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現代アートは、創作者だけでなく鑑賞者にも「想像」を求める──要約『現代アートとは何か』

巨額の取引が行われるアート市場で作品の価値はどのように決まるのか、そして現代アートはどう鑑賞するべきか。一見、日常から遠いところにあると感じる現代アートも、見方を変えればビジネスのヒントの宝庫なのかもしれない。

現代アートは、美術ではなく知術──BNL編集部の選定理由

正直なところ現代アートは、生産性や合理性が重視されがちな普段のビジネスとはかけ離れたところにあるもの、そんな印象だった。アイデアのエッセンスになればと、ギャラリーに足を運んでも、難解な作品が多く、いまいちヒントになりにくい。

しかしこの本を読み終えた今、これまで観た現代アート作品を、もう一度、今の価値観で観たいと思う。

現代アートはもはや「美」を志向していない。

(中略)

近代以前の美術にも物語や教訓や寓話などの様々な情報が埋め込まれてはいたが、非網膜的な現代アートに内在し、鑑賞者の想像力に読み取られるべき知的情報の種類と量は、過去の作品に比べて桁違いに多い。「現代美術」ではなく強いて言えば「現代知術」と呼ぶべきだろうか。

本書第6章「オーディエンス 能動的な解釈者とは?」より抜粋

現代アートは、アクチュアリティや政治がテーマとされていることが多く、その事象の背景を知らないと、作品を理解することは難しいという。

だからこそ鑑賞者の態度も変わってきた。これまでのように、視覚的に作品を捉え、受動的な感情で鑑賞するのではなく、自分の想像力を駆使し、作品のメッセージを能動的に解釈するのが現代アートの鑑賞である、と。

著者は、IMAのインタビューでこう答えている。

アート史の知識よりもほかの芸術ジャンルや、いま世界で何が起こっているか、翻って世界の歴史だとかを学んでいくと、作品が鏡になって自分と世界を映してくれるんですよ。そこが醍醐味なんです。ああ、学ぶっていう言葉も良くないですね、お勉強っぽくて。自分がいろんなことを経験すればするほど、それが鑑賞に活きてくる。だから現代アートは面白いんです。

小崎哲哉インタヴュー 経験が鑑賞に活きてくるから、現代アートは面白い(IMA)

逆に言えば、現代アートを鑑賞することで、歴史や今世界で起こっていることを考えるきっかけになり、その他のジャンルの知識を身につける機会にもなるのではないか。

「美術」ではなく「知術」だと思えば、現代アートは途端に身近になる。

自分の知識や経験を見直し、よく知らないジャンルの知識を得る。週末は、現代アートのギャラリーや美術館にふらっと立ち寄ってみるのはいかがだろう。もしかすると、面白いビジネスにつながるヒントも見つかるかもしれない。

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要約者レビュー

「最も強い影響力を持った20世紀のアート作品」に選出されたのは、パブロ・ピカソでもなく、アンディ・ウォーホルでもなかった。選ばれたのは、マルセル・デュシャンの「泉」――男性用小便器に、漫画のキャラクターを思い起こさせるサインを施しただけの作品――だ。この作品は、下ネタが御法度だっただけでなく、美術と言えば絵画と彫刻しかなかった時代に発表された。デュシャンはこの作品によって、アートの概念を根底から覆した――このエピソードに惹かれた方は、本書を読めばきっと興奮するだろう。

「現代アートを司るのは、いったい誰なのか?」――タイトルは別として、本書で最初に立てられるのが、この問いだ。現代アートには、良し悪しを決める基準が存在しないという。作品の価値と価格を決めているのは、現代アートに1000億円をつぎ込むカタール王女であり、1文字15円で批評を書くジャーナリストであり、アーティストである。そのかげには、ゴシップとも言うべき数々の出来事がある。

本書の前半では、現代アートを取り巻く人々について語られる。億万長者らによる作品をめぐる戦いや、美術館による作品の「検閲、もとい規制」については、アートに関心がない人でも興味深く読めるだろう。

