「表現しやすい社会の創造」を目指して、武井史織は全国各地でクリエイターを集めてイベントを企画している。企業と社会の接点をつくるコミュニティマネジャーとして大切にしているのは、「なぜそれをやるのか」を共有すること。その熱量さえあれば、あとは他者との掛け算の仕方を考えればいいだけだと語る。
PhotoshopやPDFなどで有名なソフトウェアメーカー、アドビシステムズ(以下、アドビ)が2016年から続けている活動のひとつに、「Design Jimoto(デザインジモト)」というイベントがある。地域の課題解決や地方創生を「デザインの力」によって行うことを目的としたコミュニティ・イベントで、この1月には宮城県・気仙沼市で開催された。
Design Jimotoは、全世界にユーザーのいるアドビの中でも、日本だけで行われている独自の企画である。立ち上げたのは、日本国内のクリエイティブ・コミュニティの創出と活性化をミッションとしているコミュニティマネジャーの武井史織だ。
顧客と長期的に関係を築く「エンゲージメント」の重要性や、デジタル化が進む時代だからこそ逆にオフラインの接触の価値が高まるというのは、さまざまな方面で語られるところだ。そうした文脈で「コミュニティ」という言葉を聞く機会も増えているように思えるが、今回は武井の話から、あらためて「なぜいまコミュニティなのか?」を考えてみたい。
──はじめに、コミュニティマネジャーとしての武井さんのお仕事がどういったものなのかを教えてください。
私が扱っているのはCreative Cloudという、主にクリエイターの皆さんに使っていただくツールですが、そのコミュニティを創出したり、活性化したりするのが私のミッションです。
3年前にアドビに入社して、最初にやったのは「Adobe Creative Jams」というイベントです。ひとことで言うなら、クリエイターの「天下一武道会」。3時間という制限時間以外はルールなしで、当日発表されるお題に沿って作品をつくり込んでもらい、一般観客に向けて発表、そして最後に会場全員投票で優勝チームを決めるというものです。
どうとでも調理できるお題に対して、クリエイターの皆さんには本当に自由に作ってもらうことを心がけています。というのも、普段のクライアントワークには、どうしてもいろいろと制限があるじゃないですか。その中で評価されるというのももちろん大切なことですが、そういった枠を一回全部取り払った状態で、何でも自由に表現していいとしたら、どんなものが生まれるか。そうやって各人のクリエイティビティを発揮してもらうことを目的としています。
このCreative Jamsは全世界100都市以上で開催されているイベントですが、それを日本でもやっていくなかで、「こうしたイベントに、もっと社会的インパクトを持たせることはできないだろうか」という思いが私の中に芽生え始めました。それで2年前に立ち上げたのが、「Design Jimoto」というイベントです。
──どんなイベントなんですか?
デザインの力を軸に、クリエイターと地元のコミュニティが一緒になって、地域の課題を解決していくイベントですが、目的は2つあります。
ひとつは、クリエイター自身の才能を、イベントから生まれる作品を通して外に発信すること。もうひとつは、地元の情報を伝えることです。地元にこういう課題がある、あるいはこういう魅力があるということを発信していく。もちろん課題よりも魅力であった方がいいわけですが、多くの場合、魅力があってもそれをいかに伝えるかに課題があるので、それをデザインの力で解決するということです。
クリエイターはどこでも働けるのに、仕事は大都市に集中してしまう
......と、これが表向きに言っていることですが、実はもうひとつ、裏テーマがあります。それは、クリエイターの感覚と、地域のコミュニティの感覚の間にある「ギャップ」を少しでも埋めることです。クリエイターの特権って、本来であればどこでも働けることだと思います。でも、多くの仕事がやはり、大都市に集中してしまうため、地域で仕事がしたいと思っても、実際には仕事が得難いとか、あるいはクライアント側との認識のズレがあって、仕事がしづらい現状があるんです。
そういった声をたくさん聞いていたので、そのギャップを埋めるようなことが何かできないか、と。もちろんそれは直接的なものではなくて、体験の中から感じていただくということを意識してやっています。
──クリエイティブと地域コミュニティの橋渡しのような役割ということですね。企画、あるいは運営する上で大切にしていることはありますか?
