来客があると、最近はペットボトルのミネラルウォーターを出す会社が多い。でも本当にそれでいいのだろうか。たまには手間をかけて、おいしいお茶を淹れてもいいのでは? いま煎茶器で淹れる日本茶の新たな価値を提案する人たちがいる。その最新動向を紹介する。
来客用の冷蔵庫から出している「エビアン」の代わりに、茶葉から日本茶を淹れたらどうなるか。自ら実践を始めて、3ヶ月ほどが経つ。
まずは気に入った急須と茶碗、湯冷ましを購入した。これらを会議室に持ち込むだけで珍しがられるので、名刺交換後のアイスブレイクとしても使えることがわかった。
1煎目は氷水で3分。じっくりと旨味と甘みを抽出することで、おもてなしに最適な、まるで出汁のような濃厚な味わいに仕上がる。蓋を開ければ、無機質な空間に快い茶畑の香りが広がる。
いったん会話が途切れたところで2煎目を淹れれば、自然な流れで次の話題に移れる。最後に話がまとまったところで3煎目を出せば、その後の雑談も盛り上がる。これほどわかりやすく効果を実感できれば、もはやエビアンは出会いの機会を疎かにしているとさえ思えてくる。
ところで、日本茶にはとても長い歴史があるに違いないと勝手に思い込んでいたのだが、調べてみると間違っていた。家庭でお茶が日常的に淹れられるようになってから、まだ50年あまりしか経っていないのだ。
本格的にお茶の生産が始まったのは、開国した明治時代からだった。なぜなら、資源の乏しい日本にとって、茶葉は生糸とともに2大輸出産品として重宝されたからだ。主な輸出先は米国で、日本国内で流通する量は限られていた。
やがて米国で紅茶が流行り始めると、日本茶の輸出量は減少していく。そこで生産者は国内マーケットに重点を移し、茶葉を全国に安定供給できる仕組みを整えた。それによって、ようやく日本の家庭でも日常的に楽しめる飲み物として広まっていくことになる。
戦後、お茶の消費量は高度経済成長期に合わせて増加した。1970年前後には、年間1人当たりの消費量は1㎏以上にまで達している。職場でも「お茶汲み」が女性社員の仕事になるほど普及していた。
1994年に伊藤園がペットボトルの「お〜いお茶 緑茶」を発売すると、やがて自動販売機やコンビニでも気軽に買えるようになり、次第に急須のない家庭が増えていく。そんな家で育った人にとっては、「さぞかし、急須で淹れてもらうお茶はおいしいはず!」と、日本茶専門カフェへの期待が高まる。
というわけで、東京ではここ数年、急須で淹れる日本茶専門カフェが結構増えている。ただし、13年前から創業している「表参道 茶茶の間」は別格だ。まだブレンドされた茶葉が当たり前だった時代に、開店当初から「シングルオリジン(単一農園、単一品種)」の茶葉を30種類以上も揃えて、新しい楽しみ方を提案し続けてきたパイオニアである。やっと時代が茶茶の間に追いついた、とも言えるだろう。
実際、店主の和多田喜さんによると、この1、2年で明らかにお客様の期待値は上がっているそうだ。開店後の数年間は和スイーツを目当てに来ていた人も多く、お茶とセットになっているメニューを見て、「お茶なんかいりません!」と言われることもあったそうだが、いまはむしろ、シングルオリジンのお茶を楽しみに来てくれる人の方が多いという。
「表参道 茶茶の間」で味わったお茶に魅せられたブレケル・オスカルは、日本茶を学ぶためにスウェーデンから移り住み、2014年には日本茶インストラクターの資格を取得した。昨年、初の自著『僕が恋した日本茶のこと』を発売すると、最近テレビや雑誌にも登場するようになり、注目を集めている。「シングルモルトウィスキーのように、これからは嗜好品としての日本茶の新たな価値を国内外に広めていきたい」と、オスカルは今後の目標を語る。
こうして嗜好品としての日本茶に注目が集まり始めると、茶器に対するこだわりも強くなっていく。いち早くその流れを汲み取ったのは、京都・宇治の茶陶「朝日焼」だ。煎茶用の茶葉の生産が本格的に始まった約150年前から作っているという急須は、もはや形を改良する余地のない領域にまで達している。それでも、日本茶を取り巻く環境の変化に合わせて、購買層をさらに広げるべく、デザインスタジオ「Sfera」とコラボレートして新しい急須をデザインした。それが冒頭の写真に映っている、私が購入した急須である。
茶葉も、急須も、淹れ方も、いまだからこそ可能になった最先端の取り組みだ。いまもなお、日本茶は進化を続けている。これから数週間にわたって、その最新動向を紹介する。