現代アートの作品を買う楽しさに目覚めた石鍋博子さんは、各々1年間に最低1枚は買うアートコレクターの集まり「ワンピース倶楽部」の代表として11年間活動を続けている。他の購買体験では得られない魅力は何かと問うと、それは作家との〈出会い〉にあるという。
どんなジャンルの愛好家でも、自分が作品を買うことで、好きな作家を応援したいという気持ちがあるだろう。アートも同じはず......なのだが、一般的には「買って応援」とはなりにくい。
「そんなことないですよ。作品を買って作家にあんなに喜んでもらえるもの、他にないと思います」。そう言うのは、アートコレクターの集まり「ワンピース倶楽部」を主宰する石鍋博子さんだ。
展覧会を見たり絵を描いたりする同好会は多々あるが、「ワンピース倶楽部」のようにアートを「買う」集まりは多くない。
「ワンピース倶楽部」のルールは3つ。1年間に最低1枚、生きているプロの作家の作品を購入すること。年度の終わりに開催する展覧会で、購入した作品を発表すること。ギャラリーめぐりや美術館めぐりなど、お気に入りの作品を見つけるための努力を惜しまないこと。
そんなアートコレクターとしての活動は、日々にどんな彩りをもたらすのか。主宰の石鍋博子さん、そして会員の上田欽一さん、前川俊作さんに話をうかがった。
石鍋さんが現代アートに興味を持ったのは2005年夏。翌年の2月、スペイン・マドリッドで開かれた「ARCO(アルコ)」国際アートフェアを訪れた。
石鍋さんはもともとテレビ局で働いていた。「フジテレビの大卒女子社員の第1号。インカムをつけてフロアを走り回っていました」。番組制作の現場で活躍していたが、2人目の子どもが生まれたころ、18年間勤めたテレビ局を退社。やめてどうしたかというと、
「夫との共通の趣味だったクラシックカー・ラリーに出場するようになったんです。二人とも会社員だと二人同時に休暇を取ることは難しいけど、私がやめた途端、旦那さんが『出るぞ』って」
本場イタリアをはじめいくつものラリーに参加した。「ラリーに出ていると1年が終わって、こんなふうにして一生を暮らしていくのかなって」。そう思っていた2006年の早春、夫に癌が見つかる。ちょうど「ARCO」を訪れて、「アートおもしろいな」と思い始めたころだった。その年の秋、夫は旅立ってしまった。
翌年の2月、石鍋さんは北京で開かれたアートフェアに出かけた。「あの時が楽しかったから、また行ってみようと思って」。アートフェアはやはり、心躍る場所だった。夏には世界的に有名な3つの国際美術展(ベネチアビエンナーレ、ドクメンタ、ミュンスター彫刻プロジェクト)を2週間かけてまわった。
「6月に見に行ったのかな。で、7月に『ワンピース倶楽部』をつくったんです」
展開が早いですね!と言うと、「だってもうね、やることないし」と笑う。夫を亡くし、呆然と過ごしてしまいそうな気持ちを奮い立たせて始めたのが、「ワンピース倶楽部」だった。
スタート時の会員はおよそ40人。ほとんどはアートを買ったことなどない人たちだった。「アートなんて分かんないけど、石鍋さんが何かやるなら会員になりますって参加してくれて」。大半は今も「ワンピース倶楽部」の活動を続けている。「それはうれしいですよね」と石鍋さんは言う。
会員の上田欽一さんは、石鍋さんとの出会いで現代アートに魅せられたひとりだ。普段は東京・江東区で老舗のせんべいやを営んでいる。「1カ月に1度勉強会に行って、アートの話だけしてればいいんだよ。至福の瞬間ですよ」。
上田さんにとっての「ワンピース倶楽部」の醍醐味は、「作家を応援すること」だ。「僕の買う作家は、それだけで生活できている人はほとんどいないんです。だけど僕は『こいつは天才だ!』と思うから買う。活躍してほしいから、感想もずばずば言います。作家だって、黙って見られるよりは話したいでしょう。なぜこれをつくったか、熱く語りたいんじゃないかな」
上田さんはもともと美術好きで美術館にはよく足を運んでいたが、ギャラリーには行ったことがなかった。「美術館は価値が定まっている安心感があるけど、ギャラリーなんて行ったって僕らにはどこの誰かも分からないでしょう? 雰囲気もフレンドリーとは言えない。シーンとした中、いきなり入っていって『これください』とは言えないですよね(笑)。だけど『ワンピース倶楽部』を通じてギャラリーの人と知り合って、ギャラリーって本当はそんなに敷居が高くないということが分かっていきました」
上田さんにとって作品購入の最大の動機は作家との〈出会い〉だ。「よく言うんですが、売るつもりがなければ作品の価値は『ゼロ円』なんです。それによほどでない限り値上がりなんてしないですよ。なのになぜ買うかというと、『人の縁』なんですよね。作家と話をして、応援するのが楽しいんです」
一方、作品に比重を置く「目利き」的な買い方をする人もいる。
