動もあって、市内のみやげ物店などでも少しずつ取り扱ってもらえるようになった。

高齢化、人手不足で生産ストップ。でも「諦められない」

何度も漬け替えては味を見て調整していく。由美子さんが再現した「こんかこんか」の味は、いまや斉藤にしかできない。

サバの収穫の最盛期は春と秋の2回。「こんかこんか」もこのタイミングに合わせて年に2度漬ける。漁港から仕入れた新鮮なサバをまずは10日間塩漬けにし、その後、30年間守り続けたぬかに半年間漬け込む。

最後の1カ月は味の調整作業。ぬかを入れ替え、納得のいく味になるまで何度も作業を繰り返す。もちろんすべてが手作業で、サバ50匹といっぱいのぬかが詰まった樽は、ちょっと動かすだけでも相当な力仕事だ。

取引店やリピーターの数が増え、ようやく製造・販売が軌道に乗り始めたころには、70歳を超える由美子さんにとって、「こんかこんか」の製造は体力的に難しいものになっていた。

これまで通りの生産量を維持するには、斉藤一人では明らかに手が足りなかった。とはいえ、アルバイトを雇用し、労働環境を整える資金もノウハウもない。由美子さんとしても、定年後の趣味のようにして始めたことで、これ以上娘に負担をかけるのは本意ではなかった。

「残念だけれど、辞めたほうがいいのかも・・・」母娘二人三脚で20年にわたって続けてきた「こんかこんか」の生産は、こうして2017年春に漬けた分を最後に、一旦ストップすることになった。

しかし、販売を中止してなお「こんかこんか」を求める問い合わせは全国から相次いだ。生産を中断したと聞き、存続を望む声も届いた。何より、「母が手塩にかけた味をなくしてしまうのは、どうしても諦められない」という気持ちが斉藤の胸の内にくすぶり続けていた。

「私たちの家まで『こんかこんか』を買いに訪ねてくるお客さんもいたんです」と斉藤は言う。そんなファンの思いを無下にはできない、そう感じていたようだ。

そこで、池田商店が創業以来世話になってきた旧知の税理士事務所に「涙ながらに」相談。「それならば事業承継先を探してはどうか」とアドバイスをもらい、ここから「こんかこんか」の"嫁ぎ先"探しが始まった。

候補10数社の中から"新郎"に選ばれたのが「AMD 金沢オフィス」。2018年2月にM&A契約を結び、池田商店は廃業。今後はAMDが「金沢こんかこんか」の事業運営元となり、斉藤はその外注先という形で変わらぬ味を守り続けることになった。

"仲人"は旧知の税理士

それ以外に道がなかったとはいえ、母娘二人で守ってきた味を他人に託すのに心理的な抵抗はなかったのだろうか。「踏み切れたのは、中山さん(税理士法人中山会計)の存在が大きい」と斉藤は振り返る。

地元金沢に拠点を置く税理士事務所・中山会計の小嶋純一は、M&Aスペシャリスト、M&Aシニアアナリストの両資格を北陸地域で初めて取得した、いわば事業承継の勘所を知り尽くした人物だ。とはいえ、斉藤からすればそうした手腕以上に、創業以来「なんでも相談している」間柄であることが大きかった。

「伝票の付け方から売り方、パッケージのデザインまで、経営に関することはすべて相談してきました。母が最初に作り始めた時には、味の相談だってしていたくらいで」

斉藤と強い信頼関係で結ばれている小嶋は「『こんかこんか』の復活はこの人なしでは語れない」と言っても過言ではない、まさにキーマンだ。

一方の小嶋にとっても、「こんかこんか」と池田商店は特別な存在だった。

「商品が生まれる時から知っているし、本当ならまだまだやりたいことがあるのにままならない悔しさも近くで見てきた。何より僕自身が『こんかこんか』のファン。なんとかしてこの味と名前に残ってもらいたかった」

税理士とクライアントの関係を超えたそんな間柄だから、窮地に立った母娘が小嶋を頼るのは自然な流れといえたし、承継先を探すにあたって、母娘が何を一番大切に考えているかは小嶋にもよく分かっていた。

