ビジネスネットワークの思想と哲学

面白い!と思える出会いには理由がある──『〈出会い〉の風土学』著者が解説

学問の歴史上、木岡伸夫ほど深く〈出会い〉について思考してきた人物は他にいないだろう。昨年完結した哲学書三部作の成果をより多くの人に伝えたいと考え、一般向けの新書を発売すると聞いて、BNL編集部は再び関西大学の研究室を訪ねた。

世界で初めて〈出会い〉を主題とした哲学書『邂逅の論理』を昨年発売し、BNLでインタビュー記事を掲載した関西大学の木岡伸夫先生より、「4月末に『〈出会い〉の風土学』という一般向けの新書を出版することになった」との連絡が届いた。

なぜ〈出会い〉が風土学の最も重要なテーマなのか? そもそも風土とは何か? これまでに書いた哲学書とは違って、今回はあまり哲学に馴染みのない読者でも、理解しやすいように心がけて作ったという。

〈出会い〉について、また新たな気づきを求めてBNL編集部は大阪へ。関西大学の木岡研究室を訪ねた。

そもそも「風土」ってなに?

本の冒頭は、ほとんどの人にとって目新しい学問である「風土学」について説明するミニ講義から始まる。

風土学のテーマは、環境科学が前提とする二元論的な「環境」でも、生態学でいう「生態系」でもなく、〈人間との関係にある自然〉という意味での「風土」である。

(中略)

「環境」との違い。人間から独立にそれ自体で存在する自然が、「環境」と呼ばれる。自然と人間をはっきり区別する思考は、近代のデカルトがうちだした二元論を端緒とする。

(中略)

「生態系」との違い。「環境」が、〈中心〉である主体から見られた周囲の〈客体〉であるのとは違って、「生態系」(エコシステム)は、さまざまな生物主体を要素とする〈全体〉を表し、人間も「生態系」の要素に過ぎない、と見る全体論・一元論の立場に立つ。

(中略)

三つの概念のうち、「環境」は二元論、「生態系」は一元論を前提とする。ふつうの考え方では、どちらの立場をとるかの二者択一になる。ところが風土学は、二元論的な「環境」、一元論的な「生態系」のどちらも否定しない。どちらか一方が正しくて、他方は間違っている、という考えをとらない。(中略)対立する考えのどちらかに立つのではなく、〈人間─自然〉の元々のつながりに目を凝らしながら、二つの考え方を柔軟に往き来する(ベルクの表現では、「通態化する」)視点を確保しようとするのが、風土学の立場である。

第1回:『風土』とは何か (p.18-22)

木岡によると、この「往き来する」という考え方は、風土学においてとても重要なポイントだという。しかし、二元論が当たり前の社会で育ってきた身からすると、そう簡単に腑に落ちるものではない。何かもっとわかりやすい説明はないものだろうかと探ったところ、「『似ると似ない』は実は同じ意味である」という表現に辿り着いた。

"Best Buds" by Jeff Cooney (BY-NC-ND 2.0)

「似ると似ない」は同じこと

著書『風土の日本』や『風土学序説』で知られるフランスの地理学者オギュスタン・ベルクは、フランス語で「往き来する」といった意味で使われている「trajet」という動詞を活用し、「trajection(通態化)」という造語を作った。西洋の学問の根底に流れる論理は二元論であり、対立する考えを両方認めることはできないというのが一般的な見解だが、ベルクの「通態化」は、平たく言えば「どっちもアリ」だと言える概念なのだという。

「似ている」と「似ていない」を用いて説明するとわかりやすい。これは一般的には対義語として使われているが、風土学の観点からは実は同義語としても扱えるのだ、と木岡は語る。

「二元論は同じか違うかを明確に分ける論理なので、『あらゆるものは似ていると同時に似ていないんだよ』というふうに言えれば論破できます。例えば、(ホワイトボード用の赤と黒のマーカーを手に取って)この2つのマーカーは形としては非常に似ていますが、色は違います。『同じ』ではなくて、『似ている』と感じた時点で『似ていない』要素もあると認めることになるんです。つまり『似る』というのは同時に『似ない』ということ。『似る』があるから『似ない』。『似ない』があるから『似る』。言葉としては反対だけれども、意味は同じこと。互いに切り離せない関係にあるんです」