後半では、現代アートの動機や、現代アートを鑑賞するプロセスなどが解説される。こちらは、現代アートを鑑賞してみたいがハードルが高いと尻込みしている人にとって、強い後押しとなること請け合いだ。

いずれにしても、現代アートのガイドブックとして、手元に置いておきたい一冊になるだろう。


要点

── 要点1 ── アートには、良し悪しを決める絶対的な基準はない。現代アートの価値と価格を決めているのは、「マーケット」「ミュージアム」「クリティック」「キュレーター」「アーティスト」「オーディエンス」である。

── 要点2 ── 現代アート作家が抱く創作の動機は、大別して7種ある。その7種とは、「新しい視覚・感覚の追求」「メディウムと知覚の探究」「制度への言及と異議」「アクチュアリティと政治」「思想・哲学・科学・世界認識」「私と世界・記憶・歴史・共同体」「エロス・タナトス・聖性」だ。


【必読ポイント!】 マーケット━━獰猛な巨竜の戦場

Photo: "Sencha Tealeaves" by Christian Kaden(CC BY-NC-ND 2.0)

スーパーコレクター

アートには、良し悪しを決める絶対的な基準はない。だから、「誰か」がアート史に残すべき作品を選び出し、現代アートの価値と価格を決めている。本書では、現代アートを取り巻く「誰か」、つまり、「マーケット」「ミュージアム」「クリティック」「キュレーター」「アーティスト」「オーディエンス」について考えている。要約ではそのうち、マーケットを紹介する。

超一級のアートコレクションを持っているのは、億万長者たちだ。たとえば、スーパーコレクターの1人であるピノーは、フランスで5番目の資産家で、その総資産はジャマイカのGDPを上回るという。彼は、ケリングというファッションコングロマリットの創業者だ。傘下に、グッチやボッテガ・ヴェネタといった有名ブランドを所有し、世界最大のオークションハウス、クリスティーズのオーナーでもある。

彼は、2500点を超えるとされる一大コレクションのオーナーだ。アート史に名を残すことがほぼ確実なアーティストの、第一級の作品を収集している。

では、彼のようなスーパーコレクターは、どのように作品の売買の情報を集めているのか。スーパーコレクターの周囲には、キュレーター、ギャラリスト、フランスの元文化相といった人物まで、様々なアート関係者がおり、情報を提供している。また、通常、アートフェアは作品の売買の場である。しかし実のところ、高額の作品は、フェアの開催前に内々に予約されている。業界内ルールに違反して、ギャラリーを介さずに作家から直接作品を購入するケースも多い。タックスヘイブンで取引すれば課税を免れるし、ギャラリーを通さなければ多額のコミッション(手数料)を支払わなくて済むからだ。

ギャラリスト

『オックスフォード英語辞典』によると、ギャラリストは、「アートギャラリーを所有する者、もしくは、潜在的な購買者を惹きつけるために、ギャラリーや他の場所でアーティストの作品を展示し、販売促進する者」と定義づけられている。

現代アートにおけるギャラリーには、プライマリーとセカンダリーの2種がある。プライマリーとは、アーティストの代理人として、新作を販売するギャラリーだ。セカンダリーとは、一度市場に出回った作品を入手して転売するというギャラリーである。ただし今日では、プライマリーとセカンダリーの線引きのみならず、ギャラリストとブローカー、ギャラリストとコレクターの線引きも曖昧になっている。今や誰もがディーラー、つまり販売者であると言える。

現在、アートディーラーの「帝王」と呼べるのは、ラリー・ガゴシアンだろう。彼は2003年以来、雑誌『アートレヴュー』の「POWER100」(現代アート界でもっとも影響力のある人々のランキングリスト)において、毎年ベストテンにランキングされている。ガゴシアンは、ニューヨークに5軒、ロンドンに3軒、パリに2軒と、世界中に計16のギャラリーを保有し、2014年の売上は推計約1100億円にのぼる。これは、この年の全オークションハウスにおける現代アートの売上の半額以上だ。彼が扱うアーティストは、パブロ・ピカソから有望若手までと、幅広い。もちろん、世界中のスーパーコレクターたちを顧客としている。