しかし、今回のM&Aには厳格なリミットがあるという難しさもあった。昨春に漬けた在庫が完全になくなってしまえば、そこからもう一度資金を投入し、ゼロから漬け込むことになる。サバの価格も高騰する中、池田商店にそんな余裕はもちろんない。在庫があるうちに承継先が見つかれば話は進むし、見つからなければ「こんかこんか」は完全に終わりだ。事業承継を本格的に模索し始めた昨年夏から、2、3カ月が勝負。緊張感のある状況だった。

そんな中、小嶋は三つのジャンルに絞って承継候補をあたったという。一つは、もともと漬物を扱っている同業者。一つは、同じ「発酵」というくくりで味噌製造店や酒蔵。そして最後の一つが、伝統産業の弱点ともいうべき発信力を補える、デザインやブランディングの会社だ。この三つめの候補群の中にAMDの名前があった。

普通に考えれば、すでに漬物製造のノウハウを持つ同業者に引き継ぐのが一番早い。レシピさえ渡せば、すぐにでも作り出すことができたはずだ。

「でも、それでは数あるラインナップのうちの一商品として『こんかこんか』が埋もれてしまうかもしれない。名前や味を残せないかもしれないという懸念がありました」

小嶋はそうした懸念を率直に斉藤に伝え、斉藤は小嶋の判断を全面的に信頼した。「なんとしても味と名前を残したい」という思いを完全に共有した"仲人"の存在なくして、伝統食とクリエイティブの"結婚"は実現しなかった。

理念の共有、役割分担、密なコミュニケーション

AMDは今回のM&Aに先立つ2014年、「培ってきたブランディングの力で社会課題を解決する」ことを掲げて金沢に進出。地元イベントの広報担当を務めるなど、地域に根ざした地道な活動を続けてきた。今回、「こんかこんか」のプロジェクトリーダーに就任した中神も、こうした理念に共感して同社に入った一人だ。

AMDが承継先に立候補するにあたり、社長から今回のプロジェクトについて聞かされた中神は、まずは「こんかこんか」を含むいくつかの「こんか漬け」を自費で購入して回り、実際に食べてみることから始めたという。

中神は、持ち前のクリエイターとしてのスキルを活かして、地域を元気にする仕事ができないか、そんな思いからAMDに入社した。

「すると、明らかに他のものとは味が違うんです。20代30代の若い社員に食べてもらっても『美味しい』と言う。金沢で生まれ育って、慣れ親しんだ味というわけでもないのに、です。そこに、単に伝統食というだけではない可能性を感じたんですよ」

モノは間違いなくいい。一方で、届けるべきところまでリーチできていない課題も明らかだった。

「ということは、逆にいえば、そこさえうまくやればビジネスとして十分に成立する。その点、AMDはブランディングの会社です。やりようはいくらでもある」

中神は感じたことをそのまま手紙にしたため、「こんかこんか」を頬張る自らの写真を添えて斉藤宛てに送った。最終的にはその熱意が決め手となって、数ある候補の中からAMDが承継先に選ばれたのだ。

AMDはデジタル領域のクリエイティブにも強い会社だが、「こんかこんか」への思いを綴った手紙は、すべて手書き。合計3〜4通も送ったという。

異なるものがチームとしてうまく融合するのには、一に理念を共有していること、次に役割分担が肝要ともいわれる。プロジェクトを進める上で、中神が強く意識しているのもそこだ。

「ブランディングに関してはプロである僕らも、商品の作り方については完全に素人。今回携わるにあたって、ひと通りの工程はもちろん学んだけれど、そこは斉藤さんにお任せして、いいものを作ってもらう。僕らはそのための環境を整え、得意分野に徹することで、そのいいものを必ずお金に変えられると思っています」

もともとまったく別の会社が一つになるのには、当然、難しさがいろいろとある。例えば勤務形態はどうするのか。報酬は?━━実際、これまで多くのM&Aを成立させてきた小嶋も「『話が違う』とか、『言ったことがちゃんと伝わってない』とか、通常はM&Aが成立した『あと』が大変なんです」と漏らす。

