インタビュー

ミスターセレッソ森島寛晃に訊いた、選手にとっての名刺交換の意義、エースナンバー「8」への想い

セレッソのエースナンバーは「8」と決まっている。森島寛晃、香川真司、清武弘嗣と続き、いまは柿谷曜一朗が継ぐ。引退後もチームに残り、偶然にも同じ名のアプリ「Eight」で名刺管理をしているという元日本代表のレジェンドが、サッカー界にとっての出会いの可能性を語る。

森島寛晃といえば日本サッカー史にその名を刻んだレジェンドプレーヤーの一人だ。2002年のFIFAワールドカップ日韓大会、グループリーグ第3戦のチュニジア戦で勝利を決めるゴールを挙げ、日本を決勝トーナメントへと導いたのが森島だった。あれから16年が経過したいまなお、その献身的なプレーと鋭い得点感覚を記憶にとどめるファンは多いはずだ。

2008年シーズンを最後にユニフォームを脱いだ森島は、プロ18年を一筋で過ごしたクラブ・セレッソ大阪にその後も残り、新たに設けられた特別職アンバサダーに就任。3年前に現在のチーム統括部へと籍を移すまで、サッカーの普及やクラブの広報活動に勤しんできた。

まるで現役選手かのように日に焼けた素肌を見れば、ユニフォームをスーツに着替えたいまも、率先して汗をかくことをいとわない彼の"プレースタイル"が健在であることがよくわかる。「はじめまして。森島寛晃です。よろしくお願いします」──。短く刈り込まれた頭を深々と下げ、森島は両手で恭しく名刺を差し出した。

彼にとってサッカーはビジネスだから、一般のビジネスパーソンと同じように日々誰かと出会い、当たり前のように名刺を交換しているのだろう。しかし、往年の名選手から渡された一枚に普通にメールアドレスや携帯電話の番号が書いてあるのを見ると、なんとも不思議な気持ちにさせられるのも確かだ。サッカー選手にとっての名刺、そしてその先に広がるつながりにはどんな意味があるのだろうか。

引退後は、7年間チームのアンバサダーとして活動し、多様な業界の人たちと名刺交換をしていたという。現在はチーム統括部に所属しているため、以前と比べると、サッカー関係者と会う機会の方が増えたそうだ。

クラブの「顔」だからこそできること

森島が在籍するチーム統括部の仕事は、平たく言えばセレッソのトップチームを強くすることだ。

たとえば、監督やコーチングスタッフはどんなラインナップがベストなのか。選手は今後、どんな方向に成長していけばチームにとっての戦力になるのか。あるいは、いまいる選手だけでは足りないとしたら、どんな選手を補強してくればいいのか。こうしたことを統括部のメンバーで連係して考え、次の一手を打っていく。

そのためには広範な情報と、それを支える幅広いネットワークが不可欠だ。たとえば的確な補強を行うには、自チームの課題、選手個々の状態を常に把握しておいて、どこを補強すればクリティカルな効果が得られるかを認識している必要があるし、一方では他チームの選手の能力やプレースタイル、現在の処遇をどう感じているか、契約状況はどうかといったこともすべて知っていなければならない。

選手が移籍するかどうかはピッチ内のみならず、たとえばパートナーとの関係や、子供の進学などのプライベートの状況だって関わってくるから、必要な情報は本当に多岐にわたる。もちろん、新人発掘のためにはJリーグの関係者だけではなく、大学や高校の指導者とのつながりも重要だ。

現在の森島の役割はどちらかというと自チームの状態を把握する方に寄っているため、多くの時間をトップチームに帯同して過ごすことになる。日々接する顔ぶれはほぼサッカー関係者に限られており、「アンバサダーを務めていた当時ほど多様な人との出会いの機会はない」という。

とはいえ、そんな中でも予期せぬ出会いが新たなビジネスチャンスにつながるケースはある。「たとえば遠征先で、知り合いから紹介された現地の社長さんとご飯に行く機会があります。すると中には、仕事の提案をしていただく方もいる。その話を覚えておいて、あとで営業担当者に伝えることで、実際に新しいスポンサーの獲得につながったこともあります」

そうした人の中には、一介の営業マンでは絶対に会えないようなレベルの人も含まれている。元日本代表、「ミスターセレッソ」と呼ばれた森島だからこそ可能な出会いというものがあるはずで、そんな森島が率先してクラブの「顔」としての役割を果たすことで、チームの強化にとどまらない利益をクラブにもたらしている。

もしアンバサダーを始めた頃からずっとEightがあったら、多く人たちとの出会いが、いまの仕事にもつながっていたかもしれないと語る。

多様なネットワークが引退後のキャリアを形づくる

スポーツ選手の交友関係は、どうしてもスポーツ選手同士に偏りがちだ。そのことが彼らのセカンドキャリアの苦しさにつながっていると指摘する人もいる。

本来、何かの分野で飛び抜けた結果を残したアスリートには、一般社会に出ても通用するような何かしらの能力が備わっているはず。だが、それを実際に活用してうまくやっていくのには、一旦それまでの自分のキャリアとスキルを客観視し、一般社会で求められる能力へと"翻訳"する作業が必要になる。