イベントをつくる際にはまず、地元の課題の洗い出しの部分から、地域の人たちと一緒に時間をかけて丁寧に行います。というのも、参加する方々には、取り組む課題を「自分ごと」として捉えていただきたいからです。イベントに参加される方の中には、自主的に参加する地元のデザイナーもいれば、一般の観客として参加したいという方もいます。でも、そのいずれにもちゃんと自分ごととして課題に対する「オーナーシップ」を持ってもらいたいと考えています。そこで初めてエネルギーというものが生まれると思うので。課題を解決した先に一企業だけが得をするのではなくて、地域社会全体が良くなる課題は何なのか、ということを課題の洗い出し段階でみんなで探っていきます。
オーナーシップの次に大切にしているのが、「デザイナーの気持ちがアガるか」ということです。イベント当日にお題を発表するのですが、その瞬間に参加デザイナーさんたちの表情に表れるんです。パッと明るくなる人もいれば、頭を抱える人もいる。やっぱり楽しくなくちゃ熱は生まれないので、デザイナーたちの感情をつかむことも大切だと思っています。
当日のお題発表から、2人1組のチームに分かれて実際にデザイン制作していきます。最後に各チームがアイデアを一般観客に向けて発表し、優勝アイデアを決めるのですが、そのアイデアをもとに行政なり地元の団体なりに実現してもらうのが、一番きれいなアウトプットの形です。まあ、途中でつまずくこともたくさんありますが(笑)。
という感じでプロフェッショナルのクリエイター向けのイベントをずっとメインに活動してきましたが、最近はここにさらに「教育」が加わって、子どもたちを対象にした「デザイン × 地方活性 × エデュケーション」という掛け算プロジェクトを行う機会が増えてきています。
──教育に目を向けたのはどうしてですか?
日本の12〜18歳、他国の11〜17歳を「Z世代」と定義づけて、世界5カ国(日本、米国、英国、オーストラリア、ドイツ)の子どもたち約2700人を対象にアンケート調査を行いました。そこで投げかけたのは「Do you think you are CREATIVE?=自分のことをクリエイティブだと思いますか?」というシンプルな質問だったのですが、その結果が衝撃的なものだったんです。
アメリカはもちろん高くて、47%が「YES」。イギリスでもドイツでも40%前後。それに対して日本の子どもで「YES」と答えたのは、なんと8%にとどまっているんです。
もちろん、答え方には文化的背景の違いが表れることもあるので、一概にこの結果がすべてとは受け止められないとは思います。日本人は自分のことを控えめに話すところがあるので。でも、それにしたってこれは大きな差ですよね。
「クリエイティブ」って、別に「つくること」を仕事にする人だけに必要なことではないじゃないですか。「これは国として大変だ!」と思ったわけです。
さらに、今年1月に発表した日本の教員・教育政策関係者を対象に行ったアンケート調査では、「創造的問題解決能力」育成の妨げとなっている要因として、「(教員自身の)ツールや研修、知識習得の機会が十分ではないと感じている」と答えた割合が、日本では約80%と、他国と比べて圧倒的に多かったのです。
教育者の方々は教えることに長けている人たちだと思います。ただ、この激動の時代、どうしても教え方が追いつかなくなっていくのは仕方がないことじゃないかと。であれば、産学一体となり、子どもたちがクリエイティブの成功体験を得られる場を提供していく必要があるのではないか、と考えました。
今回気仙沼で実施したデザインワークショップもそのひとつです。気仙沼市立唐桑中学校の美術の先生が外のエネルギーを取り込むことに非常に前向きな考え方をお持ちの方で、4時間の授業の枠を使って、実施することができました。気仙沼のオリジナルパッケージをつくるというお題を、東北にゆかりのあるプロのクリエイターと中学生がチームを組んで、地域の魅力の詰まった町ブランドの紙袋をデザインしました。
──今回、開催地が気仙沼だったのは、やはり震災があったから?
