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新規事業を加速させる戦術

プロデュースしすぎるとコケる。コミュニティを主人公に──西新橋のビルに描かれた巨大壁画の舞台裏

昨年、虎ノ門ヒルズが隣にそびえ立つ新虎通りの一角で、大きな壁画が披露された。企画のきっかけとなったのはフェイスブックの日本支社を立ち上げたアンカースター率いる児玉太郎と、このエリアで開発に取り組む森ビルとの出会いだった。「いまはプロデュースしすぎたら失敗する。コミュニティを主人公にすべき」。それがいま最もクールなやり方だ。

新虎通りの巨大壁画

虎ノ門ヒルズから新橋方面に向かって、「新虎通り」と呼ばれる一直線に伸びる道路がある。2014年に開通したばかりの道であり、2020年にはオリンピック選手村と各競技会場を結ぶルートの一部となるため、東京のカルチャーを世界に発信する上で、今後重要な役割を担うエリアになることが期待されている。昨年、その通りの一角に佇む、レンガ造りのビルの壁に「壁画(Mural)」が描かれた。

しかし、なぜそこに描かれたのか? のちに「Tokyo Mural Project」と名づけられたその企画を、虎ノ門エリアのエリアマネジメントに携わる森ビルに提案した児玉太郎は、以前フェイスブックの日本法人代表を務めていた人物である。そんな彼が、なぜこのプロジェクトを企画することになったのか。

2010年、当時フェイスブックのカントリーグロウスマネージャーに就任したばかりの児玉に、真っ先に会いに行った森ビルの飛松健太郎によると、「太郎さんは、いつもたくさん構想を持っていて、それを実現できそうな会社なり人なりに、ずっと言い続けています。すると、誰かがそれを面白いって言い始めて実現していくんです」。今回のプロジェクトも、そうだったという。


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出会いのきっかけは新聞記事

児玉と飛松の出会いのきっかけは、フェイスブックの日本支社設立を報じる日経新聞の小さな記事だった。2010年当時は、国内でSNSと言えばまだ「mixi」が主流だったが、飛松は「Facebook」というサービスがアメリカで流行りだしていたことを知っていた。このサービスは日本でも大きくなるかもしれない。それならば、ほかのディベロッパーよりも先に接点をもっておきたい、と考えたのだが、記事にはオフィスの所在地はもちろんのこと、誰が代表に就任したのかさえ載っていなかった。

当時持っていた名刺を全部ひっくり返して、フェイスブックのオフィスの住所を知っている人を探した。

他のディベロッパーよりも先に接点をもつためには、公表されていない住所と名前をいかにして発見するかが勝負となる。飛松は、当時持っていた名刺を全部ひっくり返して、知っていそうな人に片っ端から電話をした。

「フェイスブックのオフィスがどこにあるか知らないですか? 社員の方を知りませんか?」

すると偶然にも、児玉とヤフー時代の同僚だったというヤフーのOBと連絡がとれた。「数ある東京の都市開発のデベロッパーの中から唯一、森ビルの飛松さんだけが営業に来てくれたんです」と児玉は振り返る。この時の出会いが、すべての始まりとなった。

「せっかく英語もできるし、2つのシリコンバレーの会社の日本展開を経験したんだから、それを活かして、海外のサービスやカルチャーを日本に持ってくるような仕事ができたら面白いなと思っていたんです」(児玉太郎)

ヤフーとフェイスブックの経験を活かして

児玉は、10歳から20歳くらいまでロサンゼルスで暮らしていた。帰国後、当時まだ100人くらいだったヤフーに「運よく拾ってもらった」という。入社して10年くらい経ったころ、同じ外資系IT企業として日本で成功を収めていたヤフーの経験談を聞きたいということで、フェイスブック本社の人たちが会いに来た。当時、児玉は社内でフェイスブックの可能性をずっと説いて回っていて、英語もできたので彼らの相手を務めることになり、さまざまなアドバイスを行った。

やがて、「お礼がしたいから」と言われてフェイスブックの本社に呼ばれて行ってみると、いくつか面談が設定されていた。これまで行ってきたアドバイスが、経営陣の興味を惹いたようだ。最後には社長のマーク・ザッカーバーグとの面談となり、日本支社の1号社員として、その戦略を自分で実行していくことになった。