ガゴシアン本人は、自身のことを「売買についてのセンスと才能が、生まれながらにしてDNAのうちに備わっている」「生まれつき目が良いんだろうね」と認めている。対してロイターの寄稿家、フェリックス・サーモンは、「ラリー・ガゴシアンは(中略)高価なものならなんでも買う傾向のある成金コレクターたちを通じて、世界中の美術館その他に自分の趣味を押し付ける」と評している。

彼らの言う「目」や「趣味」とは、いったい何だろうか。ガゴシアンの「目」は本当に「良い目」なのだろうか。誰もその問いを発することはない。検証されるべき回答を与えられることもない。疑いを持つことなく、みんなガゴシアンの「目」に従っているように見える。それが、現代アートのマーケットだ。

ランキングリスト「POWER100」

前項で説明した通り、「POWER100」は、現代アートでもっとも影響力のある人々のランキングリストだ。雑誌『アートレビュー』において、毎年発表されている。ここに名前が挙がる人こそが現代アートの構成メンバーであり、かつその中の超VIPと考えてよいだろう。彼ら彼女らが、現代アート作品の価値と序列を決めているのだ。

編集部は、POWER100を「各国アート界の識者が匿名で寄せる助言に基づき、アーティスト、コレクター、ギャラリスト、批評家、キュレーターを影響力順にランキング。外部から窺い知ることの難しい、現在のアート界の構造を知るための最も影響力の高いガイド」としている。

ただし、POWER100に対する批判もある。疑問が寄せられるのは、「識者」の匿名性と、主観的・恣意的と思われる取捨選択と順位付けだ。順位付けには、媒体としての政治的な判断と、業界的なバランス感覚が背景にあると思われる。

現代アートの動機

Photo: "Dance" by Emilio Dellepiane(CC BY-NC-ND 2.0)

新しい視覚・感覚の追求

現代アートの作家が抱く創作の動機は、大別して7種あると著者は言う。その7種とは、「新しい視覚・感覚の追求」「メディウムと知覚の探究」「制度への言及と異議」「アクチュアリティと政治」「思想・哲学・科学・世界認識」「私と世界・記憶・歴史・共同体」「エロス・タナトス・聖性」だ。ただし、実際には、これらのうち、数種の動機が混在していることが多い。要約では、「新しい視覚・感覚の追求」「制度への言及と異議」「私と世界・記憶・歴史・共同体」を紹介する。

「新しい視覚・感覚の追求」とは、つまり、感覚的なインパクトの追求である。現代アートのみならず、美術史の大部分はこれによって前進してきた。ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」の完璧な構図や、フェルメールのスーパーリアリズムが例に挙げられよう。アーティストによる、「ほかの誰もやっていないこと」「いまだかつて存在したことのないもの」「観る者に衝撃を与えるもの」を自らの手で生み出そうという強い欲望により、多くの作品が生み出されているのだ。伝統の保存と継続が最重要視される分野もあるが、文学、音楽、映画、演劇、ダンス、建築、デザインなど、他の多くの表現領域においても、「新しい視覚・感覚の追求」は、アーティストの動機となっていると言えるだろう。

制度への言及と異議

アート制度に疑義を申し立てるとともに、アートの定義の書き換え、もしくはアートの守備範囲の拡大を迫ってそれを認めさせようとする動機が「制度への言及と異議」だ。

この動機によって生み出された作品のうち、アート史において最も衝撃的だったのは、マルセル・デュシャンの「泉」だろう。「泉」は、1917年4月に、ニューヨークの独立美術家協会が主催した公募展に出品応募された作品だ。協会は、保守的な全米デザイン・アカデミーに反対するグループが結成したものだった。協会に対して入会金1ドルと年会費5ドルを払えば、無審査で2作品を展示することができるという決まりのもと、作品が募集された。その規定にもかかわらず、「泉」は、協会の理事10名による投票の結果、展示を拒否されてしまう。なぜならこの作品は、「R.MUTT」というサインを施した男性用小便器だったからだ。理事長は、この作品について「どうみても、芸術作品ではありえない」とコメントしている。