そうですね。もちろんタイミング的なものもありましたが、やはり2011年の震災以降、「復興、復興」と言われ続けてきたものが、少しずつ断ち切られていくような感覚もあると地元の方々から聞いていたので。
なおかつ、今回に関しては、もともと東京で活動していたデザイナーさんで、震災を機に向こうにUターンされた方がいました。「デザインの力」で町に対してできることが多いはずという想いを持ってUターンされたのですが、なかなかデザインというものを理解してくれる環境が整っていないということで、とても苦労されていました。その彼女から相談を受け、ビジョン共有をし、パートナーシップを組むことになり、地元コミュニティーを巻き込んだ今回の気仙沼での実施へとつながりました。
「なぜそれをやるのか」。私が持っている「なぜ」と、彼らの持っている「なぜ」が合うかどうか。
アドビが地方を訪ねて一発の花火を打ち上げて帰ってくるようなイベントでは意味がないと考えています。その先に、地元で活動している人がローカルヒーローとなり、さらに活躍しやすくなるものでなければ継続性のある未来は描けません。
なので、そういった活動をされている方々との掛け算をする際に、とにかく大事にしているのが「Why」です。「なぜそれをやるのか」が明確にあるかどうか。私が持っている「なぜ」と、彼らの持っている「なぜ」が一致するかどうか。
今回の気仙沼のケースもそこが一致した結果です。結局のところ、ビジョンの共有されたものが熱量を生み、アドビが抜けた後も持続するエネルギーにつながっていくのだと考えています。
──イベントという点を線にするために、他に意識してやっていることはありますか?
例えば今回の気仙沼の例で言えば、地元パートナーとタッグを組んだことで、作品発表と投票に気仙沼の菅原市長も参加してくださって、優勝アイデアは実際に町の新しい紙袋として使われることを検討してくれています。そうすると、このイベントで子どもたちが得た成功体験が実際の形となって広がっていくわけじゃないですか。
あるいは、Creative JamsにしてもDesign Jimotoにしても、3時間かけて一気に作るような体験を共有すると、それが終わってふと力が抜けた時に、お互いが「同志」みたいに近い関係になるんですよね。普段は違う会社だからほとんど話したことがない人たちが、点ではあってもこうした熱量のあるイベントを通して時間と課題を共有することで、そこから「いまこんなことやってるんだけど」「ああ、だったらこういう形で一緒にできるじゃん!」というカジュアルな場から新しい芽がどんどん生まれるのです。
どんな作品であれ、必ず作り手の名前が明らかになるようにする
だから、大切なのはアドビがいかにコントロールするかということではなく、参加者一人ひとりが何らかの成功体験を得られる場にすることだと考え、それを追求しています。
そのためには形にする、ということも大切ですし、イベントから出てきた作品は、必ず作り手のクレジットを入れて公開します。それがたとえ公的なものだったとしても、必ず作者のクレジットを入れてもらえるよう交渉します。作者の名前がきちんと前に出ることで、それを見た誰かが、また新たな案件をその人に持ちかけるというように、小さな点でも次の可能性につなげられるよう、細やかな対応を心がけています。
アイデアを形にした人の名前が前に出ることをNGとしてしまったら、それは人間の退化、ひいては国の退化だと考えています。作り手の名前が前に出ることを許容する社会こそが、イノベーションを生む土台となる、真に「表現しやすい社会」と言えるのだと思います。
──ビジネスの世界でも、日本企業は個人が前に出ることをなかなか許さないという問題がありますね。
本当にもったいない! なぜなら、アイデアを形にした人の名前がきちんと前に出ることは、自分ごととして「オーナーシップ」を持つ人数が増えるということで、その周りの人たちがさらに自主的に広めてくれる機会の創出につながるわけです。囲うことでその会社のブランドのように見せたいという気持ちがあるのかもしれませんが、10年前、20年前ならまだしも、「いまさらその考え方?」と驚いてしまいますね(笑)。
──いま、熱を伝える、点を線にするために「コミュニティ」が重要だと多くの企業が気付き始めているタイミングだと思うんですけど、お話を聞いていると、武井さんは「リアル」にこだわっているように見えます。例えば日本にも上陸したWeWorkは、リアルを重視してコワーキングスペースを作る一方で、それを補完するためのものとしてデジタルの仕組みも作っている。リアルとデジタルの関係については、何かお考えがありますか?