日本でフェイスブックを任された児玉は、原宿にある1LDKのマンションを最初のオフィスとした。その居場所を突き止めた飛松が、2010年の9月に会いにやってきたというわけだ。やがて飛松の読み通り、国内のユーザー数は一気に増加し、それに合わせて会社の規模もどんどん大きくなっていった。そのたびに飛松に紹介してもらった物件へ、オフィスを移転した。

次は一度に多くのカントリーマネージャーを手伝えるような仕事を。

2014年春にフェイスブックを辞めた児玉は、次は一度に多くの会社のカントリーマネージャーを手伝えるような仕事がしてみたい、と考えていた。ある日、飛松に誘われて西新橋のエリアを2人で散歩することになった。永谷園やキーコーヒーなど、規模が大きくなったいまでも本社機能を西新橋に置いている会社があること。そして、森ビルが初めて建てた小さなビルでリクルートが創業したことなどを教えてもらった。児玉は、西新橋がそのような創業の歴史がある街だと初めて知った。そして、都心にありながら、こんなにも空の広い街であることも。

「その時、『このエリアは全てがこれからの、真っ白いキャンバスみたいなエリアなんですね』って話していたのを覚えています。森ビルとしても、これから虎ノ門ヒルズの周辺を開発していく中で、同じ新橋・虎ノ門エリアでどんどん面白いことが起きてほしいという話になりました。それなら、いま構想している海外の人たちを日本に連れてくるビジネスを、このエリアでできたら面白いですねっていうことになって、案内されたのがいまの物件だったんです」

カントリーマネージャーを支援する児玉の新会社「アンカースター」の拠点が決まった瞬間である。

東京都では、Muralは屋外広告物という扱いになるため、屋外広告物条例により描ける大きさが指定されている(具体的には壁面の3/10未満、且つ100平米未満)。そのため、このような既存の壁を生かしたデザインとした。Photo: Tokyo Mural Project Facebook Page

「Tokyo Mural Project」始動!

やがて付き合いのあるアーティストなどからも、「この街にはなんとなくポテンシャルを感じる」という声を聞いていた児玉は、ある構想を思いついた。それが、いつもアメリカに出張に行くと見かける、Mural(壁画)をこの街でやってみることだった。

「サンフランシスコに行っても、地元のロスに帰っても、ニューヨークに行っても、Muralは至るところにあるのに、東京では目立つところにひとつもない。『これって何で東京ではできないの?』『やりたい!やりたい!』って普段からいろんな人たちに言っていたら、なんか周りもやりたいって言ってくれるようになったんです」

THE KISS by Eduardo Kobra:ニューヨークのハイラインから見える、世界で最も写真が撮られているMuralのひとつ。第二次世界大戦で米国が日本に勝利した時に、『ライフ』誌の専属フォトグラファー、アルフレッド・アイゼンスタットがタイムズ・スクエアで撮った象徴的な写真「V-J Day in Times Square」をモチーフにしている。Photo: "Kobra" by Phil Davis (CC BY-NC-SA 2.0)

いつも児玉の頭の中には「こうなったら絶対みんな嬉しいじゃん」という明確な完成予想図があるという。

「例えば、新虎通りをみて、あのビルにMuralがあって、ここをみんなスケートボードで走っていて、平日の朝はシャワーブースの施設で汗を流して、コーヒーを片手に出社する...とかって感じです。まあ言うのは簡単なんですけど、その完成予想図があまりに明確に思い浮かぶから、毎回誰に対しても同じことが言えるんです」

そうすると周りもだんだん同じ完成予想図が見えてきて、「たしかにそれいいかも」と面白がってくれたりする。「じゃあうちは〇〇を提供しようか」とか「うちは港区と話してみるよ」とか「うちはスポンサーできるよ」などと言ってくれるようになる。ふと見渡すと、あとは自分が腰さえ上げれば実現できるチームができている。その中でも、特に強力なチームメンバーが飛松なんだという。

Sal "つむじ風" -上側:吹き上がる一陣の旋(つむじ)風のイメージ。遠眺にみえる"書"的な大きなストロークやドリッピング風の描画は、有機的な生命力や日本特有の美意識を感じさせる。一方で近眺で見て取れる六角形の鱗と正円の連続(重なり)は構成物の単位=ユニットとして描かれる。作家は、その遠眺と近眺の視覚的誤差による視覚の解体と再構築を試みる。Photo: Tokyo Mural Project Facebook Page