「その点、今回は現場の承継者同士が柔らかく、古いものと新しいものをつなぐことができている。それが成功しそうと思わせる要因ではないかと思うんです。M&Aの際にトップ同士が前に出ると、お互いに主張やこだわりが強いぶん、難しさが生じる。今回は池田商店側もお母さんではなく娘さん、AMD側も社長ではなく中神さんと、どちらもトップ同士ではなかったのが、よかったのではないか、と」

実際、コミュニケーションを密にし、斉藤のもともとの意向を大切にすることは中神が気をつけていることの一つで、例えばロゴのデザインを決める際にもAMD内で完結することはせず、制作過程のどこかで必ず斉藤の意見を求めるようにしている。

そんなこともあってか、最近では斉藤が小嶋の元に相談に訪れる機会もめっきり減ったのだという。

「以前であればしょっちゅう相談に来てたのにそれがないから、『大丈夫かな?』と逆に心配になるくらい。ちょっと寂しい? そうかもしれないですね。嫁いで行ったきり連絡が途絶えて。盆暮れ正月くらいは連絡よこせやってね(笑)」

こんか漬けの味見をしながら「うん、やっぱり美味しい」とうなずく中神と小嶋。2人は「こんかこんか」の大ファンだ。

「やりたくてもやれなかったことを一緒にやってくれる人がいる」

こうしてリスタートした「金沢こんかこんかプロジェクト」が最終的に目指すのは、「こんかこんか」をブランドとしてさらに飛躍させること。そのためにやりたいこと、やれることは山ほどある。

だが、まずは一度は生産がストップした「こんかこんか」を、新体制に変わってもそのままの味で復活させることができなければ、何も始まらない。事業承継の契約を交わした2月には、さっそく漬け込みを再開。同時に、生産に最適な環境を整えるべく新たな製造場所を探して回った。

条件は、サバを漬ける樽を洗うための広い水場があり、風通しのよい作りであること。また、地元民や観光客が集い、「こんかこんか」を食べながら憩うことのできるスペースも作れればなお良い。こうした観点から市内のあらゆる物件を探した結果、たどり着いたのがこの町家だ。

ただし、築100年以上というだけあって、支柱は傾き、畳は底が抜け、水道管は錆び付いていた。水回りは大元から取り替え、壁と床を地道に修繕するなど、漬物作りとはほど遠い大改修を強いられることになった。できる限り自分たちで行うことで出費を抑える一方、足りないぶんはクラウドファンディングを実施することでなんとかやりくりした。

写真手前にある木造の建物が今回新たな製造場所として決めた町家。静かな住宅街だが、観光バスのバス停がすぐ近くにあり、ひがし茶屋街も近い。取材時はまだ修繕中で、部屋の奥は床が抜けている状態だったが、古い町家がどうリノベーションされるのか今後が楽しみだ。

10月下旬のファーストロットの出荷に向けては、新商品も開発中。ターゲットを広げるべく「孤食」のニーズに注目する中神は、「従来の商品は一回の食事で食べきるには大きすぎた。個装にするだけでも新たな売り方が可能になるはずで、日常食としてはもちろん、観光みやげとしてのニーズもあるのでは」と目論む。

改装した新しい製造所は店舗も兼ねる予定で、現在オープンに向けた準備を進めている。「(旧・池田商店時代は)突然訪ねてくる人はあっても、基本的には市内の土産物店に卸して売っていました。直接お客さんと顔を合わせて売るというのは、やりたくてもやれなかったことの一つ。母もオープンをすごく楽しみにしているんです」

中神は「改装費用がかかってもこの場所にこだわったのは、人通りが多く、観光スポットにも近い立地が魅力だったから。空いている二階のスペースを貸し出すなどして、この店をコミュニティのハブにしたい。ゆくゆくは『こんかこんか』だけじゃなく、このエリア全体を盛り上げていけたらいいですね」と夢を語る。

悲嘆に暮れるしかなかった1年とちょっと前。突然やれることが増えた斉藤としても、戸惑いより喜びのほうが大きいという。

「やりたくてもやれなかったことを一緒にやってくれる人がいる。いまはそのことがとにかく嬉しいんです」

お店ができたら、この窓から販売できるようになる。こんな風にいい笑顔の二人から「こんかこんか」を買えるようになる日もそう遠くない。