そういう意味で言えば、アドビには「Behance(ビハンス)」があります。Behanceはクリエイターのプラットフォームで、全世界で1000万人以上のクリエイターが登録して、自分の作品を公開したり、お互いにコミュニケーションしたり、あるいはクライアント企業がそこでタレントサーチをする場として活用されています。私がオフライン中心に自由に活動できるのも、アドビとしてオンラインと連携できる土台が確立されているから、というのはあるかもしれないですね。
インパーソンで感じるエネルギーには、なにものも敵わない
デジタル化することで、コンテンツ自体が一人歩きし、どんどん波及する時代、それはデジタルの素晴らしいことだと思います。でも一方で、実際に会ってビジョン共有したところから生まれるエネルギーには、なにものも敵わないとも思っています。ライブで感じたその場の空気、共有した課題意識、五感どころか第六感まで使って感じるような、そこでしか味わえないインパクトは、なにものにもかえがたく、体内に残ると思っています。
Design Jimotoを奈良で行った際も、実際に会ったときに生まれるエネルギーを実感しました。多くのクリエイターさんはそれぞれ自分の案件で多忙だったりするため、同じ町に住んでいて、お互いのことをなんとなく聞いたことがあるクリエイター同士であっても、意外にもこういう場で顔を合わせて「はじめまして」だったりする。
でも、その「はじめまして」から始まったイベントの打ち上げの場で、「いまこういうプロジェクトやってるんですけど、これ一緒にやってもらえませんか?」「もちろんです」っていう輪がどんどん広がっていくのです。やっぱり実際に会って心の部分がつながると、共有できるエネルギーレベルが全然違います。
──そうしたイベントやそこから生まれるエネルギーや熱量が、地域のコミュニティやクリエイターにとって大切なのはわかります。あらためてここでお聞きしたいのは、アドビとしてなぜそこにパワーを注ぐのか、ということです。
そうですよね。よく聞かれます(笑)。「それってアドビさんがやってたの?」って。でも、特にDesign Jimotoに関して言えば、別に上司に言われてやっているわけではないのです。日本の現状を考慮した上で、私が「絶対にやるべきだ」と思ったことを、本社のあるサンフランシスコまで直談判に飛んで、形にしたものなので。
私自身もそうですが、アドビとしても「ユーザー目線でのコミュニケーション」を大切にしています。「クリエイターにとってのツール」ということを掘り下げていくと、要は、表現したいものを表現するためのツールということですよね。つまり、表現したいアイデアが主軸としてあるべきで、ツールの立ち位置はサポート側でなければいけません。アイデアを形にしたい人が好きなときに、好きな方法で制作することができて、その作品が評価されれば、それに付随して自然とツールの利用価値も上がると考えています。これが、私たちがコミュニティを大切にする理由のひとつです。
もうひとつあるとすれば、やはり企業にとってのメリットだけを追求していたのでは限界があります。例えば今回、気仙沼でデザインワークショップを実施しましたが、数字だけを追うのであれば、そこじゃないという判断になりますよね。KPIを参加者数ということに置くのであれば、当然人口の多い東京でやった方がいいということになるので。
「表現しやすい社会をつくる」こと目指せば、最終的にはアドビのユーザー数増加につながる
ただ、それではそのあとにスケールしないと思っています。アドビとして最終的に目指しているのは「表現しやすい社会の創造」です。そういう社会をつくることができれば、結果として自由を大切に働けるクリエイティブ人口が増え、ツールを活用してくれるユーザー数増加にもつながると考えています。
──本当に素晴らしいと思うんですけど、実際にそれをできる会社はそんなにないかもしれないですよね。
そんなことはないですよ! 一番大切なのは「Why」。そしてそこに熱量さえあれば、あとは掛け算の仕方を考えればいいだけじゃないですか。その掛け算の仕方に迷うときは、素直に周りの人に相談します。
私は自分の得意分野ではないことに対してはすぐに甘えます(笑)。「得意じゃないので、ここ助けてください!」って。そういう素直なコミュニケーションをお互いに持てたら、難しく感じられることも意外と突破口を見つけられたりするんですよね。その時に協力してもらうためには、やはり普段から言葉にしてビジョンを丁寧に共有していくことが大切ですね。
──最後に、あらためて武井さんにとってコミュニティマネジャーの仕事とは?
仕事でもなんでも、すべてのことは何かと何かの接点から生まれていくと考えています。私に求められているのは、そうした接点をひとつでも多く作り、そこからさらなるエネルギーや熱量を生むこと、そういう接着剤とか潤滑油のようなものなんじゃないかと。そのコミュニティにとって、個人にとって、企業にとって必要なものを、互いに空気をよく通せるようにする役割ですかね。
コミュニティ「マネジャー」という名前にはなってはいますが、実際は何もマネージしていないです。マネジメントなんて、したくてもできないですよ。だってそれはアドビのコミュニティではなくて、クリエイターのコミュニティなので。むしろコミュニティ・ノット・マネジャー(笑)。そう呼ぶ方が本当は合っているのかもしれないですね。