JONJON GREEN "COLOR flowing" -下側:鮮やかな色彩が湧き出し、流れるように美しく伸び進む様が描かれる。色達が色の中で作家の思うまま自由にうごめき、進化し、そのエネルギーを未来へ発散させようと生命を宿っているような魅力をもつ。Photo: Tokyo Mural Project Facebook Page

森ビルで唯一文句を言える相手

飛松は2008年に森ビルに転職してオフィステナントの営業をしていたのだが、いまはもう"営業マン"ではない。名刺には「イノベーティブビジネス担当チームリーダー」と書いてある。実はその肩書きを命名したのは児玉だったのだが、「いまならもっと的確な肩書きを付けられる」と言う。

「森ビルの社員の中で文句や提案を何でも言える相手って実は飛松さんだけだったんです。営業マンという枠を超えて、『森ビルとこういうことをやりたい』とか、『もっとこうしたらいいのに』みたいなことを全部言えていました。だからいま思えば、彼の職種は最近話題の、コミュニティマネージャーだと思うんですよ」

期待や不満、あるいは協業のアイデアまで、何でもぶつけられる「はけ口」になっている。

ディベロッパーにとって、いま注力して開発しているエリアに来てくれる人たちのことを「コミュニティ」と呼ぶのであれば、その人たちがいろんな意見を言える相手、つまりコミュニティマネージャーに、すべての情報や期待値が集約されていく。その役割を担える人物がいるかいないかで、コミュニティに支持されるかどうかは大きく変わってくる。飛松は、森ビルに対するみんなの期待や不満、あるいは協業のアイデアまで、何でもぶつけられる「はけ口」になっているという。

「それで『わかりました!』とかって言ってくれると、もうほかのエリアには行けなくなるじゃないですか(笑)。言ったことが実現できるかもしれないんだったら、待っていた方がいいですからね」

このように、オフィスを貸す側・借りる側の関係を超えて、「一緒に街をより良くしていくために何ができるか」と語り合えるような関係性を飛松は営業時代に築いていた。そのみんなから「もっとこうしてほしい!」というリクエストを聞いては、企画書にまとめて会社に承認を上げる。それがいまの「イノベーティブビジネス担当」としての主な仕事内容だという。

「自分の仕事をコミュニティマネージャーとして意識したことはありませんでしたが、つまるところ、僕たちはみなさんが自分の街に求めていることを叶えるために、森ビルとしてできることを何でもやるチームなんです」

「まだ半分営業をやっていたころ、営業の仕事に逃げ道を作るべきじゃないって、児玉さんが言ったの覚えています? あれがきっかけで僕の異動が決まったんですよ」(飛松)

もはやプロデュースしきる会社は痛々しい

「プロデュースするとコケる」。これは児玉の信条だと言ってもいいだろう。インタビュー中、何度もその言葉が出てきたのが印象的だった。

最初から誰も使わない機能を盛り込むより、未完成でもいったん世に出してみる。やがてコミュニティができてきたら「もっとこうした方がいい」といった声が聞こえてくる。それをもとに日々改善する。この方法論はITサービスに携わる者にとってはもはや常識だが、「これからは街づくりも同じではないか」と児玉は語る。

「昔はディベロッパーが街のコンセプトを考えて、分厚い資料を作って街を計画していました。いまはコミュニティがどんどん進化していっています。だからプロデュースをすべて一つの会社だけでするという考えは、もはや痛々しいんですよ」

最初はキックスターターとして場所をプロデュースするつもりはない。

昨年キックスターターのカントリーマネージャーに就任した児玉は、今回壁画が描かれたビルの中に、さまざまな日本のクリエーターのコミュニティを集めてみてはどうかと構想している。ただし、いきなりキックスターターとしてプロデュースするつもりはないようだ。

「『ここはキックスターターの拠点です!』とかってやっちゃうと、どこかのブランドのショールームみたいになっちゃってダサいですから」

今後、国内でもキックスターターのプロジェクトが立ち上がっていくようになると、資金集めを成功させたいユーザーから、さまざまな要望が出てくることが予想される。その時、彼らを支えるために、もし場所が必要とされるのであれば、このビルを使ってみればいいという。

「いまは家具を全部揃えきっちゃうようなオフィスってダサいと思うんです。まずは必要最低限のものだけを買っておいて、みんなの意見を聞いて進化できる余裕を残した状態でオープンする。そういった施設の方がクールなんじゃないかな。面白い人たちをここに集めるには、彼らを主人公にするべきで。『太郎さんって、いろいろ支援してくれていいよね』と裏で言ってもらえるだけで僕は十分なんです」