前川俊作さんは1年半前に「ワンピース倶楽部」に参加した。美大の芸術学科出身。「デュシャン以降のバリバリの現代アートを勉強するところ」だった。コレクター歴は30年近くになる。といっても常に熱心に買っているわけではない。ギャラリーから足が遠のく時期もあった。3年くらい前からまたアートに気持ちが向き始め、「アートを見る環境を意識的に変えてみよう」と「ワンピース倶楽部」に入会した。
「僕は作家さんと話すタイプではなかったんです。最近は変わりましたけど」
昨年、ある展覧会で気に入った作家を見つけた。調べてみたが特に所属しているギャラリーはないようだった。当人がホームページを持っていたので直接連絡して、作品を見に行った。安い買い物ではないので迷ったが、もう一度見に行ってみたらやはり「欲しい」と思えた。
「そんなことをしたのは生まれて初めてでした。アーティストに直接コンタクトをとって『売ってください』なんて」
石鍋さんの影響はありますか? と聞くと、「確実にあります。すごく積極的になる。自分でもおもしろいように」。前川さんは現代アートの魅力をこう語る。
「今の時代に、歴史を塗り替えるほどの画期的な表現なんてまずないんです。でも、切り口をちょっと変えてくれるだけでも、フュッと風が吹く。自由な気持ちになれる。そういうのがいいのかなと思いますね」
作品の好みも買い方も異なる上田さんと前川さんだが、共通するのは、売ることを考えていないことだ。「値上がりしそうなものを買う」という発想がないから、懐さえ許せば、あとは自分が好きかどうかだけ。
石鍋さんはこう言う。
「アートって、正しいとか間違ってるとかないから。自分の感じたままを話せばいいし、人の話は『へえ、そうなんだ』って聞けばいいの。だから誰と話してても楽しい。みんな、自分の思いでやればいいの」
では、石鍋さん自身がアートを買うときの基準はなんだろう。
「私は『作家の思い』がすべてという気がしていて。だって、作品だけで評価したら何百年も生き抜いてきた骨董の方が素晴らしいかもしれない。でも私がなぜこんなにコンテンポラリーを買うかというと、やっぱりその裏にいま生きて、頑張っている人間がいるから。その人を応援したいという気持ちが強いんだと思います」
石鍋さんのご自宅にはたくさんのアート作品が飾られている。そのひとつひとつに作家の姿を感じると言う。「毎朝、『おはよう』『おはよう』とあいさつする感じ」。石鍋さんにとっては、ひとりひとりの作家の生き様がアートの魅力そのものだ。
「みんなぽわんとしてるんだけど、話すとけっこう本質をついてくる。人生についてとか、死についてとか、幸せについてとか、普段話せないようなこともアートを介してなら話せる。私たちは日々の生活に追われて、自分はなんのために生まれてきたのかをゆっくり考える暇もない。それをちゃんと考えて、作品で表現している人がアーティストだと思うんです」
「ファッションや音楽でも、このブランドを着ているとかっこいいとか、この音楽を聴いていると最先端だとか、ありますよね。一方で、自分だけが知っているもの、良さに気づいているものを見つける楽しみもある。アートも同じで、『ワンピース倶楽部』は後者を楽しむ人たちが多いような気がします。マイナーレーベルで活きのいいミュージシャンを発掘するような感じかな」
ただ、洋服や音楽と違うのは、その世界への入り口が見つけづらいことかもしれない。そこは少し、能動的になることが必要だ。
「私のおすすめは作家本人に会うことです。コンテンポラリーのアートを集める最大の魅力は、作家が生きていて、コミュニケーションできることですから」
作家に会えるチャンスは展覧会のオープニング。ギャラリーのオープニングは基本的に誰でも参加できる。最近は大小さまざまなアートフェアも各地で開かれるようになってきた。フェアのブースには作家がいることが多いし、不在ならギャラリーの人に質問してもいい。
「とにかく『買う』と決めてアートフェアやギャラリーに行ってみて。そんなに簡単に買わなくてもいいの。『買う』と決めることが大事」
石鍋さんの言葉を、前川さんはこんなふうに説明する。「買うとなると、見るときの真剣味が違ってくるんです。なぜなら、見物人ではなく、当事者になるから。参加の深度がまったく変わるんです」
アートコレクターは単なる消費者ではない。たとえ数万円の作品でも、アートを買うことはひとつの「体験」を手に入れることなのだ。それをおもしろいと思うか、めんどくさいと思うか。そこがアートの分かれ道。
「少し勉強すると、青空市で買った日曜画家と、現代アーティストとしてこれから活躍するであろう人の作品は、すでに居る場所が違うということが分かるようになる」と石鍋さんは言う。そうなったらこっちのものだ。
「出会いのチャンスはいくらでも転がっています」