ネットワークに多様性がない、あるいは一般社会との接点がなさすぎると、そうした客観視が難しい。ゆえにセカンドキャリアに苦しむことになる、というわけだ。

森島の場合は、引退直後に就いたアンバサダーとしての活動の中で、ネットワークの量と多様性を爆発的に広げていった。

「それはもう、チーム統括に移ったいまとは比べ物にならないくらいの出会いがありました。議員さんだったり、企業の社長さんだったり、地域の商店街の方たちだったり。いまはサッカー関係者との出会いが中心ですが、そうした業界の枠を超えて毎日誰かしらとお会いしていました。パーティーに呼んでいただく機会も多く、200枚、300枚と刷ってもらった名刺も1日で飛んでいきます。とてもありがたかったんですが、いつ、どこで会った人なのかを覚えておくのには本当に苦労しました」

セカンドキャリアといっても森島の場合は引き続きサッカーが仕事だから、こうした場で生まれた偶然のつながりは、すべて何かしらの形でサッカーへと還元された。その象徴的なものの一つに、森島が9年前から続けているモリシアカデミーという子供向けのスクール事業がある。

「アンバサダー時代、たまたま呼ばれてお邪魔したパーティーで、ある開業医の先生とご挨拶させていただいて。意気投合して後日ご飯に行かせていただくことになり、そのことがきっかけでアカデミーの活動を始めることになりました。以来、今日に至るまで9年間にわたってスポンサーを続けてもらっています」

森島が就任した当時、セレッソにはもちろん、Jリーグの他クラブにもアンバサダーと呼ばれるポジションはほとんどなく、手探りでのスタートだったという。その意味では、こうした一つひとつの出会いが前例のないアンバサダーという役割、そして森島の引退後のキャリアを形づくっていったとさえ言えるのかもしれない。

クラブハウスの駐車場に「モリシアカデミー」の自動車が停めてあった。

つながりの意識があれば、選手寿命が延びていたかも

しかし、森島がこうしたピッチ外のつながりの大切さを意識し、実感しだしたのは、実は引退してからのことだった。

「自分が若いころは、サッカー選手なのだからピッチの中でのプレーが名刺替わりだという意識が強かったんです。でもいまになって思いますよ。あのころから違った意識を持っていたら、どんなにかいまの仕事にプラスだったろうかって」

クラブの「顔」である森島にしか実現できない出会いがあるのと同様、やはり現役のサッカー選手、現役のJリーガーだからこそ実現する出会いというものもある。森島ほど名前の売れた存在でさえそれを実感しているのだから、普通の選手であればなおさら、その肩書きの差は大きいのだろう。

サッカー選手がサッカー以外のことに精を出す、あるいは現役時代から引退後のことに頭がいっていることには、賛否両論があるかもしれない。だが、つながりがサッカー選手にもたらすのは、必ずしもセカンドキャリアに関するメリットだけではない。「そうした出会いが選手寿命を延ばすサポートになる可能性だってある」と森島はいう。どういうことだろうか。

「たとえばそうやって知り合った人からの紹介で、身体をケアする器具やマッサージを取り入れていたり、独自にトレーナーをつけてトレーニングしている選手もいます。もちろん、クラブが公式に提供するものはありますが、スポンサーとの絡みなどさえクリアしていれば、基本的にはそうした選択は選手の自由です。というのも、クラブに雇われているとは言っても、サッカー選手は究極的には個人事業主。自分の身は自分で守らなければならないところがあるんです」

振り返れば森島自身、引退を余儀なくされたのは首の痛みが原因だった。いまも体勢が悪いと痛むことがあるという。こうやって身体のケアの重要性を説くのには、「現役時代にいまのような意識があったら、もしかしたら現役生活が1年2年伸びていたかもしれない」という思いがある。サッカー選手にとって、グッドコンディションを維持することがいかに大事か。これは、BNLが過去に行ったインタビューで、同じ元日本代表の鈴木啓太も強調していたことだった。

「もっとも、最近の若い選手は自分が現役のころよりその意識がずっと強く、スポンサーパーティーでお会いした方との関係を大切にして、引退後に備えていたり、自分の身体に投資したりといったことをしているみたいです。そういう姿を見ると、時代は変わったなあと思いますし、頼もしくも感じますよね」

セレッソに息づく背番号8のつながり

森島は数年前から、名刺管理にEightを使いだした。「日々たくさんの人に会っていると、いつ、どこで会った人なのかを記憶するのだけでも大変なんです。名刺にメモしていた時期もあったんですが、毎日何百枚も交換しているとそれも続けるのが難しくて。その点、Eightは自動的に日時を記録してくれるから便利ですよね。アンバサダー時代にこれを知っていたらどんなにラクだったか」

Eight=8は森島が現役当時、セレッソの前身であるヤンマー時代から背負い続けた思い入れの深い番号だ。背番号8はその後、香川真司、清武弘嗣というサッカーファンなら誰もが知るスタープレーヤーへと引き継がれた、セレッソにとって特別な番号でもある。

「ぼくはたまたまずっと8番を背負っていたというだけで。それが特別な番号になったのは、そこに価値を見出してくれたサポーターという存在、そして引き継いだ彼らのその後の活躍があってこそだと思います。彼らのおかげで、ぼくは『元8番』として、ずいぶん仕事がしやすくなっているんですよ」

現在その8番を背負うのは、育成年代からセレッソで育ち、サポーターの愛と期待を一身に浴びて育った、柿谷曜一朗。彼に対するコメントを求めると、「強化の立場で一人の選手に対してだけ何かを言うのは難しい」と言いつつも、森島は短い言葉に期待を込めた。

「8番はいまやぼくのものでも、真司や清武のものでもない。いま背負っている曜一朗の番号です。サポーターがその彼に望んでいるのは、やはりピッチで活躍して輝いている姿だと思う。彼はこれまでその思いに応えてきたし、これからもやってくれるはず。それを間近で見られるのは、ぼく自身の楽しみでもあるんです」