当時、下ネタはタブーだった。かつ、美術と言えば絵画と彫刻しかない時代である。「泉」は、そんな時代にあって、「アートはこんなにも自由だ」という強烈なメッセージを放っていた。

この動機には、アートの守備範囲の拡大を迫るのみならず、制度自体が持つ政治性への疑義や告発も含まれる。たとえば、ハンス・ハーケがMoMA(ニューヨーク近代美術館)やグッゲンハイム美術館で展開した作品は、美術館という制度をラディカルに批判している。美術館の外で繰り広げられるリアルポリティクスに美術館が巻き込まれる、あるいは加担する様への批判である。

制度への「言及」は「参照」や「引用」にほぼ等しく、先行作品のオマージュや批判を作品内に組み込む行為を指す。たとえば、この動機による作品として、デュシャンの「L.H.O.O.Q」がある。この作品でデュシャンは、絵はがきの「モナ・リザ」に髭を描き加え、「彼女の尻は熱い」という卑語とほぼ同じように発音されるタイトルをつけた。

アクチュアリティと政治

Photo: "Photo passion" by Jose Maria Cuellar(CC BY-NC-ND 2.0)

直接に社会状況に言及したり、現実社会の政治を批判したりする作品もある。

この動機で作品をつくることで知られるのが、艾未未(アイ・ウェイウェイ)だ。彼は、毛沢東が中華人民共和国の建国宣言を行った天安門に向けて、自身の中指を突き上げている写真作品などで知られる。彼は、アーティストであると同時にアクティビストでもあり、「私は表現の自由のために闘っていて、絶対に妥協しない」「私にとってアートと政治活動はひとつです」と公言している。

そのほか、近年注目を集めているのが、相田誠の弟子筋にあたるグループChim↑Pom(チンポム)だ。軽飛行機をチャーターし、飛行機雲で広島市の上空に「ピカッ」という文字を描いたり、渋谷駅に展示されていた岡本太郎の巨大壁画の横に、福島原子力発電所の事故を想わせる絵を描いたベニヤ板を貼り付けたりといった活動をしている。そしてこういった活動の結果、個展が中止となったり、書類送検になったりもしているグループだ。反社会的集団にしか見えないかもしれないが、明確に確信犯的なのだ。

製作映像「 LEVEL7 feat.明日の神話」 渋谷駅にある岡本太郎の壁画「明日の神話」の前に突如Chim↑Pomが現れ、ベニア板に描かれた絵を付け足す。メディアからは避難を浴びたが、後に岡本太郎記念財団は彼らの作品を認め、岡本太郎生誕100周年記念の展覧会「Roll Over TARO!」で同映像と、付け足した絵を展示した。

私と世界・記憶・歴史・共同体

「私と世界」は「記憶・歴史・共同体」によって構成されているし、「共同体」にとっての「記憶」は「歴史」とほぼ同義だ。だからこの動機は「私と共同体を取り囲む時間と空間」と言い換えられるかもしれない。

個人史を作品に埋め込むアーティストは少なくない。自らのストーカー体験や死に行く実母を作品化したソフィ・カル、生家やこれまでに住んだ海外の部屋などのレプリカを実寸でつくっているス・ドホが例に挙げられよう。

家族や友人との関係に限らず、歴史の変遷と結びついている自分史もある。父親がユダヤ人だったクリスチャン・ボルタンスキーは、ホロコーストや民族浄化などの主題を好んで取り上げる。

自らの人生における経験を創作における素材、あるいは根拠とすることは、安直な結果に終わる危険があるとはいえ、つくり手にとっては自然なのだ。


一読のすすめ

著者の言葉を借りると、前半が「現代アートをめぐる状況のレポート」、後半が「『現代アートとは何か』についての議論」である本書。要約には書き切れなかったが、現代アートを鑑賞するプロセスを指南する章、絵画と写真の危機を論じる章、現代アートの現状と未来を語る章もある。

また、要約はテキストのみだが、本書では作品の画像がふんだんに掲載されていることも書き添えておきたい。ぜひ本書を手に取り、序章からあとがきまでを読み通すとともに、現代アート作品の数々を楽しんでいただければと思う。

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