この「似ると似ない」の考え方をビジネスの〈出会い〉に置き換えて考えると、また興味深い。

「面白い!」と感じる人は、自分と似ていない特徴が目立つ場合が多い。例えば、自分と似ていない価値観をもっていて、似ていない仕事をやっていて、似ていない人生を歩んでいる人などである。ときには価値観や生き方があまりにも違いすぎて、相手にあまり興味が湧かないことだってあるかもしれない。でも「自分とは違う」と拒絶してしまっては〈出会い〉は成立しない。違うのではなく、「似ていない」と感じることができれば、どこか「似ている」一面も見つかるはずである。

「自分と他人がある程度似ており、ある程度似ていない。そういうものとして緩やかにつながり合う。面白い出会いというものが生まれるのは、そんな世界です」

"Flying In Formation" by Bill Gracey (BY-NC-ND 2.0)

社員一人ひとりが「表現的風景」を持てるように

面白い出会いを実現するには、「似ると似ない」がどちらも必要だということは理解できたが、ビジネスの観点から見れば、同じビジョンを共有して、同質の価値観をもつ人と組んだ方が効率よく働けるはずではないだろうか。実際、ほとんどの会社組織はそのような基準で人材を採用をしている。

ではなぜ、それでも社外の人と積極的に名刺交換するべきなのだろうか? 無駄にはならないのだろうか? この問いに対しても、風土学には独自の見解がある。

風土学では、人間の住まう場所に生じる「世界の見方」を表す概念として、「風景」という言葉を用いる。

「風景」を意味する「世界の見方」(イギリスの文化地理学者コスグローヴの言葉)は、場所ごとに異なる。一つの場所は、ふつうただ一人によって占められる。しかし、風土が〈場〉(場所の集積)の拡がり(空間)である以上、そこに生活する複数の人々による「世界の見方」が生まれてくる。

第10回 風景──〈形〉と〈型〉 (p.132-133)

一人の世界の見方から、複数の人々による世界の見方へ。そして、集団の中で一人ひとりの世界の見方へ。風景は、次の3つのステージに分類できるという。

・個人の生きる場所に応じて異なる「基本風景」
・集団による〈語り〉の交換、〈語り合い〉によって成立する「原風景」
・集団の中で、一人ひとりが独自の価値を見出す「表現的風景」

3つのステージは、このようにピラミッド型に図示できる。ちなみに土台にある「原型(X)」は「経験が形を成す以前の不定形のエネルギー」だという。〈上昇〉の過程は〈下降〉の過程と呼応し、対象的な二つの過程を辿ることによって、風景が生成し変化していく。こうした考えの根底にあるのは前回の記事でも紹介した「形の論理」である。図は本書の136頁より抜粋。

「『基本風景』は個人によるルーティンワークです。日々繰り返していくうちに、少しずつまとまった規範が具体化していく。それが会社やチームなど、社会的な場で共有されれば『原風景』となります。さらに、個人は『場』の影響を受けて、自分をつくり変えていくことができます。その時、『基本風景』に戻るのではなく、さらに上昇して『表現的風景』に辿り着くのです」

会社の中で「原風景」を共有しているだけでは、なかなか変化は生まれにくい。でも社員一人ひとりが「表現的風景」に達することができれば何か変わるのではないか、と木岡は提言する。

「会社はひとつの『場』ですが、その中に少しずつ異なる個人がいるわけです。彼らにもそれぞれの『場』を持たせればいいんです。一人ひとりの『場』の中に社外の人も関われると、なおいいでしょう。似ていない価値観をもつ、似ていない生き方をしている社外の人と〈出会う〉。その『場』で得られた情報を、再び会社という大きな『場』に持ち寄って、個人が自由に発言できる。もし、そのようなことが可能になれば、これからの時代の働き方、組織のあり方として、有力なモデルになるのではないでしょうか」

たしかに、あらためて考えてみると、オープンイノベーションやパラレルワーク、ホラクラシー経営やティール組織など、最近話題の働き方改革のキーワードはどれも、「原風景」から「表現的風景」への上昇を促しているようにも見える。

ただし、木岡はこれまで純粋に学問として〈出会い〉の意義を追求してきた。実際どのようにしてビジネスの世界に応用できるかは読者の手に委ねたいと言う。

「私は会社というものの中に入ったことがないので、本当にそういうことをまともにやろうとする会社があるのかどうかはわかりませんよ。でも今日の対話を通して、私がこれまで考えてきたことは、もしかしたら現代社会でも活かせるかもな、とちょっと期待をもつことができました」

著者は、序文で本書の目的のひとつとして、読者のみなさんとの〈出会い〉を実現することを掲げている。特に本記事を最後まで読んでいただいた方には、ゴールデンウィークの読書リストに、ぜひ一冊加えてみることをお薦めしたい。